錦織圭という奇跡【第18回】
デイビッド・ロウ&マット・ロバーツの視点(1)

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 世界で最も聞かれているテニス専門ポッドキャスト──。それは、その名も『The Tennis Podcast(テニス・ポッドキャスト)』である。

 英国のスポーツブロードキャスター/コメンテイターのデイビッド・ロウ氏とキャサリン・ウィテカー氏が2012年に開設。2018年からはテニスジャーナリストのマット・ロバーツ氏も加わり、その3人がホストを務めている。

 テニスに造形の深い三者が闊達(かったつ)に意見交換する同番組のなかで、たびたび登場する名が「ケイ・ニシコリ」だ。

錦織圭大好きイギリス人が語った2008年の衝撃「細身の少年が...の画像はこちら >>
 ロバーツ氏は純粋に、錦織のプレースタイルや「5セットでの勝率の高さ」がお気に入りの様子。他方のロウ氏は、英国ロンドンで開催されるATPツアー大会『クイーンズクラブ選手権』のメディアオペレーターを務めたこともあり、錦織が同大会に初参戦した時もその職に就いていたという。

 そこでふたりに、それぞれが見た『錦織圭』について聞いてみた。今回はインタビューの前編をお届けする。

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── まずは『The Tennis Podcast』とふたりのプロフィールについて、簡単に聞かせていただけますか?

デイビッド・ロウ「私は1996年から2021年まで、『クイーンズクラブ選手権』のメディアオペレーターを務めていました。同時に1998年から2001年までの4年間、ATP(男子プロテニス協会)の広報スタッフとしても働いています。また、BBCラジオのコメンテイターとしてテニスの実況・中継も23年間やっており、これは今も続いています。

『The Tennis Podcast』を立ち上げたのは2012年。BBCラジオをはじめ、多くのメディアでスポーツコメンテイターとして活躍しているキャサリン・ウィテカーと一緒に始めました」

マット・ロバーツ「『The Tennis Podcast』が始まった2012年当時、僕はまだ高校生でした。

大のテニスファンだったので、すぐに愛聴者になったんです。

 そこで大学1年生の夏休みに、デイビッドに直接『インターンは必要ない?』とメッセージを送りました。そしたら彼が返事をくれて、キャサリンが僕を面接し、なんとかインターンとして採用してもらえたんです。そこからずっと、ソーシャルメディアで番組の情報発信をしたり、必要な資料を集めたり、データ分析をしたりと、裏方として働いていました。

 大学では、ジャーナリズムではなく言語学を専攻していたのですが、メディアの仕事にも興味があったので新聞部に所属していました。卒業後はクイーンズ大会でデイビッドのお手伝いをしたり、ウインブルドンのメディアルームで働いたりもしました。そして2018年末に、デイビッドの勧めで初めて『The Tennis Podcast』に出演して、今に至ります」

── ロウ氏にうかがいます。錦織選手が初めてクイーンズ大会に出場した2008年のことを話していただけますか?

ロウ「もちろんです。まず当時の背景についてお話ししておくと、2008年は全仏オープンの決勝で、ラファエル・ナダル(スペイン)がロジャー・フェデラー(スイス)に圧勝した年でした。ですからあの時のクイーンズ大会では、ラファ(ナダルの愛称)が注目の的だったんです。

 とはいえ私たちは、ラファは欠場するだろうと思っていました。今は全仏オープンとクイーンズの開催期間は1週間開いていますが、当時は全仏の翌週がクイーンズ。

しかも、クレー(赤土)から芝という、まったく異なるサーフェスへと移行するのです。全仏優勝者がクイーンズに出ることは、極めて稀(まれ)でした。

 だから、ラファが本当にクイーンズに来た時は驚きました。彼は日曜日にパリで全仏の決勝を戦い、月曜日の朝にフォトシューティングをして、その足でユーロスターに飛び乗って夕方にロンドンに到着。そしてその日のうちに、会場で練習をしたいと切望したんです。どんなに遅くなっても、雨が降っていてもかまわないと。とにかく練習したいと言い、本当にしたんです。

 翌日の火曜日、彼は選手ラウンジで寝ていました(笑)。ソファーに足を乗せて、本当にいつ見ても寝ていたんです。2日前に赤土の上で戦っていた彼が、まったく同じウェアのまま芝の大会会場にいるのは、なんとも不思議な光景でしたね。

 ラファは1回戦免除だったので、水曜日の2回戦が最初の試合。ヨナス・ビョルクマン(スウェーデン)に6-2、6-2で快勝し、迎えた3回戦の相手が、当時世界113位の圭でした。

 私が圭を実際に見るのは、あの時のクイーンズが初めてでした。圭はその年のデルレイビーチ選手権で優勝していたので名前は知っていましたが、プレーを見たことはなかったんです。

 試合前にラファと並んだ圭を見た時、「この細身の少年が、屈強なラファに勝つなんてありえない」と思ったことを覚えています。勝負にならないだろうなと。だから圭が、第2セットを奪ったのは衝撃でした!

 ラファは、いいプレーをしていたんです。でも圭はベースラインの上に立ち、まったく下がらず打つ。まるでピンポンを見ているようでした。すべてのボールを、跳ね際でとらえて打ち返す。フォアハンドのクロス、そしてバックハンドのストレートで、次々にウイナーを奪いました。

 ラファは、明らかに焦っていましたね。次にどんなショットが来るのか、読めていない様子でした。最終的には、ラファが第3セットを取って勝ちましたが、それもゲームカウント3-3までは非常に競った展開だったと思います。

スコアよりも競った印象でした。あの試合を見て、『この若者は、稀有な才能の持ち主だ』と思ったことを覚えています。

 ちなみにラファは、4回戦でビッグサーバーのイボ・カロビッチ(クロアチア)に6-7、7-6、7-6で勝ち、準決勝でアンディ・ロディック(アメリカ)を、そして決勝ではノバク・ジョコビッチ(セルビア)をストレートで退けて優勝しました。

 あの時のラファがいかに強かったかが、この結果からもわかると思います。そのラファを圭は追い詰めたのだから、なおのこと印象に残りました」

── ロバーツ氏にもうかがいます。あなたがよく覚えている錦織選手の試合はありますか?

ロバーツ「イギリス人としては、やはりアンディ・マリー(イギリス)との対戦が印象に残っています。ひとつは2016年のデビスカップ。バーミンガムで行なわれたイギリス対日本戦でした。アンディと圭の試合は、5時間に及ぶ大熱戦。アンディが7-5、7-6、3-6、4-6、6-3でなんとか勝ち、イギリスに勝利をもたらしたんです。

 イギリスにとってはホームの試合で、会場もアンディの得意な速めのインドアハードコート。それにデビスカップでのアンディは滅多に負けなかったので、正直、この試合もアンディが勝つだろうと思って見ていました。

少なくとも、早い試合にはなると思っていたんです。

 そうしたら、ベースラインからの壮絶な打ち合いになり、どのポイントも長い。それでもアンディが2セットを先取したんですが、そこから2セット取り返されてファイナルセットに突入。あれはアンディのキャリアのなかでも、名勝負に数えられる一戦だと思います。

 あとは、2016年の全米オープンの準々決勝も忘れがたいですね。あの年のアンディは、ウインブルドンにリオデジャネイロオリンピック、さらにはATPツアーファイナルズも優勝し、世界1位にもなった。ほとんど負け知らずの快進撃のさなかで、圭に負けたんです。

 たしか、試合中にスピーカーから大音量のノイズが鳴るというハプニングがあって、アンディはそれにイライラしてしまった。あのふたつの対マリー戦が、僕が最もよく覚えている圭の試合ですね」

 2008年にナダルを追い詰める細身の日本人に感銘を受けたロウ氏は、「このあと、彼の名前を何度も聞くことになるだろう」と思ったという。ただ、実際にはしばらく、錦織の試合を直接見たり、実況する機会はなかったという。

 次にロウ氏が「あの時の18歳」の衝撃を目の当たりにするのは、6年後。ニューヨークの夏だった──。

(つづく)

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