連載:NEXT STAGE~トップアスリートのセカンドキャリア
フジテレビ/里谷多英インタビュー(前編)

アスリートが競技引退後のセカンドキャリアでも一定の成功を収めることは、決して簡単なことではない。そのまま指導者や解説者として活躍できれば申し分ないだろうが、その受け皿も限られている。

新たな働き口を求めても、経験のない仕事に馴染めず、苦しい生活を送っている元アスリートは少なくない。とはいえ、競技時代とはまったく異なるセカンドキャリアの舞台でも充実した日々を送っている元トップアスリートもいる。今回はそのひとり、現役時にスキーのフリースタイル・モーグルで五輪金メダルを獲得して一世を風靡した、フジテレビの里谷多英さんに話を聞いた――。

金メダリストの里谷多英はなぜフジテレビに入社したのか 「最初...の画像はこちら >>
――せっかくの機会なので、まずは先頃行なわれたミラノ・コルティナ五輪について、うかがわせてください。日本人選手は史上最多の24個のメダルを獲得するなど、その活躍が目立つ大会となりました。

里谷多英(以下、里谷)すごかったですね。いやもう、本当にすごかったです。

――モーグルでも、男子の堀島行真選手が2種目で銀と銅と、ふたつのメダルを獲得しました。堀島選手のすごさは、どんなところにあるのですか。

里谷 モーグルに必要とされる要素の何もかもが世界で一番うまくこなせている選手。確実に世界一の座に就ける実力者だと思います。あとは、性格がいい。

おっとりしていて、そういうところもすごくいいです。

――里谷さん自身が現役だったときと今とを比べると、どんな違いがありますか。

里谷 たとえば、エアはソルトレイクシティー五輪(2002年)でひとりの選手が3Dの技をかけ始めたら、そこからすごい速さで進化してきました。誰かが(新たなことを)やると、それに引っ張られてどんどんレベルが上がっていく感じがしますね。

――さて、話を本題に移します。里谷さんが1998年長野五輪で金メダルを獲ったのは、大学3年生のときでした。大学卒業後の進路については当時、どう考えていたのですか。

里谷 スキー部のある企業に就職して競技を続けるか、スキー部がない企業で働くか、というところでした。

 ただ、大学3年生のときはまだ全然、そこまでは考えていませんでした。漠然とどうしようかなぁ......とも考えていなかったかな(苦笑)。どうにかなるかな、みたいな感じでした。

――とはいえ、金メダリストともなれば、引く手あまただったのではないですか。

里谷 そんなことはないですけれど、スキー部が有名な企業からは、いろいろとお誘いをいただいたので、どこに入るのがいいのかなとは考えていました。

――ところが、実際はフジテレビに入社。それは、競技を続けることを前提とした就職だったのですか。

里谷 いえ、そうではなかったんです。普通に就職して働くつもりでした。

――それが、なぜ競技を続けることになったのですか。

里谷 最初は「普通に働きます」と言っていたのですが、でも、少しずつ私の気持ちが変わって。「やっぱり、もうちょっと競技をやってみたいと思います」と会社に伝えたら、「やりたいなら続けてもいい」と言ってくれたんです。最終的には自分で(スキーを続けるか、やめるか)選択することができました。それで、スキーを引き続きやらせてもらうことになったんです。

――その決断は、いつ頃のことですか。

里谷 もう入社するかどうか、というときですね。

私はずっとスキーをやってきたので、「ちょっと休んで、普通の生活をしたい!」と考え、大学4年生の1年間はスキーを休んでいたんですね。長野五輪で燃え尽きた感じもあって、大学卒業後は普通に働いてみようかなっていう気持ちもあったので。でも、休んでみて、やっぱり何もしないのは全然面白くないな、と思ったんです。

――そうして、フジテレビ所属という異例のアスリートが誕生したわけですね。

里谷 私は1999年入社で同期が40数人いて、みんなと一緒に2カ月間の研修を受けました。

――最初の配属先は?

里谷 人事部です。研修ではひととおり、全部署に行きました。

――「普通に働いてみようかな」と思っていたときは、どこか希望の部署があったのですか。

里谷 私は小さい頃からフジテレビのドラマが大好きだったので、ドラマ制作の部署を希望しました。

――研修でドラマ制作の仕事を体験してみて、いかがでしたか。

里谷 研修では、ドラマ撮影にも立ち会ったのですが、すごくこう......、なんだろうな......、撮影現場は呼吸もできないくらいの緊迫した雰囲気で「ドラマは私には無理かな」とすぐに思いました。

 スキーだったら、自分が失敗しても自分が悔しいだけですが、ドラマは自分ひとりのせいで全部が台無しになるかもしれない。

そう考えただけで、ちょっと怖くなりました(苦笑)。

――結果的には競技を続行することになり、人事部で働くことになります。

里谷 競技生活をしていると、やはり遠征がすごく長いんですよね。1回の遠征で1カ月とか行ってしまうので、その間ずっと出社できなくなります。そうなると、通常の部署だと両立が難しく、人事部に所属し競技生活を続けることになりました。

――スキー部のある企業に就職すればよかったな、とは思いませんでしたか。

里谷 そうは思いませんでしたが、私のためにスキー部を作ってもらったり、業務の負担を軽くしてもらってスキーに専念させてもらうのは、申し訳ないなと思っていました。

――競技を続けている間は、ずっと人事部所属ですか。

里谷 そうです。1999年の入社から2014年まで、16年くらい人事部にいました。

――その当時、出社したときには、どんな仕事をしていたのですか。

里谷 採用の手伝いや書類の整理などです。

あと、人事部の一大イベントである入社式には必ず参加していました。社長に新入社員の辞令を手渡す担当をしたこともありましたね。

――出社の機会は限られていたとはいえ、人事部での社会人生活はどうでしたか。

里谷 まるで別世界のように感じていました。私に務まるのかなとか、スキーをやめたあとにちゃんと働けるのかなとか、不安もありました。

(つづく)◆スキーしかしてこなかった里谷多英がセカンドキャリアでも成功できたわけ>>

金メダリストの里谷多英はなぜフジテレビに入社したのか 「最初は普通に働くつもりでした」
photo by Fujimaki Goh
里谷多英(さとや・たえ)
1976年6月12日生まれ。北海道出身。スキーのフリースタイル・モーグルの第一人者。オリンピックには1994年のリレハンメル大会から2010年バンクーバー大会まで5大会に出場。1998年長野大会で金メダルを獲得し、一躍脚光を浴びる。2002年ソルトレイクシティー大会でも銅メダルを手にした。1999年にフジテレビに入社。
現役引退後も同社に勤務。現在はイベント事業局イベント販売企画部の副部長を務めている。

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