【箱根駅伝2026】早稲田大・山口智規が見せた意地の2区日本...の画像はこちら >>

前編:早大のエース・山口智規が駆け抜けた4年間

2年時から早稲田大のエースとして走り続けてきた山口智規(4年)。今季は駅伝主将を任された重圧も背負い、個人として、チームとしても走り続けてきた。

最後の箱根駅伝は3年連続出走となった2区で日本人トップの区間4位、タイムも早大記録を大幅に更新してみせ、総合優勝には届かなかったものの、「強い早稲田」を印象づける結果を残した。

山口にとって早大での4年間はどのようなものだったのか。追求し続けてきた「トラックと駅伝」の両立への紆余曲折を中心に、振り返る。

【重圧を背負いながら2区で快走】

「いやあ、マジきつかったです」

 箱根駅伝を終え、111代目の駅伝主将の重責から解放された山口智規はこんな言葉を発した。その表情は清々しかった。

 ストレスからなのだろう。全日本大学駅伝が終わったぐらいから、耳鳴りや耳のあたりの痛みに苦しみ、扁桃炎の診断を受けていたという。睡眠も浅く、毎晩午前2時、3時ごろに目が覚めてしまっていた。そんな不調からも、今ではすっかり解放された。

「(箱根駅伝が)終わってからなくなったんです。よく寝られるようにもなりました(笑)」

 チームのエース、そして駅伝主将として、それほどまでに大きな重圧と戦ってきたということだ。

 今季の目標としてきた総合優勝は、果たせなかった。それでも、チームは幾度も見せ場を作った。

 山口自身もまた、3年連続の「花の2区」で日本人トップの区間4位と快走。日本人では歴代で4人目となる1時間5分台に突入し、自身の持つ2区の早大記録を大幅に更新する1時間05分47秒の快記録で23.1kmを駆け抜けた。

「悔しい(総合)4位ではありましたけど、強い早稲田が帰ってきたというのは、この1年間かけて証明し続けることができました」

 レース直後の報告会では、堂々とこう言いきることができた。

 正直に言ってしまえば、山口にとって最終学年を迎えるまでの3年間は、高校生の頃に思い描いていた理想とはだいぶ違ったものだった。

 山口は福島・学法石川高時代に5000mで高校歴代3位(当時)の13分35秒16をマークしており、入学したばかりの頃はトラック志向が強い選手だった。

「もっとトラックを突き詰めたいと考えていましたから。でも、箱根も走らないといけなかったので、どうやって1年間を過ごさないといけないのかを、3年間をかけて模索しながらやってきました。

 今振り返ると、たぶんあんまり陸上がよくわかっていなかった。どうやって結果を残していけばいいのかっていうのが......」

【駅伝を走ること自体がダメというわけではない】

 トラックに専念するという選択肢もあったかもしれない。だが、山口はそうはしなかった。

「箱根が悪いとか、駅伝がダメだとか言われることもありますが、そう言っている日本の風潮のほうが悪いんじゃないかなって思っています。トラックを目指しているなかで、どういう取り組みで駅伝に向かっていくのかが大事なのであって、駅伝を走ること自体がダメというわけではない。

 現にヨーロッパの選手だってハーフマラソンを走っているじゃないですか。世界陸上の10000mで3位だったスウェーデンのアンドレアス・アルムグレン選手は、5000mを12分44秒で走りながらハーフを58分41秒で走っています。そういう選手もいるんです」

 山口が例に挙げたアルムグレンは、5000m、10kmロード、ハーフマラソンの3種目で欧州記録を持つ。長距離でそれほどの実績がありながら、1500mの自己記録は3分32秒00と日本記録より3秒以上速く、800mからハーフマラソンまでマルチにこなす選手だ。アルムグレンの例は極端にせよ、山口もまた、高いレベルでトラックと箱根駅伝との両立を目指した。

「やっぱり両方でしっかり結果を残せるのが早稲田らしさだと思いますし」

 大学生になって、こんな新たな理想像を思い描いていた。 

 1年生の頃はなかなか自己記録に見合った活躍を見せられなかったが、大学2年目のシーズンは、自身の理想像に少しだけ近づいた。新年度を迎える直前の3月に行なわれたTOKOROZAWAゲームズの3000mで、三浦龍司(現SUBARU /当時順大)やヴィクター・キムタイ(城西大)に競り勝ち1着になると、5月の関東インカレは5000mで3位入賞を果たした。

 ロードシーズンに入っても活躍は続く。秋にはクラウドファンディングで募った寄付金を元手にチェコ遠征を敢行。11月の上尾シティハーフマラソンでは当時の早大記録を30秒以上上回り、1時間01分16秒の好記録をマークした。

 さらに、箱根駅伝では初出場ながら花の2区を担い区間4位と好走。

8人抜きの活躍で、記録も1時間06分31秒と、渡辺康幸(現・住友電工監督)が持っていた早大記録を実に29年ぶりに塗り替えた。

 それだけに止まらない。年度の終わりの日本選手権クロスカントリー競走では日本一の称号を手にし、世界クロスカントリー選手権で初めて日の丸をつけた。

 臙脂のエースは、押しも押されもせぬ大学長距離界を代表する選手に駆け上がっていくかに思われた。

つづく

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