学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざまな部活動の楽しさや面白さは、今も昔も変わらない。
この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、今に生きていることを聞く──。部活やろうぜ!
連載「部活やろうぜ!」
【サッカー】中村憲剛インタビュー後編(全2回)
◆中村憲剛・前編>>背番号「14」は高校時代の先輩に憧れて
高校2年生になって試合にも出場するようになると、中村憲剛はトップ下として存在感を発揮していった。
ただ、2年生の時のチームは選手権予選の初戦で敗れ、早々に先輩たちは引退。その後、新チームでキャプテンを務める中村にとって、その経験も決して無駄にはならなかった。
「ある意味、両極端の結果を経験することができた。自分の世代になった時に、どういう空気をつくればいいかがわかったことは大きかった」
高校3年生になり、キャプテンを務めたチームについては「同期は、協調性はないけど、能力は高かった」と笑う。だから、「まとめるよりも、自分がきちんとプレーすることを考えていた」と言う。同級生ということもあり、気を使う間柄ではなかったこともあっただろう。選手たちの個性を生かし、キャプテンとしては言葉よりも背中で示した。
「とにかく我の強いヤツが多くて、チームメイトの話も聞かないようなこともあったけど、自分も遠慮なくズカズカと意見を言うから、自分の話だけは多少は聞いてくれるところがありました。
あと、1年からレギュラーで東京国体にも選ばれて、プレーにもカリスマ性がある選手がいたんですけど、ムラもあるヤツだったので(苦笑)、キャプテンの自分が彼をしっかりとつかまえておくことができれば、チームはうまく回ると思っていた。
だから、ふたり組の練習の時には、必ず彼と一緒にやるようにしていましたし、3年生の時は同じクラスだったので、公私ともに一緒にいることができたのもよかったのかな」
【カナリア軍団とついに対戦】
この頃から、チーム全体を見る視野の広さと、チームの肝を抑える思慮深さも持ち合わせていた。
「思い出すと笑っちゃうし、だから勝てなかったんだろうなとも思いますけど、『集合!』って声をかけても平気でフッとどこかに行っちゃったり、個性が強すぎてなんかまとまりに欠けてたり。
みんながまんべんなく仲がよかったかと言われると、全然そんな感じじゃなかったけど、やるところはガッとやる、それが自分たちのチームワークだった。たとえ、プライベートで気が合わなかったとしてもプレーは認めているし、あいつなら仕事をしてくれるってわかっているから、パスは出すみたいな。今、思えば、ある意味プロみたいな集団でしたね(苦笑)」
個性的だったそのチームは、選手権予選で準決勝まで勝ち進むと、憧れの帝京と対戦する。
「帝京は自分にとって高校サッカーを見始めるきっかけになった、いわゆる『はじまりのチーム』でした。ずっと見続けてきたチームで、前年に帝京は東福岡高校と、あの雪の決勝戦を戦っていた。まさにブラウン管の先にいたカナリア軍団(帝京高校の愛称)と、ついに自分たちが対戦することになったんです」
試合前日には興奮のあまり眠れず、「あとにも先にも、この時だけだったかも」と語る、ノートに「できる」「相手は同じ高校生」と書き綴った。
国立競技場に並ぶ高校サッカーの聖地・西が丘(現在の味の素フィールド西が丘)での「人生初」の試合に緊張し、慣れない天然芝にも体力を奪われるなど、苦戦した久留米高は、結果的に1-3で帝京高に敗れる。
だが、3点を奪われてなお、個性豊かでバラバラだったチームは気持ちを立て直し、「最後に1点取ろう」と、反撃すると1点を返した。
きっと、その1点は、憧れは決して遠い存在ではないと認識するきっかけであり、自信に変わるゴールだったことだろう。
【この話がジョリさんに届けば】
背番号14に憧れ、背番号14をまとった彼が選手権の舞台に立つことはなかった。
「みんなは最後の試合に敗れて、泣いていたけど、僕は泣かなかった。
あの憧れの帝京相手に、自分の積み上げてきたサッカーのすべてをぶつけ、通用した手応えがありました。その手応えがあったからこそ、初めてそこで大学進学を望みましたし、結果的に中央大学に進むことができました。
大学では高校の時以上に、大きな壁にぶつかり苦しいことのほうが多かったですが、その時は決まって帝京戦の試合映像を見返していました。『俺はやれるんだ』と奮い立たせるように。まぁ部員がハンディ(カメラ)で撮った映像だからブレブレだったんですけどね(苦笑)」
憧れていた帝京との試合と大きな手応えが、大学でもサッカーを続ける野心を生み、プロへの道へとつながっていった。
あの試合がなければ、川崎の司令塔は誕生しなかったかもしれない。そして、久留米高校に「ジョリさん」がいなければ、川崎フロンターレにとって特別な番号は「14」ではなく、違う番号になっていたかもしれない。
最後に中村は言った。
「この話がジョリさんに届けばいいな」
憧れは思いとなって、受け継がれていく。
<了>
【profile】
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ、東京都出身。都立久留米高校から中央大学に進学し、2003年にテスト生として参加していた川崎フロンターレに加入。2020年に現役を引退するまで移籍することなく18年間チームひと筋でプレーし、川崎に3度のJ1優勝(2017年、2018年、2020年)をもたらすなど黄金時代を築く。2016年にはJリーグ最優秀選手賞を受賞。日本代表・通算68試合6得点。ポジション=MF。

![ワールドサッカーダイジェスト 2024年 9/19 号 [雑誌]](https://m.media-amazon.com/images/I/61iNZutK1hL._SL500_.jpg)




![[ミズノ] フットサルシューズ モナルシーダ NEO SALA CLUB IN ホワイト/レッド 26.5 cm 3E](https://m.media-amazon.com/images/I/51KyBx5v2JL._SL500_.jpg)

![[ミズノ] フットサルシューズ モレリア TF ブラック/ホワイト 26.5 cm 2E](https://m.media-amazon.com/images/I/41P+itybOvL._SL500_.jpg)


