ミラノ・コルティナ五輪は数々のドラマを残し、惜しまれつつ幕を閉じた。新たな冬のオリンピックの歴史を刻み、次のフランスアルプス五輪につながるだろう。

日本は史上最多24個のメダルを獲得した。

 そのオリンピックの日々を、ダイアリーエッセイで振り返った。競技の空気感や選手の息遣いが聞こえるような記事はほかに書いているので、ここではあくまでこぼれ話を。駆け足でミラノでの日々を共有できたら......。

【ミラノオリンピック】「これぞフィギュアスケート」という光景...の画像はこちら >>
2月3日

 朝早くミラノのマルペンサ空港に着いた。ボランティアに誘導され、取材パスを有効化する。報道関係者にとっては最優先事項なのだが、隣には選手もいた。ハンガリーのフィギュアスケーターで、ポーズをとって記念撮影をしていた。ボランティアも一緒に写真に収まる。祭りの始まりだ。

 午後、トラムを使って市内に入った。今回、報道関係者は公共交通機関を無料で利用できた。

スフォルツェスコ城、ドゥオーモ、スカラ座などを次々に巡った。広場にはオリンピックのイベント会場も用意されていたが、市民に話を聞くと、あまり関心が高いとは言えなかった。競技の開催地がミラノだけでなく、バスで7時間もかかる場所にもあり、分散していることもあるのだろうが......。

2月6日

 サン・シーロ、もしくはジュゼッペ・メアッツァで開会式は行なわれた。名称が一定しないのは、ここを本拠にするACミラン、インテルのサッカークラブが町を二分しているからで、どちらも譲らない。イタリアにおけるカルチョ(サッカー)人気は日本人の野球以上で、この日も大手スポーツ紙『コッリエレ・デッロ・スポルト』は39ページ中29ページがカルチョで、五輪関係はわずか3ページ。モータースポーツやバレーボールも人気だが、構図は歪なほどだ。

 開会式ではイタリア人の芸術意識の高さを感じられた。スタジアムに一枚の絵が描かれる演出は見もので、光や音の使い方は気が利いていた。もっとも、選手入場は別の会場でも行なわれていることもあり、臨場感はテレビのほうが伝わったかもしれない。イスラエルの選手団の入場はブーイングだった。欧州ではパレスチナ侵攻への嫌悪感は、特に強い。

【りくりゅうはコーラで乾杯】

2月8日

 取材の合間にホテル近くを散策。ミラノ最古のサンタンブロージョ教会には日曜の礼拝で、大勢の家族連れが訪れていた。

司祭が何やらマイクで伝える。懺悔室を珍しそうに見ていると、シスターが「何か告白なさいますか?」と声をかけてくる。ほかにもいくつか懺悔室はあって、扉が閉められ、中に灯りがかすかに灯っていた。厳粛だが優しい雰囲気で、4世紀に神殿があった場所に建てられたというからパワースポットだ。

 午後、フィギュアスケートの試合会場に地下鉄で行く。早めに到着したので、オフィシャルグッズショップに立ち寄ると、「ティナ」「ミロ」というオコジョをモチーフにした大会キャラクターのぬいぐるみはすでに売り切れ状態だという。

「ティナ」の入ったスノードームは残っていて、「白いオコジョは守り神なの。あなたのことを守ってくれるはずよ」と女性店員に勧められる。その売り文句がなんだか怪しく、「ちょっと考えるね」とその場を後にした。しかし10分後に思い直して再び店に行ってみると、長蛇の列だった。大会グッズの購買欲は侮れない。

2月12日

 元スピードスケート選手でメダリストの髙木菜那さんが、Xで「どうやったらシャワーを浴びて、床が水浸しにならずに済むか」と投稿したことがネットニュースで取り上げられて話題に。

シャワーカーテンも何も仕切りがないもので、アイスホッケー会場のメディアセンターのトイレも近い構造だった。

「西洋人は日本人のようにお風呂やシャワーに入らない」「床はすぐ乾く」「単純に安上がり」......といった意見もあったが、バリアフリー構造で車椅子でも入れる形式だ。ただし健常者がシャワーを浴びるのに不都合で、髙木さんはガラス板がはめられたことで解決したようだ。

2月16日

 近所にあるピッツェリアへ。カルボナーラ味を「ピッコリーノ」(小さいの)とオーダーし、小腹を満たす。秤売りで価格は2.7ユーロ(約500円)。惣菜パンより少し大きめくらいなので安くはないがおいしい! 生地といい、具といい、焼け具合といい。さすが本場のピッツァだ。

 ホテル近くには、レオナルド・ダヴィンチの『最後の晩餐』が食堂に描かれたサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会があった。第二次世界大戦の爆撃も乗り越えた観光地だ。

 夜はフィギュアスケート、ペアのフリー。りくりゅうはショートプログラムでは不覚をとったが、フリーは歴代世界最高得点で巻き返し、金メダルを勝ち取った。

深夜の取材エリアでは、木原龍一がスタッフにコーラをお願いしていたようで、もらったペットボトルのキャップをその場で開け、三浦璃来と乾杯し、渇きを満たした。木原は「お腹が空いて動けない」と言っていたが、金メダルのあとの晩餐は特別だろう。 

高木美帆「解放感はありますが......」】

2月19日

 フィギュアスケート、女子シングルのフリーは、応援の密度が大会で最高だったかもしれない。フィギュアスケートの現場の特徴は、失敗した選手への熱い激励だろう。決して責めることはなく、慈悲深く、共感や友愛に満ち、胸を熱くさせる。たとえばサッカーなどは悪意、憎悪、虚栄心のなかにある一滴の真実を探し求めるスポーツで、試合会場の空気はまるで違う。

 4番手に登場したスイスのキミー・レポンドは女優然とした風貌で、左利きのままジャンプを跳んだが、冒頭2本のジャンプで失敗し、気落ちした様子を見せる。しかし観客の激励で立て直し、その後はジャンプを成功させ続けた。これぞフィギュアスケート、という光景だった。

2月22日

 ベローナでの閉会式の映像がテレビで流れている。走馬灯ではないが、大会取材のさまざまな場面が疲れた頭に去来する。フィギュアスケート団体の戦いは熱かった。

ふだんは個人戦の選手たちが「国を背負って」戦う醍醐味があり、共闘でつかんだ日本の銀メダルは誇るべきだった。女子アイスホッケーは輪島夢叶(ゆめか)選手を中心に追いかけ、メダルには届かなかったが、氷上の格闘技はスペクタクルだった。

 フィギュアスケート男子シングルでは、王者イリア・マリニンがまさかのブレーキで、鍵山優真、佐藤駿が勇躍してメダルをともに勝ち取り、三浦佳生も次につながるフリーの演技だった。ペアのりくりゅうの逆転・金は大会の華だった。女子シングルは坂本花織がラストダンスで銀メダル、17歳の新星・中井亜美は銅メダル、20歳の千葉百音も4位に入り、時代の変わり目を感じさせた。アリサ・リュウ、アンバー・グレンも役者だった。

 記憶に残る風景は尽きないが、最後はスピードスケートでオリンピック通算10個のメダルを勝ち取った髙木美帆がメダリスト会見で語っていた言葉で締めくくりたい。

「オリンピックが終わった、っていう解放感はありますが、どこに解放を感じているのか、自分のなかで判定しきれていなくて。今の感情や時間を味わいたいなって思っている反面、振り返るのがしんどいな、辛いなって思うのもあって、両方ですね。雰囲気や言葉、一個一個を大事に受け取りたいと思います」

 選手たちが人生をかけたオリンピックは終わったが、その余韻を楽しみつつ......。

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