セルジオ越後の「新・サッカー一蹴両断」(26)

【Jリーグ】セルジオ越後が振り返る「チェアマン特別賞」受賞「...の画像はこちら >>

 昨年12月11日、Jリーグの2025シーズン年間表彰式にあたる「Jリーグ・アウォーズ」が開催(横浜アリーナ)。「webスポルティーバ」でもおなじみのご意見番、セルジオ越後氏が「チェアマン特別賞」を受賞した。

 セルジオ氏はその場で「長い人生の中にいくつか忘れられない日があります。今日は、そのひとつになりました。ありがとうございます」と感謝の言葉を述べた。来日から50年以上、Jリーグ誕生から30年以上と、長きに渡り日本サッカーに伴走し続けてきたセルジオ氏に、あらためて受賞の喜びを聞いた。

【僕はJリーグでプレーしていない】

 私事で恐縮だけど、昨年12月に行なわれたJリーグ・アウォーズで「チェアマン特別賞」をいただいた。

 最初に話をもらった時は「僕はJリーグでプレーしていないのに、なぜ?」と疑問に思った。野々村芳和チェアマンのことは彼が中学生の頃から知っていて、今でもたまに電話や食事をする仲。ひょっとすると、以前に「日本サッカー協会は殿堂入りさせてくれたけど、Jリーグは何もやってくれないなぁ」と冗談で言ったのを覚えていてくれたのかな。忖度(そんたく)の賞だね(笑)。

 でも、授賞式でも言ったように、忘れられない日になった。皆さんに感謝したいです。

 ご存じのように、僕はJリーグでプレーしていない。監督もやっていない。

また、サッカー教室で全国を回っていたから、「たくさんJリーガーや代表選手を育てた」みたいなことをよく言われるんだけど、冷静に考えて、年に1日や2日かサッカー教室で会って、「育てる」なんて無理。あくまで選手本人の頑張りだし、日々、選手と向き合っている指導者にも申し訳ない。「俺が育てた」なんて言ったら泥棒だよ(笑)。

 それでも、普及面での貢献ということで評価してくれたのなら素直にうれしい。実は、サッカー教室をやっていた時に、読売クラブ(現・東京ヴェルディ)から監督のオファーをもらったことがある。銀座のクラブに連れていかれて「監督をお願いできませんか」って。でも、当時の自分は、ひとつのクラブを優勝させる仕事よりも、サッカーファンを増やす仕事(サッカー教室)にやりがいや手応えを感じていたから断ったんだ。

 サッカー教室でプロ選手はつくれないけど、サッカーの楽しさを伝えることで、確実にサッカーファンを増やせる。つまり、「強化」ではなく「普及」だ。サッカー選手になれなくても、サッカーが好きになったら試合を観に行こうとなる。子供だけじゃない。親、兄弟、先生も巻き込んで、裾野(すその)を広げられる。

そういう活動を20年以上続けられたことは僕の誇りであり、スタンドを埋めるという点で少しはJリーグに貢献できたのかな。

【ラモスと木村の受賞は当然】

(一緒に受賞した)ラモス(瑠偉)と木村(和司)の受賞は当然だろう。日本リーグ時代から活躍し、Jリーグが誕生した時も、2強のヴェルディ(当時ヴェルディ川崎)と横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)の10番を背負った看板。世間の注目を浴びるなか、Jリーグを引っ張った。ふたりとも昔からよく知る仲なので、僕もうれしいし、おめでとうと言いたい。

 ラモスとはいろいろあった。昔は日本でプレーするブラジル人同士で助け合っていて、オフの日にみんなでボールを蹴って遊ぶほど仲がよかった。ケガや病気をしたらどこのお医者さんがいいといった生活の情報を共有したり、チームとの契約交渉時のアドバイスをしたりすることもあった。チームから減俸を提示された彼に「今は我慢しろ」と言ったこともある。あの時、日本に残って大正解だったよね(笑)。

 木村とは一緒にプレーしたことはないんだけど、彼が高校(広島工業)時代に、僕がコーチを務めていた実業団と練習試合をしたのが最初の出会い。彼と1学年上の金田喜稔(元日本代表MF)は、僕のチームの選手よりうまかった(笑)。

木村もその時のことを覚えていて、「(実業団の)選手よりもセルジオさんのほうがうまかったね」と言われた。

 アウォーズを観にきた若いサポーターは、僕らを見てもピンとこなかったと思うけど、オールドファンは喜んでくれたみたいで、それもよかった。

 今季のJリーグはシーズン移行にともない、半年間の変則開催となる「百年構想リーグ」がもうすぐ開幕する。そして、8月には秋春制のリーグが始まる。次から次へと課題はたくさん出てくるけど、期待して観続けたい。

(25)を読む>>>ロス五輪世代のアジア制覇に、セルジオ越後「結果を出したのに、報道が少ないのは残念」「僕が選ぶMVPは...」

 

 

 

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