木村和司伝説~プロ第1号の本性
連載◆第3回:金田喜稔評(3)

JSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車、Jリーグ発足後の横浜マリノス(現横浜F・マリノス)で活躍し、日本代表の攻撃の柱としても輝かしい実績を残してきた木村和司氏。ここでは、そんな稀代のプレーヤーにスポットを当て、その秀逸さ、知られざる素顔に迫っていく――。

「とにかく何でもできる子やった」と語る金田喜稔が最も衝撃を受...の画像はこちら >>
 金田喜稔が木村和司について、「とにかく何でもできる子やった」という印象を残している理由のひとつには、高校時代の木村のプレースタイルがあるのだろう。

 というのも、高校2年生の木村は、その後のイメージとはまったく異なる役割を担っていたからである。

「チームの(攻撃の)中心はワシとコマ(小松治生)で、(木村は)ひとつ下の代だったけど、やっぱずば抜けているものは持っていたわけ。だから、アイツは相当点を取ってたと思うんだよね。チームとしても、和司に『点取ってくれよ』っていう頼り方をしてたよ」

 金田が県立広島工業高校(以下、県工)の3年、木村が2年の時の全国高校サッカー選手権大会でのことだ。

 県工は1回戦で巻(新潟県)を相手に、10-0という歴史的大勝を収めたのを皮切りに、準決勝まで勝ち上がり、3位となった。

「ワシらが3年の時は、和司は点取り屋だったから、結構(点を)取ってると思うよ。でないと、ワシらは上には行けなかったからね」

 実際、木村は2年生ながら、1回戦で2ゴール、2回戦でも1ゴールを挙げ、チームの得点源として重責を果たしている。

 しかも、その後の木村を考えると、とりわけ意外なのは、「県工はチビ軍団やったから、FKの時、和司のヘディングに合わせてたんよ」という事実である。

「ワシと同じような身長でも、アイツ、ヘディングが強かったんだよ。リフティングでもそうだけど、ヘディングでボールコントロールするのがめっちゃうまいから。和司は(ヘディングシュートを)よう決めよった」

 木村の当時の身長は定かではないが、Jリーグ登録時でも168センチだったのだから、それより小さかった可能性は高い。

にもかかわらず、「あれは不思議やったけど、アイツ、(空中戦で)勝ちよったもんな。ヘディング、うまいんですよ」とは、金田の回想だ。

 しかしながら、金田が明かす"木村和司伝説"のなかで、それ以上に驚かされるのは、木村がピッチの外で見せる"もうひとつの顔"である。

「県工はめちゃめちゃ厳しい上下関係があるわけじゃないから、アイツは態度がデカかった。(金田の)一個上のキャプテンの楚輪(博)さんは、結構厳しく接しとったけど、アイツ、もう1年の時からワシのことは『キン坊』って呼んでたような気がするよな(苦笑)」

 金田がそんな昔話を木村にすると、「そんなことないじゃろう?」と否定されるらしいが、金田の記憶によれば、「どう考えても『キン坊』って(呼ばれていた)。『金田さん』なんて言われたことないんじゃないかな」。

「たぶん1年の終わりぐらいから、アイツ、ワシのことはずっと『キン坊』って言ってた気がするけどね。ワシらも先輩捕まえて、普通にニックネームで呼んでたから、こっちも言われて何とも思わないし。他のところ(高校)は知らんけど、ワシらんとこはそんな感じで、上下関係がなかったから」

 とはいえ、デカい態度とは裏腹に、金田には「(木村が)あまりしゃべる子じゃなかった」という記憶もある。

 だからこそ、金田の記憶に残るエピソードがあまりに意外で鮮烈だ。

「全国大会へ行くと、旅館に泊まるんですけどね......」

 金田は当時の光景がよみがえったのか、ゲラゲラと笑いながら言う。

「アイツ、森進一のモノマネしたら、めちゃうまかったんですよ」

 当時の全国高校サッカー選手権大会は、まだ関西圏での開催。

現在まで続く首都圏開催になるのは、金田が高校を卒業した翌年度のことだ。

 大阪の旅館に泊まっていた県工サッカー部では、「晩メシ食ったあとは、1年生が芸をやらないかんのです」。それが恒例だった。

 もちろん渋る1年生もいたが、「先輩に言われるから、やらなしゃあない」。

 だが、「おい、和司、なんかやれ!」と言われ、先輩たちの前に立った木村の意外な芸達者ぶりに、誰もが爆笑させられた。

 金田は今でこそ、カラオケに行くと、木村とのデュエットが定番だ。歌がうまいことも知っている。しかし、当時はまだ、木村がこんなヤツとは思ってもいなかった。

 若かりし日の一夜を思い出し、金田が表情を崩す。

「あれは伝説やと思うよ。アイツの森進一、ホンマにうまいから」

 木村は、「とにかく何でもできる子」だったのである。

(文中敬称略/つづく)◆中央大の金田喜稔が、木村和司がいる明治大と試合するのが「嫌だった」ワケ>>

木村和司(きむら・かずし)
1958年7月19日生まれ。

広島県出身。広島工業高→明治大を経て、1981年にJSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車(横浜F・マリノスの前身)入り。チームの主軸として数々のタイトル獲得に貢献した。その間、日本代表でも「10番」を背負って活躍。1985年のメキシコW杯予選における韓国戦で決めたFKは今なお"伝説"として語り継がれている。横浜マリノスの一員としてJリーグでもプレー。1994年シーズンをもって現役を引退した。引退後は解説者、指導者として奔走。日本フットサル代表(2001年)、横浜F・マリノス(2010年~2011年)の指揮官も務めた。国際Aマッチ出場54試合26得点。

金田喜稔(かねだ・のぶとし)
1958年2月16日生まれ。広島県出身。

広島工業高→中央大を経て、1980年にJSLの日産自動車入り。同郷で1年後輩の木村和司らとともに一時代を築く。大学2年生の時に初選出された日本代表でも奮闘。変幻自在のドリブルと独特なフェイントで攻撃の主軸を務めた。19歳119日という日本代表最年少得点記録を保持する。1991年に現役引退。以降、解説者、指導者として奔走し続けている。国際Aマッチ出場58試合6得点。

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