元ホンダ・浅木泰昭 連載
「F1解説・アサキの視点」第12回 後編
F1のパワーユニット(PU)に関するレギュレーションが揺れている。2026年から導入されたPUのレギュレーションでは、エンジンと電動モーターの出力比率が50対50に設定されたが、ドライバーからは「全開で攻められない」などと不満の声が噴出。
そこで国際自動車連盟(FIA)と各PUメーカーは2027年から2年かけて段階的にエンジン出力を引き上げ、電動モーターの出力を引き下げることで基本合意した。
さらにFIAのモハメド・ビン・スライエム会長は昨年、次のレギュレーションで自然吸気(NA)のV10エンジンの復活を提案するが、これには多くのメーカーが反対を表明。NA回帰論は沈静したかに見えたが、今年に入ってスライエム会長は再びNAのV8エンジンの復活に強い意欲を示す。
はたしてF1のレギュレーションはどこに向かおうとしているのか? 元ホンダ技術者でF1解説者の浅木泰昭氏に話を聞いた。
【ワクワクする未来観が求められる】
ホンダは2021年シーズン限りで第4期のワークス活動を撤退し、それ以降はレッドブルを技術支援する形でF1に関わることになりました。そして、現在のレギュレーションが導入される2026年からアストンマーティンと組んで第5期のワークス活動の再開を決断しますが、その際、私が経営陣に対してこんなストーリーを話してF1復帰を説得しました。
「ホンダは"空飛ぶクルマ"と言われる電動垂直離着陸機(eVTOL)などの航空機事業や小型ロケットを開発して宇宙事業に進出しようとしていますが、高性能のバッテリーと軽量で高出力のモーターが絶対に必要になります。その技術をF1で鍛えるということは、ホンダの将来のためだけでなく、カーボンニュートラル社会の実現のためにも役立ちますよ......」
こういう、ちょっとワクワクするような自動車やモビリティの未来観を描けるストーリーが次のレギュレーションのなかに入っていれば、企業の経営陣や株主が「そうだよね」と納得しやすいと思います。
「いずれは大きなモーターとバッテリーで動く"空飛ぶクルマ"が出てくる」「電気自動車(EV)も新車販売の2~3割程度になるかもしれないけど、確実に普及していく」というのは、未来の可能性のひとつだと思います。あるいは「再生可能燃料がメインになって、EVは衰退して、全部ハイブリッドになっていく」という選択肢も考えられます。
世の中がどちらの方向に進んでいったとしても、F1が地球を救うというストーリーが存在するレギュレーションであってほしいというのが自動車メーカーの希望です。自然吸気(NA)のV8エンジンに回帰する理由が「安価で音が大きい」というだけでは、PUを供給する自動車メーカーが株主を納得させるのはなかなか難しい。
【大きなエンジン音は本当に魅力的なのか?】
現在のハイブリッドのPUレギュレーションの方向性は、間違っていないと私は考えています。だからこそ、新しいレギュレーションが導入された今年からホンダだけでなく、アウディやGM(ゼネラルモーターズ)、フォードもF1に参戦することを決めたと思います。
もちろんアメリカのF1人気が爆発したことも新規参入の自動車メーカーが増えた大きな要因ですが、F1で培った技術が地球環境に貢献するというレギュレーションが自動車メーカーにとって魅力的に映ったはずです。
そういう流れがあるなかで、FIAのモハメド・ビン・スライエム会長は次のレギュレーションが導入される2030年か2031年にはNAのV8エンジンを復活させたいと公言しています。その理由として「大音量の力強いエンジン音がファンを魅了する」と語っていますが、はたして本当にそうなのか?
F1では2013年シーズンまで2.4リッターのV8エンジンが使用されていましたが、翌年から1.6リッターのV6ターボにMGU-K(運動エネルギー回生システム)が組み合わされたハイブリッドのレギュレーションが導入され、サーキットから甲高いエキゾーストノートが消えました。
それから10年以上の月日が流れています。その間に人々の環境や騒音に関する意識は大きく変わっていくはずです。NAのV8エンジンでレースをしていた時代でも、サーキット周辺では住民が騒音に対する苦情を訴えたり、牧場で牛がお乳を出さなくなったり、さまざまな訴訟や抗議運動が起きていました。あの時代よりも人々の環境に対する意識は確実に高まっています。
大排気量のNAのV8エンジンが復活した場合、そういう問題に再び直面することになります。それはF1というスポーツはもちろん、レースに参加するチームや自動車メーカーにとってリスクになるような気がします。昔と違って、そういう問題をないがしろにするわけにはいきません。しっかりと対応していかなければならない時代ですからね。
もうひとつ懸念していることがあります。
職場の環境に対する意識も昔とは大きく変わっています。F1の開発で難聴になる人が出てきたら、訴訟問題にもなりかねません。高性能の耳栓で難聴のリスクを避けることができますが、従業員の健康は心配ですよね。
そういうリスクがあるにもかかわらず、F1のトップが大排気量のNAエンジンを復活させたいのであれば、チャレンジしてみればいいと思います。レギュレーションを変更することで興行として面白くなるのであれば、やってみればいいんじゃないか、というのが私の考えですから。
【NAエンジン回帰で気がかりな点】
NAのV8エンジンに回帰したとしても、技術開発競争はできます。NAになれば内燃機関(エンジン)圧縮時の空気圧力と温度はターボと比べてもかなり低くなり、高速燃焼が起きにくくなります。
高速燃焼はその名のとおり、速い燃焼を実現させることでパワーと燃費を向上させるという新たな燃焼方式です。低い圧縮比のなかで高速燃焼をどうやって起こすのかというのは、新しい技術競争になる可能性があります。
レギュレーションの中身次第ですが、ワンメイクレースにならない限りは、技術開発競争は行なわれます。開発できる部分を見つけ出し、そこで競争するのがF1ですから。
でもNAのV8エンジンで開発競争を続けていった先に、未来の自動車やモビリティ社会を切り拓いていくというストーリーにつながっていくのかと聞かれれば、まったくないとは言いませんが、現行のレギュレーションに比べるとリンクする部分は小さくなると思います。そこが気がかりです。
第13回につづく
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<プロフィール>
浅木泰昭 あさき・やすあき/1958年、広島県生まれ。1981年に本田技術研究所に入社し、第2期ホンダF1、初代オデッセイ、アコード、N-BOXなどの開発に携わる。2017年から第4期ホンダF1に復帰し、2021年までパワーユニット開発の陣頭指揮を執る。第4期活動の最終年となった2021年シーズン、ホンダは30年ぶりのタイトルを獲得。2023年春、ホンダを定年退職。現在はF1コメンテーターとして活躍。初の著書『危機を乗り越える力 ホンダF1を世界一に導いた技術者のどん底からの挑戦』(集英社インターナショナル)が好評発売中。



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