西部謙司が考察 サッカースターのセオリー
第84回 サディオ・マネ
日々進化する現代サッカーの厳しさのなかで、トップクラスの選手たちはどのように生き抜いているのか。サッカー戦術、プレー分析の第一人者、ライターの西部謙司氏が考察します。
アフリカネーションズカップで優勝したセネガル。決勝では判定への不満に試合ボイコット寸前。その際にサディオ・マネの行動が話題になっています。
【セネガルを救った男】
アディショナルタイムは8分の表示。6分をすぎ、VARの介入後、モロッコにPKが与えられた。
アフリカネーションズカップ決勝。この試合の判定に不満を募らせていたセネガルの選手たちは、ペナルティスポットを囲んでPKを蹴らせず、監督からの指示もあり、やがて選手たちはロッカールームに引き上げていく。
ただ、サディオ・マネだけはフィールドに残った。そしてひとりだけ試合再開を主張していた。
15分ほど経過したあと、セネガルの選手たちはロッカーを出てフィールドに戻る。マネの呼びかけに応じたのだ。
モロッコのPKで再開、これがほぼラストプレー。ブラヒム・ディアスはGKの逆をついて軽くチップさせて狙ったが、いったん倒れていたGKエドゥアール・メンディは素早く起き上がり難なくキャッチ。
延長に突入した94分、マネのボール奪取からパプ・ゲイエがミドルを決める。これが決勝点となり、セネガルが開催国モロッコを下して優勝した。
もし、セネガルがあのまま試合をボイコットしていたらどうなっていただろう。
もちろん試合放棄でモロッコの優勝が決まっていたが、それだけでは済まなかったはずだ。試合放棄を先導した監督の資格停止、CAF(アフリカサッカー連盟)公式戦の出場停止、W杯までの活動にも影響は及んだかもしれない。さらにアフリカ最大の大会の権威は地に落ち、CAFの運営には大きな疑問符がつけられただろう。
マネはセネガルのみならず、アフリカ全体のメルトダウンを救ったと言える。しかも、ただひとりで。
【集団心理の恐さ】
セネガルの総意はボイコットだった。不当な扱いによる敗北よりも試合放棄を選んだわけだ。PKの判定自体は妥当だったが、その直前のゴールをファウルで認められなかったことが伏線となって、判定への不満が爆発している。
アフリカにおいて、サッカーはたんなるスポーツではなくなることがある。敗戦に怒ったファンが暴徒化するなど、過去にはいくつかの問題も起きている。
今回のセネガルも情動が暴走していた。ただ、全員が試合放棄に傾くなか、マネだけが違う主張をしていた。しかも最終的に全員を説得してフィールドに呼び戻したのは、驚嘆のほかない。
マネの主張はシンプルで「プレーを止めるのはよくない」だった。「勝とうが負けようが関係ない。プレーすることが重要だと思った」という。結果的に最悪の事態を回避し、チームも優勝できた。しかしマネの主張は損得ではなく、彼の価値観が試合放棄をよしとしなかったわけだ。チームの総意には反している。全員がボイコットしようとするなか、ひとりだけ従わなかった。同調圧力に流されず、彼にとっての正しさを曲げなかったのがすごい。
ロッカーに引き上げた選手たちも、試合放棄に必ずしも賛成ではなかったのだろう。マネの呼びかけに応じて全員がフィールドに戻っている。一時は感情的になっていたかもしれないが、落ちついて考えればマネが正しいと判断したのだろう。集団心理の恐いところかもしれない。
【極限で踏みとどまるセンス】
ラグビー界の重鎮だった大西鐵之祐は著書の『闘争の倫理 スポーツの本源を問う』のなかで、指導の動機について「戦争を起こさないため」と書いていた。
戦争は始まってしまえば殺し合いは不可避なので、起こる前に止めなければならない。全体の空気が戦争に向かうなか、同調圧力に流されず踏みとどまらせるのはエリートの役割であり、そういう人材を育てたいという内容だったと記憶している。
ラグビーはフィジカルコンタクトのボールゲーム。外見上は暴力に近いスポーツだ。大西は勝利至上主義的だったが、そのなかでなおファウルをしない、フェアであること、暴力とスポーツの間の一線を越えないことを求めた。ぎりぎりまで追い込んでおいて、なお踏みとどまれる精神力を鍛えるという少々回りくどいアプローチなのだが、ラグビーという競技の性質がそれに向いていると考えていたようだ。
マネがひとりで踏みとどまり、ひとりで事態を回収した姿を見て『闘争の倫理』を思い出した。
話は変わるが、ベルギーに行った時に地元の高校生がやたらと髭を生やしていたことがある。どうも流行っていたらしい。欧州人はあまり周囲に流されないと思っていたが、案外そうでもないと気づいた。皆がやっているから自分も、というのはたぶんどこにでもあることなのだろう。
ただ、日本で髭面の高校生は考えにくい。流行っているからといって、髭もじゃの高校球児が甲子園で野球をしている図は想像できない。周囲が許さない。流行りや同調圧力みたいなものはどこにもあるのだが、社会の反応が違うのだ。ベルギーの高校生が髭を生やしたところで、法に触れるわけでも迷惑をかけるわけでもなく、大人は無関心だった。社会の個に対する扱いの違いだ。
一方、少数のうちは批判されても、一定数を超えてしまうと扱いが一変するということもよくある。ギャルも数が増えたらもてはやされるようになったわけで。
つまり、日本はサディオ・マネを生み出せるだろうか、ということである。
マネもずっとセネガルにいたら、あの行動はとらなかったかもしれない。アフリカの選手は監督に対して従順なところがあり、集団の総意をひとりで覆そうとしたのはマネだけだった。欧州で異文化に揉まれ、そのなかで成長してスターになり、トッププロとして大きな視座を手にしたマネは特殊なケースなのだろう。
皆がそうなら、社会がそうなら、仕方ない。長いものには巻かれろ。これも長い年月の末に獲得した生存戦略として正しいのかもしれない。しかし、ただひとりでも抗う者がいたことで全員が正気を取り戻すこともある。マネがいてセネガルは幸運だった。
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