流しのブルペンキャッチャー回顧録
第1回 澤村拓一(元巨人ほか)前編

「流しのブルペンキャッチャー」──いったい、なんだと思われるでしょうなぁ。

  今から26年前。

雑誌『野球小僧』(現・野球太郎)の連載企画として始まった前代未聞の取材記事。時のドラフト1位クラスの快腕、剛腕にお願いをして、ブルペンで全力投球してもらったボールを私が捕球する。その「体感記」とインタビューの内容を記事にする。

  最初はお願いしても片っぱしから断られ......そりゃそうだ。ヘタして受け損なって当たりどころでも悪ければ、命だって落としかねない。そんな危険な体当たり取材。私が指導者であっても、やはり断っている。

  それでも、10人にひとりかふたり、取材を許してくださる指導者の方たちがいて、細々と続けていくうちに、おかげさまで人気企画になって、なんだかんだで25年が経過した。

  2000年の内海哲也投手(当時/敦賀気比高)をスタートに、ざっと200人以上に及ぶドラフト1位クラスのボールを受け続けてきた。新型コロナウイルスが流行し始めた2020年以降は感染怖さに回数は減らしているが、それでも不定期でミットは構えている。 

  そんな折、「流しのブルペンキャッチャー回顧録」として当時の様子を書き残しては、というお話をいただいて、連載を始めることになった。

  大谷翔平菊池雄星菅野智之......ドラ1候補の大物ばかり受けてきたから、今はビッグネームに台頭した快腕たちも数知れず。

そんななかから、第1回は昨季限りで現役を引退した澤村拓一投手を振り返ることにした。

命がけで受け続けて25年 ドラフト1位クラス200人超のボー...の画像はこちら >>

【未到達ゾーンの150キロに挑戦】

 2010年、当時の中央大学投手陣は澤村、山崎雄飛のふたりの4年生右腕が大黒柱を担っていた。

 当時は未到達ゾーンだった「150キロ」をクリアしていた澤村に、レギュラー捕手すら受け損なう「魔球フォーク」を操る山崎。ひとりだけでも大仕事なのに、今回はいっぺんにふたりだと聞いて、私の気持ちは重く沈んだものだ。

 山崎は芝浦工大高から中央大に進学。卒業後は、社会人野球の名門・東京ガスのマウンドを守って奮投した。

 この企画が始まって、その頃でおよそ10年。おそらく、すでに100人近くの快腕・剛腕のピッチングを受けていたが、受ける私に「自信」なんて、これっぽっちもなかった。
 
 ひとつ間違えば、こちらの命も吹っ飛びかねない「ハイリスク」な取材方法。当日が迫ってくると、いつもブルーに落ち込んでいたものだ。
 
 そもそも、「流しのブルペンキャッチャー」なんて、私がやりたくて始めたことじゃない。『野球小僧』のインタビュー取材で内海投手のもとへ向かう数日前。編集長との雑談で、私がつい口を滑らせてしまった。

「内海って、どんなボール投げるんですかね......受けてみたいですね」
 
 それを受けた編集長が即答する。

「安倍さん、それ面白いですね、やっちゃいましょうよ!」
 
 企画書も会議もなく、たった3秒の立ち話で決まってしまったことが、20年以上も続くロングラン企画になるのだから、「もののはずみ」というのは本当に恐ろしい。

【高校時代は3、4番手の控え投手】

 東京・八王子にある中央大学野球部グラウンド。ネット裏スタンド下の薄暗い通路で、ひとりの選手とすれ違った。

  顔つきは見えなかったが、こっちが避けないとすれ違えないほどの肩幅と、分厚い胸板。

 「こんちは! おじゃまします!」

 すれ違いざま、「ん?」と思って振り返った時に見えた「ケツ」でわかった。

「澤村くんでしょ?」

「はいっ!」

  リーグ戦での堂々たるマウンドさばきと投げっぷりを見ていたから、もっとふてぶてしいヤツかと思っていたら、まるでそうじゃない。

  短く刈り込んだイガグリ頭に、まん丸い目がクリクリとよく動く。こちらの荒れ球気味の問いもちゃんと受け止めて、一生懸命話してくれたことを、今でも覚えている。

  話すというよりは、快活によくしゃべってくれた。言葉の表情まで豊かな、とても愉快なインタビューになった。

 人は、会ってみないとわからない。

「高校(佐野日大高)に入ってすぐメンバーに入れてもらって、もうその夏頃には、オレってすごいなんて思っていました。だから、そこから先は、ずっと伸び悩みでした」

 言いにくいはずのことも、はっきりと話す。ピッチングそのままに、速球勝負でガンガン飛ばしていく。

「高校では、最後まで3番手か、4番手。大学に入る時も、スピードは並みだし、武器になる変化球もなかったんで、リーグ戦で投げられるなんて思えませんでした。もう、不安だけでしたね」

 それが、「鬼の東都」で4年間通算26勝(1部19勝、2部7勝)。2年春に2部だった中央大を1部リーグに引き上げる推進力となって、3年秋には神宮球場最速記録の156キロをマーク(4年春に157キロを更新)していた。

 山崎が、こんな逸話を言い添えてくれた。

「1年の春に入寮した時、1年生って、風呂に入るのも最初はオドオドして、『失礼、します......』って感じじゃないですか。それが、澤村だけ、『ちゅーす!』みたいな感じで、平気な顔でズカズカ入ってきて。なんか、1年じゃないような異様なムードでしたね、最初から。たとえば自主練も、最初の頃は何やっていいのかわからないのに、澤村だけは、坂道ダッシュ50本とか、自分からガンガンやってるし。

まるで、上級生ですよ」

 澤村は目をギラつかせながら、言葉に気合を込める。

「自分としては『やる!』って思ったことは必ずやるって決めているんで。ハイ」

つづく>>


澤村拓一(さわむら・ひろかず)/1988年4月3日生まれ、栃木県出身。佐野日大高から中央大に進学し、東都大学リーグで最速157キロをマークするなど剛腕として名を馳せる。2010年ドラフト1位で巨人に入団。1年目に11勝を挙げ新人王を受賞。15年からはクローザーに転向し、翌16年に最多セーブのタイトルを獲得した。20年途中にロッテへ移籍。翌21年から米大リーグのレッドソックスでプレーし、2年間で104試合に登板。23年にロッテへ復帰し、25年限りで現役を引退した

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