流しのブルペンキャッチャー回顧録
第3回 大谷翔平ドジャース

 大谷翔平を語るということになって、さてどう呼んだらいいのか......。はたと困った。

あれだけの存在になってしまった人を呼び捨てにできないし、二度も会っておいて「大谷選手」ではあまりに他人行儀だし、親戚でもないのに「翔平」は親御さんに怒られそうだし......。

 さんざん思い悩んだ末に、こう考えた。会ったのが高校時代なんだから、その頃の「大谷くん」と呼ぶのがいいのではないか、と。

 大谷くんとの最初の出会いは、彼が花巻東高校の3年生になる直前の冬だったと思う。

 雑誌『野球小僧』の前代未聞の企画「流しのブルペンキャッチャー」もおかげさまで10年を超え、認知してくださる指導者の方も増えて、断られることも少なくなってきた頃だった。

 花巻東の佐々木洋監督が、「間違いなく、日本の野球界のトッププレーヤーになれるヤツ!」と言いきっていたという話を聞いていたので、かなり緊張して花巻に向かったことを覚えている。

花巻東のブルペンで見た怪物の片鱗 大谷翔平、高校3年秋に受け...の画像はこちら >>

【ものの数秒でハートを鷲づかみに】

 花巻東のグラウンドは、学校の敷地内にある。ゴルフ場かと思うほど芝生の美しい「日居城野(ひいじょうの)運動公園」が裏手にあり、こんなに清々しい環境の野球部もそうはないだろう。

 スリムな長身のユニフォーム姿が、向こうから走ってくる。「大谷くん?」と思う間もなく、「こんにちは! 遠くからありがとうございます。お持ちします!」と挨拶し、私の野球バッグを持って監督室に案内してくれた。

 花巻東のウエルカム・グリーティング。もうそれだけで「大谷くん、大好き!」と、会ってからものの数秒でハートを鷲づかみにされた。

 前を歩く大谷くんの後ろ姿を見て、「あれ?」と思った。どこか歩きにくそうにしている。うっすらと積もった雪のせいだろうか......。いや、違う。踏み出す両足のバランスが合っていないのだ。

 じつは、下半身を痛めていると、佐々木監督から聞いていた。
 
「やめとこうか?」と聞いたら、「いや、大丈夫です!」と即答だったので、隣接する花巻球場(現・JALスタジアム花巻)のブルペンへと移動した。

 立ち投げの初球が、飛び上がっても間に合わないほど高く抜けた。大谷くんは突っ立ったまま投げている。その時のイメージは、竹馬に乗って投げているような......それほど強烈な違和感があった。

 5球、6球......。頭より高いボールが続き、指にもまったくかかっていない。

ダメだ......投げるのを怖がっている。

「大谷くん、やめとこう。これ以上、無理だ!」

「いや、大丈夫です!」

 こういう時、真面目で腕に自信のある高校生ほど「大丈夫」だと言う。大人のほうが心を鬼にしないと、取り返しのつかないことになったりする。

「ダメ! これ以上投げたら、壊れる。体調のいい時に、またお願い!」

 今となっては、思いとどまらせて、本当によかったと思っている。

 せっかく岩手まで来たんだから......などとさもしい了見で、あの冷え込んだブルペンで投げさせ続けていたら。もしかしたら、今の「世界の大谷翔平」はいなかったかもしれない。そこまでのことはなかったとしても、万が一と考えたら、今も背中がゾクッとしてしまう。

【球道半ばからの加速力のすごさ】

 というわけで、大谷くんの二度目のブルペンは、高校3年の秋、現役を退いたあとのことだった。まだ十分に暑かったから、9月の終わり頃。いずれにしても、ドラフトを控えたタイミングだった。

「なんだ、現役を退いたあとか......」と思うなかれ。

じつは、高校生の投手のボールは、3年秋が一番えぐい。強いられた練習はなく、公式戦登板という緊張もなく、自分の思うまま調整できる、いわば"ノンプレッシャー"の時期。ただ受けるこっちは、シーズン中より、ずっとプレッシャーがかかる。

 そういうわけで、高校3年秋の大谷くんは、とんでもないボールを投げ込んできてくれた。

 二度目の舞台は、花巻東のグラウンドの三塁側ブルペン。ネットを挟んで、少し高くなっている場所から、花巻東ファンらしき人たちが何人か見ていて恥ずかしい。ただそれ以上に、ブルペンのマウンドに立つ大谷くんの姿が美しい。

 当時、すでに190センチを超える長身。頭が小さく、首の裾野がしっかりして、手足が長く、腰の位置が高い。スタイルの長所をひとり占めしているかのような、のびやかなシルエット。バッテリー間の18.44メートル先が、すぐ目の前にあるかのように感じられた。

 今考えると、すでにその頃から"メジャー"の匂いをプンプンと漂わせていた。

立ち投げで、軽く腕を振ったボールでも、球道半ばからの"加速力"がすごい。これは逸材や大器と呼ばれる投手たちの絶対的な共通項だ。

 腰を下ろして、マウンドの大谷くんを仰ぎ見る。大きいというより、高い! しゃがんでミットを構えると、顔をいっぱいに上げないと大谷くんの顔が見えない。むしろ、空を見上げるようにしないと、頭よりも高いリリースポイントが見えない。

 リリースポイントが見えなきゃ、150キロのボールにミットが間に合うわけがない。

【見えなかった154キロの剛速球】

「真っすぐからお願いします!」

 丸顔でちょっと甲高い声。ボールを持った右手を、こっちに向かってクイクイッとやる、そんな仕草ひとつからして美しい。

 左ヒザが胸まで上がって、そこから先は見ている暇などない。あっという間に、ビシッとボールが来た。

 速いというより、見えない。「よく見えますね」と言われることが多々あるが、150キロ前後の剛速球なんか見えるものか。「ここだ!」と思った"光線"のラインに、ミットを入れていくだけだ。

 最初の1球からなんとか捕球できたのも、大谷くんがこちらの構えたミットに投げ込んでくれたから。今でもそう思っている。

 きれいな縦回転のスピンで、真一文字にミットに突き刺さってくるから、「パーン」と乾いた捕球音が、心地よく耳に響く。

「何キロくらい出ていると思います?」

 後ろで見ていたコーチの方に聞いてみる。

「いやぁ......150キロは出てないぐらいですかね。ちょっと待ってね」

 そう言って、スピードガンを構えてくれた。

 こりゃ、本気の本気が来るなぁ。スピードガン計測でやる気スイッチ全開は、ピッチャーの絶対的本能だ。

 次のボールに対し、ちょっと外に構えてみた。コースを狙わせて、出力減を狙った姑息な小細工。でも、大谷くんのボールは関係なかった。それどころか、すごい球が来た。

「うわっ、154だって! こりゃーすげぇや。ワッハッハ」

 コーチは笑い飛ばしていたが、私はマスクの中で引きつっていた。

【ミットにかすりもしなかった変化球】

 そしてスライダーは、真っすぐと変わらぬスピードでこっちに向かってきて、もう曲がらないのか......とミットを出した瞬間、真横に曲がって吹っ飛んだ。最初の1球は、かすりもしなかった。今でいう「スイーパー」ってやつを、大谷くんは高校の時から投げていたのだ。
 
「フォークもちょっといいですか?」

 やめてよ......とも言えないから、「OK、フォーク、カモン!」と強がってみた。

 大谷くんのフォークは、やはり真っすぐと同じようなスピードで真ん中低めに来て、ホームベース手前でパッと消え、ミットを出すも後方に抜けていった。

 今、メジャー中継で大谷くんが投げている場面を見ると、概ね投げる球種がわかる。サインを出した捕手が、そのあとソワソワ落ち着かない時は、スライダーである。ソワソワどころか、しゃがんだまま足踏みをしているような時は、フォーク。きっと、いつでも逃げられるようにしているのだろう。

 メジャーのキャッチャーだって、大谷くんの"変化球"は怖いのだ。その気持ちは、受けた者にしかわからない。

 スピードもさることながら、あれほど恐ろしい変化球を投げた高校生は、やはり大谷翔平以外いない。


大谷翔平(おおたに・しょうへい)/1994年7月5日生まれ、岩手県出身。花巻東高3年夏にアマチュア史上初の160キロを計測。2012年ドラフト1位で日本ハムに入団し、二刀流として旋風を巻き起こす。18年にエンゼルスへ移籍して同年新人王、23年にアジア人初の本塁打王を獲得。24年にドジャースと10年契約を交わし、同年に前人未踏の「50-50」(54本塁打59盗塁)をクリアし、2年連続本塁打王と打点王の2冠達成。25年はワールドシリーズ連覇で3年連続4度目のMVPに輝いた

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