世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第48回】ロベルト・カルロス(ブラジル)

 サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。

世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。

 第48回は、誰もが認める「世界屈指の左サイドバック」を紹介する。ロベルト・カルロスだ。伝説となった衝撃的なFKの映像を、サッカーファンなら一度は見たことがあるだろう。ブラジル代表でもレアル・マドリードでも、ゴールでファウルの笛が吹かれるたびに、彼のFKを見たくて固唾を飲んだものだ。

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【欧州サッカー】ロベルト・カルロスの左足は「規格外」 引退し...の画像はこちら >>
 筆者の世代は、インステップとインサイドを初期段階でマスターすると、インフロントを使いたくなった。第二段階は、変化球の習得だ。ボールを曲げる技術は一種の憧れであり、壁の間を抜けてゴールに吸い込まれるようなキックを練習した。

 フットボールの世界では、FKの名手が多くのファンを虜(とりこ)にしてきた。ロベルト・リベリーノ、ジュニーニョ・ペルナンブカーノ、ジャンフランコ・ゾラ、ドラガン・ストイコビッチ、木村和司......。シニシャ・ミハイロヴィッチはFKだけでハットトリックを達成したこともある。

 ロベルト・カルロスの左足は「規格外」だった。

 漫画のような軌道を描くケースもあったのだから、単純に変化球とは表現できない。なかでも1997年にワールドカップのプレ大会「トゥルノワ・ドゥ・フランス」のフランス戦で放った一撃は強烈だった。

 距離はおよそ35m。フランス陣の壁、GKファビアン・バルテズのポジショニングも問題はない。ロベルト・カルロスは長めの助走からフィールド中央付近で左足を振った。ボールは右方向へ、壁の外を通過。軌道を大きく外れた......はずだった。

 次の瞬間、ボールは人の意思が働いているかのように、いや、空気抵抗を無視したかのように軌道が急激に変わって左に曲がり、右ポスト内側をこすってゴール。バルテズはボールの行方を見送るしかなかった。

【ロベルト・カルロスって誰だ?】

 左足のアウトサイドで力強くボールにインパクトし、いったんは外側へ大きく外れるような軌道から、急激にゴール方向へ巻き込むようにカーブ──。

 言葉で表現すれば簡単だが、常人の成せる業(わざ)ではない。何しろ、この男の左足から放たれたシュートは時速140kmを計測することさえあった。

 先述したFKの達人のほかにも、デビッド・ベッカムや中村俊輔もひと蹴りで勝負を決しているとはいえ、1997年のロベルト・カルロスが見せたロングシュートほど色褪せない名作は記憶にない。

 1991年、ウニオン・サンジョアンでプロデビューすると、目立った実績がないにもかかわらず、わずか18歳でブラジル代表に招聘されている。

「ロベルト・カルロスって誰だ?」

 サッカー専門誌の海外担当だった当時の筆者は、情報収集を急いだ記憶がある。1990年代前半、ブラジル代表の左サイドバックはブランコが基本であり、控えはノナート、もしくはルイス・カルロス・ヴィンキ。ロベルト・カルロスはノーマークだった。

 翌年、ウニオン・サンジョアンから名門パルメイラスに移籍。ジーニョ、マジーニョ、セザール・サンパイオ、エジムンド、エバイールといった名だたる選手とともに主力を形成し、サンパウロ州選手権とブラジル選手権の二冠に大きく貢献した。

 FKと100メートル10秒台の俊足は、パルメイラスのストロングポイントだった。それでも1994年アメリカワールドカップのリストから漏れている。左サイドバックはブランコと、のちに鹿島アントラーズでプレーするレオナルドが担うことになったからだ。

「大舞台の経験が不足している」

 カルロス・アルベルト・パレイラ監督(当時)は、ロベルト・カルロスが選考から漏れた理由を語っていた。

 ブラジルはアメリカワールドカップを制した。ただ、攻撃をロマーリオとベベットに一任したブラジルらしくない分業制に満足できなかったメディアは、「ロベルト・カルロスさえいれば......」と嘆いていた。

世界を制しても不満タラタラなのだから、さすがというべきか。

【世界最高の左サイドバックは誰だ?】

 メディアの評価とともに、ロベルト・カルロスの攻撃的なイメージは世界中に膨らんでいった。そしてワールドカップの翌年、1995年コパ・アメリカ準優勝の立役者となった彼は、すぐさまインテルに移籍する。

 すると、デビュー戦でFKを沈め、2節で浮き球をゴールに押し込み、そして5節で再び直接FKを決めるなど、申し分ないスタートをきった。

 しかし、ロベルト・カルロスは窮屈だった。シーズン途中にロイ・ホジソン監督に代わると、与えられたのは左SBではなく、その一列前のポジション。もう少し動けるスペースがほしかった。また、守備を重視するホジソン監督のプランにもフラストレーションが溜まったという。

 シーズン終了後、他クラブへの移籍を直訴する。この動きをいち早く察知したのが、レアル・マドリードだ。バルセロナやイタリアの強豪がロベルト・カルロスの調査を開始する前に、猛スピードで契約まで漕ぎつけたという。

 結果、ラ・リーガでは大成功を収めた。「ロス・ギャラクティコス」(銀河系)と言われたスター軍団の一員として確固たる地位を築き、左サイドで攻守に奔走する姿に感銘を受けたマドリディスタも少なくない。

 在籍11年でリーグ優勝4回、チャンピオンズリーグを3回、クラブワールドカップは2回、勝ち取っている。公式戦527試合・69ゴールは文句のつけようのないスタッツだ。

 彼がセットプレーで構えるだけで、ピッチ全体に多大な威圧感を漂わせていた。ボールの傍らで左足のロベルト・カルロス、右足のベッカムが不敵な笑みを浮かべながら会話している。「いったい、どっちが蹴る?」。相手GKは不愉快すぎるプレッシャーに苛(さいな)まれていたに違いない。

「世界最高の左サイドバックは誰だ?」

 議論されつくしたテーマである。時代とともに選手のフィジカルは向上しているため、20世紀に活躍した選手と現在の選手を比較するのはアンフェアだ。まして、ありとあらゆるポジションの役割が変わっている。20世紀のサイドバックは、ビルドアップへの貢献をそれほど求められていない。

 ロベルト・カルロスはSNSを通じ、ブラジル代表の後輩マルセロをナンバー1に、イタリア代表の「レジェンド」パオロ・マルディーニをナンバー2に選んでいる。攻撃力なら前者だが、DFの基礎として必要不可欠な守備力をふまえると後者が圧倒的に上まわる。

【永遠に語り継がれる名手のひとり】

「歴代最高──」の議論は、世代間でギャップが生じる。60代と10~20代では見てきた選手が異なるからだ。

 10~20代が歴代最高の左サイドバックを選ぶとしたら、パリ・サン・ジェルマンのヌーノ・メンデス(ポルトガル)、バルセロナのアレハンドロ・バルデ(スペイン)、マンチェスター・シティのヨシュコ・グヴァルディオール(クロアチア)などが挙げられるだろうか。

 しかし、筆者のような世代が思うに、左足の破壊力でロベルト・カルロスを上まわるタレントは、現代にはいない。歴代最高の左サイドバックのひとりに挙げるのは間違いなく、マルセロ、マルディーニを含めた3人は「甲乙つけがたし」と考える関係者も少なくないだろう。

 あえて繰り返すが、ロベルト・カルロスの左足から放たれる強烈な一撃は、誰もがコピーできる安価なものではない。天性の肉体的な素養と日々の弛まぬ鍛錬によるものだ。アウトサイドで強くボールをこすれば下半身に強度の負担がかかり、長期欠場に追い込まれかねない。それでも、全盛期のロベルト・カルロスは負傷が極めて少なかった。

 この左サイドバックは、永遠に語り継がれる名手のひとりである。引退して10年以上──、いまだ「ロベルト・カルロス二世」と謳(うた)われる選手が現れない事実が、この男の価値を証明している。

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