「地獄を味わった」と語る岡慎之助が太田海也の言葉に感銘「その...の画像はこちら >>
太田海也×岡慎之助 スペシャル対談 中編

 自転車競技&競輪の太田海也と体操の岡慎之助のスペシャル対談。中編では、互いに初出場したパリオリンピックを振り返る。

栄光や挫折を経験した当時の心境から、現在に至るまでの気持ちの変化を語り合った。

【強い気持ちでパリオリンピックへ】

――オリンピックに関してはパリ大会がお互い初出場でした。太田選手はローイング(ボート)競技から転向し、パリ大会前の取材では「結果を出さないほうが失礼」と不退転の心境を語っていました。岡選手は大ケガからの復帰で並々ならぬ思いがあったかと思います。パリ大会にはどのような思いで臨みましたか。

太田 自転車を始めてからパリオリンピックまでがちょうど3年くらいで、その間に日本競輪選手養成所にも入りました。ずっとオリンピックを目指していましたが、周りからは「ポッと自転車競技に入ってきたやつがオリンピックに出られるわけがないだろ」みたいな感じで言われて、それがすごく悔しくて......。

 だから自主練も制限されているなかで、睡眠の質を上げるとか、食事をちゃんと調整するとか、できることをすべてやろうと思って過ごしてきました。毎日その日1日を振り返って、何かもっとできることはなかったのかと考えたりしていました。

 それでパリオリンピックの1年くらい前になってようやく代表で結果がついてきて、出場が現実味を帯びてきたので、そこからはメダルを目指して取り組んでいました。

 僕はパリオリンピックの2年前、世界選手権の出場を狙っていた試合でケガ(※1)をしてしまいました。そこで代表を掴めなかった悔しさと、あともう2年しかないという焦りがありました。
※1 2022年4月の全日本選手権で、右膝前十字靱帯断裂(全治約10カ月)の重傷を負った

 そこからは慎重にトレーニングを重ねつつ、ケガをする前よりも強くなって復帰しないと代表にもメダルにも手が届かないという思いで毎日を過ごしていました。

リハビリ期間もずっと、太田選手と同じように「1日も無駄にしたくない」という気持ちでやっていました。リハビリも生ぬるい感じではなくて、「ガチでリハビリやってます」みたいな意識で、「絶対に負けねえぞ」という強い気持ちでトレーニングに取り組んでいました。

 復帰してから1年はそれほどいい成績ではなかったんですが、「代表にはなれる」という自信もあって、そこでちゃんと代表にもなることができました。

「地獄を味わった」と語る岡慎之助が太田海也の言葉に感銘「その感覚はすごく大事だなと思います」
競技を始めて約3年。悲願だったオリンピックに出場した太田 photo by JMPA

【パリオリンピック後の思い】

――太田選手は男子スプリントの準々決勝で反則の判定もあって敗れ、男子ケイリンでは準決勝で失格により敗退と、望むような結果ではなかったと思います。パリ大会を今どう捉えていますか。

太田 結果としては本当に最悪でしたが、自分がやってきたことは間違いじゃなかったと自信を持って言えます。ただ今でもヨーロッパでやる大会では、判定に関して正直不安な気持ちはあります。

 でもそんなネガティブな気持ちもすべてロサンゼルスでいい結果を残すためのフリだと思うようにしています。サクセスストーリーにするためにも、ロサンゼルス大会では誰よりも成績を残せるように頑張りたいですね。

――岡選手は団体総合、個人総合、鉄棒で金メダル、平行棒で銅メダルと、これ以上ないというほどの成績です。パリ大会の結果を今はどう捉えていますか。

 準備してきたことが出せた試合でした。結果がすべての世界ですが、そこを意識しすぎないというか、パリ大会前は「絶対に勝つぞ」「金メダルを獲るぞ」という気持ちを持ちつつも、大会に入ったら競技だけに集中していました。

結果を出そうと変な欲が出るといつもとは違う動きになってしまうので、その辺のバランス感覚は気をつけるようにしていましたね。

「地獄を味わった」と語る岡慎之助が太田海也の言葉に感銘「その感覚はすごく大事だなと思います」
パリオリンピックでは圧倒的なパフォーマンスで世界中の目をくぎ付けにした岡 photo by JMPA
 金メダルを三つ獲ったからといって、何かが変わったわけではありません。ただオリンピックが終わって注目されることも増えて、変なプレッシャーや「人のために頑張らなきゃ」という気持ちがあって、それが自分の動きを邪魔している感じがありました。

 2025年は「自分のためにできているのか」という葛藤がすごくありました。5月の選考会(NHK杯)で連覇はできましたが、世界選手権は(個人総合で)5位と、目立った成績をあまり残せませんでした。今は「自分のためにやればできるんじゃないか」と、そう思っています。最後はその気持ちが大事なんじゃないかと。

 パリオリンピックの後は、気持ちが絡まっていたというか、わからなくなりそうな感じでした。内村(航平)さんも「2回目が勝負だ」と言っていたので、2回目のオリンピックが本当の勝負なのかなと思っています。

【「本当に楽しくなかった」】

――今、世界選手権の話も出ましたが、2025年10月下旬に自転車競技も体操も世界選手権がありました。太田選手はケイリンで初の決勝に進出しましたが、この世界選手権はどう捉えていますか。

太田 2025年もしっかりと練習をしていましたが、その前の2024年がオリンピックに向けて熱を入れていた分、練習の時しか練習のことを考えない、僕からしたら何もしていないような1年間でした。

 世界選手権ではメダルこそ獲れませんでしたが、ケイリンで決勝も走りましたし、絶対王者とも対戦して、そんなに力の差はないな、もっと努力して追いこんでいけば手の届く存在だなと思いました。

国内でもすごくいい成績が出たりしたので、前の年の上積みがあったおかげだったかなと思っています。

 2025年のテーマのひとつが、どこまでリラックスして競技に臨めるか、どれだけ楽しめるかでした。岡選手と違って、僕はオリンピックでメダルが獲れなくて、誰にも注目されていないような状態だったので、2025年はすごくリラックスして各大会に臨めました。そんななかで「競技ってやっぱり楽しいな」「自転車っていいな」と思いながら生活していたからこそ、成績が伸びていった感覚があります。

「地獄を味わった」と語る岡慎之助が太田海也の言葉に感銘「その感覚はすごく大事だなと思います」
太田は先の世界選手権の男子ケイリンで4位となった(写真右端)

 その感覚はとても大事だなと思います。僕もパリ大会は初めてのオリンピックでしたが、あの時はすごく楽しかったんですよ。リラックスして自然体で臨めていました。もう「何でも行ける」みたいな感覚で、やりたいことが本当に難なくできていたんですけど、この間の世界選手権は本当に楽しくなくて、体操を嫌いになるんじゃないかというくらい噛み合っていませんでした。パリの時ほどコンディションがよくはなく、体調不良もあって理想の演技からかけ離れていたため、なかなか気持ちも乗ってきませんでした。

「メダルを獲りたい」という気持ちを持っていましたが、「本当に獲れるのかな」という、自分を疑うような状態で、そういう邪念を持ちながら世界選手権に行っちゃったかなと思います。苦痛というか地獄を味わいましたね。だから太田選手が言うように、競技を楽しむという気持ちは大事にしたいですね。

「地獄を味わった」と語る岡慎之助が太田海也の言葉に感銘「その感覚はすごく大事だなと思います」
先の世界選手権で個人総合5位となった岡。迷いの中での演技となってしまった photo by AFLO
太田 僕はオリンピックの時にそんな気持ちでした。初日のチームスプリントで思うような結果が出なくて、「まじできついわ」「明日オリンピックが終わってくれたらいいのに」と思っていました。せっかく出場できたのに、「もうオリンピックの舞台で走りたくない」みたいな気持ちになってしまって......。それじゃあメダルは獲れないですよ。楽しまないとやっぱりダメだなと思います。楽しめた時にだいたいいい成績がついてくることがわかってきましたね。

【高め合える存在】

――常に高い状態でメンタルを保ち続けることは本当に難しいと思います。自分のモチベーションを上げてくれるような選手や刺激を与えてくれる存在はいますか。

 同級生にフィギュアスケートの鍵山(優真)君がいて、彼の全日本選手権の滑りを見たりしていました。鍵山君は先にオリンピックでメダルを獲っているんですよ(※2)。その時のメダルを見せてくれて、「同期に1本とられたな」みたいな感覚があって、そこで一気に自分のスイッチが入りました。それがパリオリンピックにつながったのかなと思います。


※2 2022年の北京冬季オリンピックで団体戦と個人戦でともに銀メダルを獲得

太田 僕の場合はナショナルチームで一緒にやっている中野慎詞選手ですね。一時期ケンカをして、並んで練習をしているのに目も合わさないような状態が1年半くらいありましたけど(笑)。同級生で、養成所の同期でもあって、彼のことはやっぱり常に意識していますし、すごくいいライバルだなと感じています。

 彼がだらけていると僕もだらけてしまうし、僕がだらけていると、たぶん彼もだらけてしまう。お互い「それぐらいでいいか」となりがちなんですが、そんななかでも支え合っている関係ですね。

対談 後編に続く>>

【Profile】
太田海也(おおた・かいや)
1999年7月27日生まれ、岡山県岡山市出身。高校時代はボート競技で活躍し、全国高等学校総合体育大会で優勝するなどし、U-19代表に選出される。大学でもボートを続けるが、19歳で自転車競技に転身。2021年に日本競輪選手養成所に入所し、早期卒業を果たした。2022年1月に競輪でデビューし、8月にはS級2班に特別昇級。同年からナショナルチーム入りし、数々の国際大会に出場。2024年にはネーションズカップで優勝するなど好成績を残し、パリ五輪の代表入り。

本大会では3種目に出場した。

岡慎之助(おか・しんのすけ)
2003年10月31日生まれ、岡山県岡山市出身。4歳からでおかやまジュニア体操スクールで体操を始め、高校から徳洲会体操クラブに所属。2019年には世界ジュニア体操競技選手権で金メダル2個を含む4個のメダルを獲得するなど、将来を嘱望される選手となる。2022年に右膝前十字靱帯断裂の大ケガを負うも、2024年5月のNHK杯の個人総合で初優勝を飾り、パリ五輪の出場権を獲得。本大会では団体総合、個人総合、鉄棒で金メダル、平行棒で銅メダルを獲得した。

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