Why Japan? 私が日本でプレーする理由

ドミトリー・ムセルスキー/サントリーサンバーズ大阪 
ロングインタビュー 第2回(全4回)

サッカーのJリーグだけでなく、バレーボールのSVリーグにも、さまざまな国からやってきた外国籍選手が在籍している。彼らはなぜ、日本を選んだのか。

そしてこの国で暮らしてみて、コートの内外でどんなことを感じているのか。シリーズ初のバレーボール選手は、先日、今シーズンかぎりでの現役引退を発表した元ロシア代表ドミトリー・ムセルスキーだ。

【「『ハイキュー!!』の作者は選手の心理を的確に表現している」】

「基本的にマンガは読まないし、アニメも見ないけど、唯一、『ハイキュー!!』だけは見た。バレーボールを題材にしたものだからね」

 ドミトリー・ムセルスキーはそう言って自然に口角を上げ、次のように続けた。

【SVリーグ】ムセルスキーの長い独白「バレーボールが導いてく...の画像はこちら >>

「あの作品には本当に驚いたよ。実際にプレーしているバレーボール選手の心理を、的確に表現しているからね。試合や練習のあらゆるシチュエーションにおける選手の心の中を。作者は間違いなく、念入りにリサーチをしたはずだ。私のようなプロのバレーボール選手にも頷けるところが多く、とても興味深いものだった。実際に自分も、あの時は同じようなことを考えていたなと、過去の出来事を思い出したくらいだ」

 気に入ったキャラクターがいたら教えて欲しいと尋ねると、「特別に誰かが印象に残っているというよりも、作品そのものがよかった」と言った。これもまた彼らしい回答に思える。

 ムセルスキーは普段、妻と息子の3人で暮らしている。だから『ハイキュー!!』も家族全員で楽しんだという。

「うちの家庭にはルールがあり、息子にはスマートフォンやタブレットを与えていないんだ。テレビやYouTubeといった動画も、1日に1時間だけと決めている。息子はまだ小学生だからね。『ハイキュー!!』は一緒に見て楽しんだけど、一気に見ることはなかった」

 ムセルスキーの引退の理由のひとつに、息子を祖国で育てたいことがあると、報じられていた。そう尋ねると、「あくまでそれもひとつの理由だけどね」と彼は応じ、少しの間、黙考した。

 そしてこちらに向き直り、メモを取り出して長い独白を始めた。

【「このスポーツを惰性で続けるようなことはしたくない」】

「現役引退の理由をきちんと話そうとすれば、おそらくもう一度、別のインタビューの機会を設けてもらったほうがいいかもしれない。簡潔に伝えることはできそうにないんだ。長い話になるけれど、聞いてもらえるかな?」

──もちろん。そのためにあなたに会いに来たのです。

「この決断にいたるまで、本当に長い時間を費やした。自分自身にさまざまなことを率直に問いかけた帰結なんだ。まず加齢とともに、以前よりリカバリーに時間と努力を要するようになった。

シンプルに言えば、トップレベルでプレーするのが難しくなってきたと感じるようになったんだ。

 それはフィジカルだけではない。気力の面でも、かつてのような状態ではなくなってしまっている。モチベーションを高く保てなければ、物事に真摯に向き合うことはできなくなってしまうよね。それは自分の生き方にも反するものだ。このすばらしいスポーツを、惰性で続けるようなことはしたくない。

 つまり、これまでのチャプターを終わりにすべきだと感じたんだ。次の人生に進むべき時が来たのだと。

 それから家族のこと。私にとって、家族はすべての礎だ。彼らの協力なくして、今の自分はありえない。妻はいつも、私の意向を尊重してくれた。

母国から遠い日本に一緒に来てくれ、どんな時も私を支えてくれた。それよりももっと前から、彼女の存在がなければ、私はフィジカルもメンタルも、うまく維持できなかったはずだ。

 日本での生活は快適だったけれど、時には困難もあった。つまるところ、我々はエイリアン(異邦人)だから。しかし妻も息子も、そうした厳しい時にも不平をこぼすことなく、じっと耐えてくれたんだ。逆に私が苦しんでいる時は、すぐそばで静かに寄り添ってくれた。ふたりの信頼と愛がなければ、このようなすばらしい旅を続けることはできなかった。

 長く一緒にいる妻には、感謝してもしきれない。彼女の存在がなければ、多くのバレーボールファンの記憶に残っているはずのあの(ロンドン・)オリンピック決勝の勝利も、日本での充実した日々も、絶対になかったはずだ。

【最愛の妻と息子のために残りの人生を捧げたい】

 日本での8年間は、実に有意義なものだった。この経験に心から感謝しているよ。でもそろそろ、家族のことを最優先にすべきだと感じている。

これまでは遠征で家を空けることも多かったが、これからは家族と長く一緒に過ごしたいんだ。また自分自身もロシアに戻り、親しい友人や親戚の近くで暮らしたいと思っている。私のルーツはそこにあるのだから。

 バレーボールが導いてくれたこの旅路は、言葉で言い尽くせないほどすばらしいものだった。このスポーツは、私に得難い経験とたくましい精神、人生の教訓、そして多くの友人をもたらしてくれた。それらはこれからも自分のなかで生き続ける。

 でも、そのチャプターは終焉を迎えようとしている。もちろん、最後まで全力を尽くすことは約束する」

 ムセルスキーが長いモノローグを終えると、アリーナは再び静寂に包まれた。こちらも返答ができず、色々なことを想像した。

 固い床の上で218センチの巨躯を素早く激しく動かし続ければ、身体のさまざまな箇所に不具合が生じるだろう。実際、彼は両膝の靭帯を断裂したことがあり、そうした怪我もあってリオデジャネイロと東京と二つの五輪を欠場している。この日も両膝に、ほかの選手がつけているものよりも明らかに頑丈そうなサポーターを巻いていた。

 またロンドン五輪で英雄と崇められながら、その後に負傷で代表戦を欠場すると、母国のファンに裏切り者と呼ばれたり、複雑な出生地と国籍変更──ウクライナからロシアへ──により、いわれのない非難にも遭ったりしたこともあったという(2017年にポーランドのメディア『スポルトヴェファクティ』に打ち明けている)。

 そんな現実が嫌になり、代表招集を辞退したこともあったようだ。国を代表するトップアスリートは、わがままなファンやメディアによって、残酷な仕打ちを受けることがある(例えば、フットボールの元イングランド代表デイビッド・ベッカムなども)。

 だがムセルスキーにはそうした身体的、精神的な苦境を一緒に乗り越えてくれた妻がいた。そして今は息子もいる。これまで彼を支えてくれたふたりのために、残りの人生を捧げたい。

 それはまぎれもない彼の本心だろう。

(つづく)

ドミトリー・ムセルスキー Dmitriy Muserskiy
1988年10月29日生まれ、旧ソ連・マキイフカ(ソ連崩壊後にウクライナ領となり、現在はドネツク人民共和国の施政下)出身。8歳でバレーボールを始め、15歳でプロになり、23歳の時にロシア代表として出場したロンドン五輪の決勝で大活躍し、金メダル獲得に貢献した。W杯、欧州選手権、チャンピオンズリーグ、クラブ世界選手権など、代表とクラブの双方で様々なメジャータイトルを手にした後、29歳の時にサントリーサンバーズ大阪へ移籍。日本での8シーズン目となる今季かぎりで、現役を退くことを表明している。身長218センチ、ポジションはオポジット(元はミドルブロッカー)。

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