連載第92回
サッカー観戦7700試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」
現場観戦7700試合を達成したベテランサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。
ブンデスリーガで首位を快走し、チャンピオンズリーグ(CL)でも優勝をうかがうバイエルン。
【ここ13シーズンで12回優勝】
現代サッカーにおいて、バイエルン・ミュンヘンほど「絶対王者」という言葉が相応しいクラブはほかにない。
新興のパリ・サンジェルマンはいまだに安定感がないし、レアル・マドリードはたしかに世界の王者と言ってもいい存在だが、彼らにはバルセロナという偉大なライバルが存在する。
そしてイングランドでは、プレミアリーグ発足前も、またそのあとも激しい覇権争いが続いている。
それに引き換え、バイエルンは2012-13シーズン以来昨年までの13シーズンのうち、シャビ・アロンソ監督のレバークーゼンが28勝6分無敗という驚異的な成績で優勝を飾った2023-24シーズンに3位に甘んじた以外は12シーズンで優勝。
今シーズンも、直近の第26節ではレバークーゼンと引き分けたものの、2位ドルトムントに9ポイント差をつけて優勝は確実。さらにUEFAチャンピオンズリーグでもラウンド16のファーストレグではアタランタ(イタリア)に6対1という大勝を記録して準々決勝進出を確実にしている。
いわゆる「5大リーグ」と称されるサッカー大国のリーグで、これだけ圧倒的な強さを連続させているのは驚異的なことだ。毎年、戦国状態が繰り返されるJリーグを見慣れている日本人からすると、「そんな毎年優勝チームが決まっているリーグが面白いのか?」との疑問を感じざるを得ないのだが......。
ちなみに、昨年までに62回開催されたブンデスリーガで、バイエルンの優勝回数は34回と半数を上回っている。
【1970年代には日本でも馴染みの存在に】
過去62回......。ブンデスリーガは他のサッカー大国のトップリーグに比べて歴史は短い。
それまでは地域リーグの優勝チームが集まって全国チャンピオンを決めていた西ドイツで初めて全国リーグが発足したのは1963年のことだ。
当時、ミュンヘンを代表するクラブだったのはTSV1860ミュンヘン(現在は3部リーグ所属)だった。
ブンデスリーガ加入の道を絶たれたバイエルンはフランツ・ベッケンバウアーやゲルト・ミュラー、ゼップ・マイヤー(GK)といった20歳前後のプレーヤーを起用して若返りに成功。1965年にブンデスリーガ入りが認められると初年度に3位に入り、カップ戦(DFBポカール)を制した(ちなみに、このシーズンのリーグ優勝はライバルの1860)。
そして、翌シーズンにはカップ戦王者として出場した欧州カップ・ウィナーズカップで優勝し、ブンデスリーガも4シーズン目の1968-69シーズンに初制覇。以後、西ドイツ(のちのドイツ)で絶対王者の座を維持し続けることになる。
1960年代末といえば、日本でも欧州サッカーに目が向けられ始めたころだった。
1964年の東京五輪で日本人もサッカーというスポーツに出会った。そして、65年にはJSLが発足。68年のメキシコ五輪で日本代表が銅メダルを獲得してサッカー人気が花開き、専門雑誌も発行されるようになる。
1966年イングランドW杯の記録映画「ゴール」が劇場公開され(僕も何度も映画館に足を運んだ)、1970年のメキシコW杯の模様が東京12チャンネル(現・テレビ東京)の「三菱ダイヤモンドサッカー」の枠で1年をかけて放映されたことで、日本でもW杯という大会の存在が認知された。
そして、1974年には西ドイツでW杯が開催され、東京12チャンネルは決勝戦の模様を現地から衛星生中継。
ミュンヘンで行なわれた決勝戦では、ベッケンバウアーやミュラー、マイヤーをはじめ先発11人のうち、半数以上の6人がバイエルンの所属で、まさに"地元優勝"だった。
そして、当初はイングランドのフットボールリーグだけを放映していた「ダイヤモンドサッカー」でもブンデスリーガが放映されるようになり、1973-74シーズンのチャンピオンズカップ(現・CL)優勝の欧州王者バイエルンは、日本でもすっかり馴染みの存在となっていった。
【1975年に来日。ベッケンバウアー、ミュラー、ルンメニゲ......】
そのバイエルンが、1975年の1月に来日した。
1960年代後半から、欧州や南米の強豪クラブが来日して、日本代表と親善試合をするようになっていた。
1967年にはパルメイラス(ブラジル)、68年にはアーセナル(イングランド)、69年にはボルシアMG(西ドイツ)、70年にはベンフィカ(ポルトガル)、71年にはトッテナム(イングランド)といった具合だ。ボルシアMGにはギュンター・ネッツァーやベルティ・フォクツがおり、ベンフィカではエウゼビオもやって来た。
そして、彼らとの対戦は当時の日本サッカー界のメインイベントで、代表は事前合宿をして親善試合に臨んでいた。
そんな強豪クラブのなかでも、75年1月のウィンターブレークを利用して来日したバイエルンは別格だった。
なにしろ、現役のチャンピオンズカップ王者であり、ベッケンバウアー、ミュラーなどW杯優勝メンバーが顔を揃えていたのだ。
カール=ハインツ・ルンメニゲという19歳の若手FWも名を連ねていた。
東京・国立競技場で行なわれた日本代表との2試合は、いずれも開始早々にバイエルンが先制ゴールを決める。1月5日の第1戦では5分にベッケンバウアーの攻撃参加からギュンター・ヴァイスが決め、7日の第2戦では開始からわずか60秒、ヨニー・ハンセンのクロスをルンメニゲが決めて観客の度肝を抜いた。
現在のスタジアムのピッチは、人工的な砂床の上に芝生を植えて根付かせているが、当時の芝生は関東地方特有の天然の黒土(関東ローム層)の上に暖地型の"夏芝"を植えただけのものだった。そのため、冬場には芝生は休眠状態で、霜のためにぬかるんでしまい、日本国内でも黒土に慣れていない関西勢は苦戦したものだった。
普段は冬芝のグリーンの上でプレーしているバイエルンの選手たちが苦戦したのも無理はない。
【来日時のエピソード】
第1戦終了後の混乱のなかで、ベッケンバウアーが結婚指輪とネックレスを紛失したが、日本人ファンが見つけて無事にベッケンバウアーの手に戻るというエピソードもあり、無事にバイエルンの遠征は終わった。
なお、バイエルン戦には日本が生んだ不世出のストライカーで、元日の天皇杯決勝でリーグ、カップの二冠を達成したばかりの釜本邦茂(ヤンマーディーゼル=現・セレッソ大阪)が2試合ともフル出場している。
メキシコ五輪で活躍し、日本代表の親善試合や世界選抜戦などで世界のトップと何度も戦ったことのある釜本だが、のちに筆者が行なったインタビューではこの時に対戦したハンス=ゲオルク・シュヴァルツェンベックこそが「生涯で最も手ごわいDFだった」と語っていた。
ワールドクラスのDF相手にも常に対等に戦ってきた釜本にとって、フィジカル的に相手に優位に立たれたのが驚きだったようである。
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