第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)から、3年が経った。千田新平にとってあの躍動は、まるで最近の出来事かのごとく鮮明に呼び起せるのだという。

 なぜならあの舞台では、自分にとって特別な選手が主役だったからだ。

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【どんな時でも野球を楽しんでいる】

 メキシコとの準決勝で、1点ビハインドから劇的なサヨナラを演出するツーベース。決勝では最終回にマウンドに立ち、グラウンドの中心で世界一の雄叫びを上げた──そのすべてに、千田は驚きと喜びをにじませる。

「準決勝と決勝なんかがそうでしたけど、ああいう大事な場面で回ってくるのが大谷なんですよね。みんなも『何とかしてくれる』って思うじゃないですか。彼もその期待を絶対に裏切らないじゃないですか」

 漫画や映画。創作者たちを辟易させるほど超越したストーリーを実演する大谷翔平は、WBC後も世界の度肝を抜き続ける。

 エンゼルスからドジャースへと移籍した2024年、不可侵の領域とされてきた50ホームラン50盗塁の「50−50」に足を踏み入れた。昨シーズンには、2年連続でのナショナル・リーグMVPに加え、ポストシーズンでは史上初となるバッターとして1試合3ホームラン、ピッチャーとしては10奪三振という快挙を打ち立てたのである。

 だから千田は、再び代表に選ばれた第6回WBCでも「またすごいことをやってくれるんじゃないか」と、確信に近い期待を抱けた。

 そして何より、彼が知る大谷の根源もまた、千田に安心感を与えてくれるというのだ。

「どんな時でも野球を楽しんでいるっていう。それが大谷だなって」

 千田が嘆息を漏らし、大谷への想いを吐く。

「そこが変わっていないんですよね。ある程度のレベルまで野球を続けていくと、どうしても失敗が多くなっていくし、周りの選手と自分を比べて『なんでオレだけうまくいかないんだろう?』みたいな気持ちが強くなって、野球が嫌いになる人って多いと思うんですよね。大谷も苦労しているはずなんですけど、そういう姿を見せないどころか、本当に楽しそうに野球をするんです。そこが一番すごいなって思うんですよね」

 年齢はともに30歳を越えている。それでもなお、千田にとって大谷は「あの頃」の面影を強く残しているわけだ。

【小学校の頃から規格外】

 千田が初めて大谷と出会ったのは、リトルリーグを始めた小学校低学年だという。所属していたリトルリーグのチーム、北上ゴブリンズで監督だった父親の光博にとって黒沢尻工時代の1学年先輩にあたる大谷の父・徹が、ライバルチームの水沢パイレーツを指揮していたことでふたりは面識を持った。

 当時から大谷は、同学年のなかで頭ひとつ以上は抜けているほどの高身長だった。

「デカいなぁ......おまえ、何食ってんの?」

 大谷とは対照的に、小学生の平均よりも小さかった千田が何度尋ねても、相手は「魚かな」と淡白に答えるだけだったという。

 それ以来、ふたりの間では身長ネタがテッパンのコミュニケーションツールとなった。

 試合などで大谷と会うと、千田は決まってこんなボケをかまされた。

「......あ、見えなかった! まだ成長期、来てないんだな」

 ケラケラ笑う大谷を見上げながら、千田が「うるせぇ!」と言い返す。無邪気で大柄な少年は、グラウンドに立つと異彩を放った。

「チームで言えばうちのほうが強かったんですけど、水沢パイレーツは大谷がひとりだけ飛び抜けていて。ピッチャーをやると、当時からボールはめちゃくちゃ速かったです。大谷は中学までショートも守っていたんですけど、デカいからか動きがぎこちなくて下手だったんですよ。だから、ピッチャーじゃない時はラッキーだと思いながら試合してました」

 いくら大谷が、小学生では対応しきれないほどのスピードボールを投げていたとはいえ、千田は「目が慣れてくればバットには当てられました」と振り返る。それよりも手がつけられなかったのが、バッティングだった。

 リトルリーグの試合は、球場の外野エリアに柵を設置してサイズを小さくする。大谷の場合は、その柵を軽々と越えフェンス直撃の打球を放っていたのだと、千田が今も唸る。

「バッティングフォームとか打ち方なんて、小学校からほぼあのままですよ。逆方向はさすがに球場のフェン直とまではいかなかったですけど、柵はバンバン越えてましたから。中学になるともう、打球が見えないくらいになっていましたからね。セカンドで『抜かれないように』って一番深いところで守っていても、ゴロが速すぎて一、二歩しか動けずライト前ヒットになるとか。それくらい大谷の打球はヤバい......っていうか、怖かったです」

 中学生となり北上シニアでプレーした千田の、大谷を見る目は次第に変わっていった。

【「こいつ、ダメージねぇな...」】

 中学時代に所属した一関シニアでも絶対的な存在だった大谷の求心力はプレーによるものだけではなく、「あいつがいるだけで、チームの士気が下がらない」と感じるようになったのだという。

「負けていても明るいんですよ、大谷が。『オレが打つから大丈夫』とか『ここを抑えて逆転しよう』みたいに余裕があるというか、野球を楽しんでるんですよ。こっちが勝ってるのに『そんな雰囲気、出すなよ!』って思わされてしまうのが、一番嫌でしたね」

 千田と大谷が交錯したなかで、おそらく極限だった試合といえば高校3年生の夏。盛岡大附と花巻東による岩手大会の決勝だ。

 甲子園をかけたこの一戦、千田が所属する盛岡大附が序盤から優位に試合を運んでいた。1対0の3回、4番バッターの二橋大地がレフトポール際へ放ったホームランが「ファウルではないか?」と一時、球場が騒然となったが判定は覆らず、リードを4点に広げていた。

 花巻東からすれば動揺しかねないこの状況においても、大谷は泰然自若としていた。野手として二塁まで進塁すると、セカンドを守る千田はいつものネタを振られたというのだ。

「おまえ、(小さいから)投げにくいよ」

 千田はあしらうようにやり過ごしたものの、内心では大谷のこの佇まいが脅威だった。

 こいつ、ダメージねぇな......と。

「あいつはあの空間ですら楽しんでたっていうか、自然体でしたね。だから、花巻東のヤツらも大谷に引き込まれて乗ってくるという」

 5対1で迎えた9回裏がそうだった。

ノーアウト一、二塁でバッターは大谷。一発が出ればたちまち1点差となるピンチで、千田は「やっぱ、そうだよ......なんで、いつもこんなところで大谷なんだよ!」と、胸のなかで悪態をつく。3点差とされるライト前ヒットは、やはり目で捉えきれないほど鋭かった。

 それでも盛岡大附は5対3で逃げ切った。甲子園出場を決めてうれしかったが、千田は試合に負けて泣きじゃくる大谷に声をかけられなかった。

幼なじみが証言する「チームを変える男」大谷翔平の原点「負けていても明るいんですよ」
盛岡大附高3年夏に花巻東を破り甲子園に出場した千田新平さん photo by Sankei Visual

【世界的スターになった大谷翔平との距離】

 小学時代からの球友とは、この日以来、直接会話を交わしていない。唯一の"交流"となっているのは、福島県の東日本国際大に進んだ2013年。いわきグリーンスタジアムで開催されたプロ野球のオールスタゲーム第3戦である。千田は同じ大学に進んだ二橋らとともに補助員として外野席でボールボーイをしているさなか、全体練習中の大谷を捉えた。

「おーい! 翔平!」

 二橋と連呼していると、気づいた大谷がチームメイトに「あの人たちは」と説明するように、指を差しながら応えてくれた。

 じつはこの時、千田は虚しさを覚えていた。

 大学では入学早々からスタメンに名を連ねていたが、「たぎるものがなくなっていた」という。

小学生の頃から大谷翔平という高い山に挑み続けてきた千田にとって、その環境はあまりにも物足りなかったのである。

 千田は1年で大学を中退した。その後、北海道の運送会社に勤めながら2年間、クラブチームでプレーしたが、会社を辞めたのと同時に選手生活にも区切りをつけた。

 千田にとって現在の大谷は、もはや軽々しく「幼なじみ」と言えない存在になってしまったのだそうだ。

「だってもう、神様じゃないですか。今のスポーツ界なら、サッカーだとメッシとかクリロナ(クリスティアーノ・ロナウド)、バスケならレブロン・ジェームズのレベルじゃないですか、大谷って。野球界における生きる伝説になっちゃってますもんねぇ」

 もしも今後、大谷に会うことがあれば。

 彼ならばきっと、久しぶりに再会する千田に対して"身長ネタ"でいじってくれるような気が、しなくもない。

 だとしても千田は、おそらく「うるせぇ!」と、少年時代のように鋭いツッコミを入れることはないのだろうと、少し寂しげに笑いながら同じように繰り返した。

「冗談で会話できるような人じゃなくなったんで、言えないっすね」

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