Jリーグ懐かしの助っ人外国人選手たち
【第34回】パク・チソン/朴智星
(京都パープルサンガ)

 Jリーグ30数年の歩みは、「助っ人外国人」の歴史でもある。ある者はプロフェッショナリズムの伝道者として、ある者はタイトル獲得のキーマンとして、またある者は観衆を魅了するアーティストとして、Jリーグの競技力向上とサッカー文化の浸透に寄与した。

Jリーグの歴史に刻印された外国人選手を、1993年の開幕当時から取材を続けている戸塚啓氏が紹介する。

 第34回はパク・チソン(朴智星)を取り上げる。Jリーグでプレーしたのは2000年から2002年までの3シーズン。J1とJ2合計で76試合に出場し、11ゴールをマークした。数字としては悪くないが、特筆すべきものでもない。ただそれでも、彼がJリーグでプレーした事実が、のちに重みを持つことになるのである。

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 Jリーグからヨーロッパのクラブへステップアップするのは、日本人選手だけではない。

 世界的には無名の選手として来日し、Jリーグで頭角を現わし、国際舞台へ飛躍していった外国人選手もいる。J2でゴールを量産したものの、J1でそこまで大きなインパクトを残さなかったブラジル人のフッキ(2005年~2008年/川崎フロンターレコンサドーレ札幌東京ヴェルディ)は、ポルトガルとロシアで実績を積んでワールドカップに出場するまでになった。

 同じブラジル人では、アモローゾのサクセスストーリーが鮮やかだ。ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ/1992年~1993年)では2軍にあたるサテライトチームのみの出場に終わったが、セリエAとブンデスリーガで得点王となった。ブラジル代表では1999年のコパ・アメリカで、リバウド、ロナウド、ロナウジーニョらと競演して南米王者の一員となっている。

 パク・チソン(朴智星)もそうだろう。

【日本の強さに衝撃を受けて来日】

 Jリーグでの稼働年数や実績よりも、ヨーロッパでのキャリアが圧倒的なボリュームを放つ。オランダの名門PSVの一員としてチャンピオンズリーグ・ベスト4進出に貢献し、マンチェスター・ユナイテッドではアジア人初のチャンピオンズリーグ制覇。プレミアリーグ優勝は4回を数える。

 彼と同じ韓国人選手や日本人選手、さらにはイランやサウジアラビアなどの選手を含めても、ヨーロッパでこれほどのタイトルを獲得し、所属したクラブにここまではっきりと貢献を示した選手はいないだろう。中田英寿にも香川真司にも、アリ・ダエイにもできなかったことを、彼は成し遂げたのだ。

 私が最初に彼を観たのは、1999年9月7日の国立競技場だった。

 韓国を迎えたシドニー五輪最終予選の壮行試合で、フィリップ・トルシエ率いるU-22日本代表は4-1で快勝する。日本の得点者は福田健二、平瀬智行、遠藤保仁だったが、この試合の主役は中田英寿である。

 ペルージャで2シーズン目を過ごすチーム唯一の海外組は、別格のクオリティで韓国人選手に力の差を見せつけた。「最後はいつも韓国にやられる」という展開が刷り込まれていた世代の人間からすると、驚きと戸惑いを感じてしまうほどの圧勝だった。

 パク・チソンはこの試合にスタメンで出場している。ひとつ上の世代のイ・ドングッ(李東國)、ソル・ギヒョン(薛琦鉉)、アン・ヒョヨン(安孝錬)らがいるチームで、背番号12を着けてウイングバックでプレーした。

 両チームは3週間後にソウルへ舞台を移し、再び激突する。中田英寿は出場しなかったが、ここでも日本が1-0で勝利した。

 韓国側の衝撃は大きかった。日本の強さを目の当たりにしたパク・チソンは、大学卒業を待たずに翌2000年6月に来日する。同年にJ2降格も経験する京都パープルサンガの一員となった。彼我のサッカーの違いを、肌で感じるためだった。

 キャリアの転機は加入3年目に訪れる。韓国代表のレギュラーとして2002年の日韓ワールドカップでベスト4入りに貢献すると、加入1年目のボランチからウイングへポジションを移す。代表チームで躍動感あふれるプレーを見せた立ち位置で、松井大輔、黒部光昭との3トップを形成するのだ。

【天皇杯決勝で貴重な同点ゴール】

 センターフォワードの黒部は、ポストワークをしながら決定力を発揮した。松井はトリッキーなドリブルとラストパスで、アシスト役を担った。

 パク・チソンは無尽蔵のスタミナを誇り、チャンスメイクをしながらシーズン7ゴールを記録した。韓国では「3つの肺を持つ男」と言われる彼は、ダイナミックなランニングで相手守備陣を混乱に陥れ、ゴール前で勝負強さを発揮した。

 京都で開花した才能は、チームに初の3大タイトルをもたらす。天皇杯で優勝を飾ったのだ。

 鹿島アントラーズとのファイナルは、前半15分にビハインドを背負う展開。しかし後半に入った50分、京都の背番号7が決定力を発揮する。右サイドからの直接FKに飛び込み、相手選手に競り勝ってヘディングシュートを突き刺した。そして80分には黒部がネットを揺らし、京都は「鹿島有利」の前評判を覆したのだった。

 2005年から7シーズン在籍したマンチェスター・ユナイテッドでは、ビッグマッチでしばしばゴールを決めた。「ビッグマッチのスペシャリスト」と呼ばれたが、その資質は京都サンガでも発揮されていたのである。天皇杯決勝という大舞台で、自身にとって日本でのラストマッチで、貴重な同点弾をゲットしたのだ。

 ヨーロッパのビッグクラブのユニフォームを着たパク・チソンは、プレースタイルを拡げていった。

 そもそもオールラウンドであり、中盤から前線までをカバーできる選手だが、マンチェスター・ユナイテッドではどのポジションでもクオリティを落とすことはなく、ディフェンスの局面でも存在感を発揮した。バイプレーヤーの性格が強いものの、ビッグマッチでは価値ある働きをした。

全盛時の彼は、「できないことはない」と言わしめる選手だった。

 韓国代表では、紛れもない大黒柱だった。2010年5月に日本代表と埼玉スタジアムで対峙した一戦では、フィールドを支配者として振る舞った。1999年9月の日韓戦で中田英寿が見せたような「違い」を、日本の選手たちに見せつけたのだった。

【サンガ歴代最強の助っ人】

 京都の歴史を振り返ると、チェ・ヨンス(崔龍洙)、パウリーニョ、アレモン、ディエゴ、ミロシュ・バヤリッツァといった面々がチーム成績に影響を及ぼす外国人選手として活躍した。2026年シーズンはラファエル・エリアスとマルコ・トゥーリオが前線で存在感を発揮している。エリアスは2025年に18ゴールをマークし、リーグ戦におけるクラブのシーズン最多得点記録を更新した。

 それでも、クラブ歴代最強の助っ人を挙げるなら、僕はパク・チソンを選ぶ。僕だけでなく、多くの人が選ぶに違いない。

 2002年シーズンに天皇杯をもたらしたトライアングルは、それぞれの長所を引き出し合う関係を構築した。彼らが絡んだ攻撃はダイナミズムに富み、観る者の胸を躍らせた。彼ら自身もともにプレーすることを楽しんでいて、それがまた期待感を抱かせた。

 2003年元日の天皇杯を最後に、パク・チソンはPSVへ移籍した。クラブレベルでのサクセスストーリーが幕を開けるのだが、そのプロローグはJリーグで綴られており、彼がヨーロッパで輝きを放つたびに、サンガで過ごした日々が煌(きら)めいたのである。

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