フェンシング女子サーブル日本代表
江村美咲インタビュー(中編)

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 大分県で幼少期を過ごし、小学5年生で家族とともに東京都板橋区へ移り住んだ江村美咲。中学時代は同世代のライバルに勝てない悔しさを味わいながらも、国際大会で優勝し、世界でも戦えるという手応えをつかんだ。

 高校は通信制を選択し、高校入学と同時にJOCエリートアカデミーに所属。実家のある板橋区から通うのではなく寮生活を選び、フェンシングに没頭する日々を送った。

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フェンシング江村美咲を襲った燃え尽き症候群 「やってしまえ」...の画像はこちら >>
── 高校からはJOCエリートアカデミーに所属しました。1998年生まれの江村選手にとって、2016年のリオデジャネイロオリンピックは、そろそろ視野に入っていたのでしょうか。

「2016年のリオオリンピックの時は、17歳の高校生でした。その頃は、オリンピックに出ることを見据えていたというより、『出られたらいいな』くらいの感じだったと思います。選考レースには絡んだものの、『あと一歩でオリンピック』というところで変にプレッシャーを感じてしまって、最終的にリオまで届きませんでした。

 その時に、『やっぱりまだ自分は、オリンピックという場にふさわしくないんだな』と思った記憶があります。出られなかった悔しさもありましたけど、まだ自分はそこに立てない、という気持ちも半分ありました。オリンピックは、少し雲の上の存在だったんだと思います」

── 悔しいからこそ「次こそは」と意気込んだり、悔しすぎて落ち込んだりする感じではなかったのですね?

「自分の性格として、『成功してからじゃないと、自分の可能性を信じてあげられない』ところがあるんですよね。その性格は今でもめんどくさいし、つらいなと思う部分ではあります。一歩一歩、結果を出していかないと、自分のことも信じてあげられない。

 本当にネガティブというか、基本的に悪いほうに考える性格なんです。よく言えば謙虚とも言えるのかもしれないですけど、ただただ、自分を信じてあげられないんですよね」

【練習の時間を大事にしようと】

── 話を聞いていると、少し苦しいというか、自分に厳しすぎるというか。完璧を求めてしまうタイプなのでしょうか。

「苦しいですけど、好きなことだからこそ集中しすぎてしまう、みたいなところはあるんですよね。フェンシングに関してはとてもストイックなんですけど、『完璧主義』という言葉からは程遠くて。たとえば、部屋は実は汚かったり(笑)。『部屋、けっこうきれいですね』って言ってもらえるようにしていきたいです」

── 抜けているところもあると聞くと、少し安心します。リオオリンピック後の2017年4月、中央大学法学部に入学されました。なぜこの大学を選ばれたのでしょう。

「自分は、まだ誰もやっていないところに挑戦するのが好きなんです。当時、中央大学のフェンシング部は男子がメインで、女子はサーブルでチームを組めるほど人数がいませんでした。まだ女子の歴史がないところに新しく行きたいという思いがあったのと、キャンパスが大きくて、『ザ・大学』という感じに憧れたこともあって選びました。

 当時は、大学側としても東京オリンピックを目指すタイミングで、『オリンピックに中央大の学生を輩出する』という目標を立てていました。

そのぶん、体制も整えていただきました」

── 練習環境は変わりましたか?

「練習は大学ではなく、ナショナルチームのほうでやっていたので、大きくは変わりませんでした。ただ、大学の授業のために八王子の多摩キャンパスまで通っていたので、それが大変でした。

 高校は通信制だったので、月曜から金曜までフルで練習に行けたんですけど、大学に入ってからは練習できる時間が大幅に減りました。多摩キャンパスまで往復すると2時間以上かかるんです。でもそのぶん、練習の時間を大事にしようと思うようになったのは大きかったですね」

── 東京オリンピックを目指していた時期だと思いますが、フェンシングへの取り組み方は変わっていったのでしょうか?

「大学時代はしばらく、ワールドカップでベスト8まで行くけどメダルに届かない時期が続きました。最初はベスト8にも残れなかったので、『ここまで来た』という感覚があったんです。

 でも、安定してベスト8に行けるようになると、今度は『このレベルじゃダメだ』と思えるようになりました。目標を小刻みに上げていく──。そういう時期が、大学2年生くらいまで続いたと思います」

【コーチに言われた「楽しめ」の意味】

── 2021年の東京オリンピックに向けて突き進んだ時期ですね。

「でも、この時期はこの時期で苦しかったです。東京オリンピック前は『生きるか死ぬか』くらい、自分を追い込んでいました。『ほかの人がやっていない時にやらないと、勝てるわけがない』と思っていて、休むことに対する罪悪感がすごかったんです。『やらなければ死ぬ』くらいの感覚で、とにかく量を求めて練習していました。

 あと、精神的には団体戦が苦しかったです。フェンシングは団体戦の順位次第で、オリンピックの個人戦に出場できる人数が変わってきます。だから、五輪出場権に関わる大会になると、コーチたちの熱もすごく強くなる。そこで変に日本人っぽい責任感の強さが出てしまって、『自分のせいで負けたらどうしよう』と萎縮してしまうこともありました。

 それに、団体戦は試合数が多いんです。トーナメントで負けても順位決定戦があって、負けたのに、あと3試合しなければいけない。その時のモチベーションを保つのが本当につらかったです」

── 東京オリンピックでは女子サーブル個人13位、団体5位の結果を残しました。しかしその後、燃え尽き症候群のようになってしまったそうですね。

「東京オリンピック後、フランス人のジェローム・グースさんが代表コーチになったんです。ジェロームはずっと『楽しめ』と言っていたんですけど、最初の頃はそれが全然ピンときていませんでした。

 東京オリンピックが終わった直後もエネルギーが続いていて、休むことなく走り続けました。その結果、いろんなことが重なって燃え尽きてしまったんです。

 その時、ジェロームに『2週間休め』と言われて、何をしようかと考えた時に、ずっとやってみたかった全頭ブリーチをしたんです。それが、今のヘアスタイルにつながっています。それまではいろんなことを考えて踏み出せなかったんですけど、その時はもう燃え尽きていたので、いろんなことがどうでもよくなっていて。『やってしまえ』という感じでした(笑)。

 やってみたら、思いのほか楽しくて。ジェロームからはいつも『楽しめ』と言われていて、最初は全然ピンとこなかったんですけど、今はようやくその意味がわかるようになりました。そのほうがパフォーマンスもいいなと思います」

【「休みは悪」と思っていた10代】

── コーチが変わったことは、メンタル面への影響も大きかったのですね?

「中学・高校時代に教わっていた熱血コーチだったら、ブリーチはできなかったかもしれないですよね。怒られはしないと思いますけど、もし結果が出なかったら、『髪を染めている場合か!』って言われそうな気はします。でも今は、みんなものびのびと楽しめています。

 10代の頃は『休みは悪』だと思っていましたし、休むことへの罪悪感もありました。でも、休んだことで変われたのが現実です。基本的に、失敗や負けたことから得るもののほうが多いタイプなんです。

リオに行けなかったことも、東京のあとに休んだ2週間もそう。負けが、その時その時でいろいろなことを教えてくれました」

── 10代の頃に持っていた完璧主義の苦しみが、少しずつ薄らいできたのですね。

「今は、当時よりかなり柔軟になったと思います。もちろん、まだ完璧主義なところはありますし、自己評価も低い。ちゃんと結果を出さないと、自分のことを信じてあげられないところもあります。

 つらいし、めんどくさいし、本当に生きづらい性格なんですけどね。でも最近は、年を取るのもいいよね、って感じています」

(つづく/文中敬称略)

◆江村美咲・後編>>「本当に生きづらい性格なんです」という理由
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【profile】
江村美咲(えむら・みさき)
1998年11月20日生まれ、大分県大分市出身。170cm。女子サーブル。ソウル五輪フルーレ代表の父と世界選手権エペ代表の母のもと、幼少期に競技を開始。大原学園高(JOCエリートアカデミー)時代から頭角を現し、中央大学進学後も実績を積んだ。2021年4月、日本フェンシング界初のプロ選手として活動を開始。

世界選手権個人戦2連覇や、2024年パリオリンピックでの日本選手団旗手、団体銅メダル獲得など歴史的快挙を達成。抜群のスピードと果敢なアタックを武器に、日本フェンシング界を牽引している。

了戒美子●取材・文 text by Yoshiko Ryokai

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