この記事をまとめると
■かつてフォードとポルシェとランボルギーニはトラクターを生産していた



■自動車メーカーでいち早くトラクターの製造を始めたのはフォードだった



■トラクターで財をなしてランボルギーニが自動車メーカーとなった逸話は有名だ



一流自動車メーカーはトラクターでも名を馳せた

クルマが牛馬に代わってひと様や荷物を運ぶようになって、世界の産業をさま変わりさせたのは社会科で習ったまんま。とはいえ、牛馬たちはクルマより先にトラクター(エンジン付き農業機械)によって仕事場を追われていたこと、クルマ好きなら先刻ご承知かと。



トラクターといえばランボルギーニこそ有名ですが、もっとも古くからトラクターを作っていたのは意外にもアメリカのフォード(1908年)。

次いで、またまた意外なことにポルシェ(1937年)となり、ランボルギーニは最後発という次第。



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T型フォードを大量生産したことで自動車メーカーの父的な存在として知られるヘンリー・フォード1世。農家に生まれた彼が農業機械を意識したのは1881年、父親が馬のけん引力を使った収穫機を購入したことでした。後年、クルマ作りを始めて得た利益で生家だった農場の周辺を買い取った際、そこらにあった収穫機やほかの農耕機械がいまだに牛馬を原動力としたものだったことにたいそう驚いたとのこと。



で、彼は持ち前の器用さでもって、クルマづくりで余った部品を使ってまんまとトラクターの試作品を作り上げたのでした。1908年、T型フォードの大量生産が始まった年、フォードは試作トラクターの写真を業界誌に送りつけました。時あたかも「農業機械は蒸気かガソリンエンジンか」なる議論のさなかで、フォードの比較的小型なエンジン付きトラクターは好意的に受け入れられました。



これぞリアルな農道のスーパーカー! フォード・ポルシェ・ランボルギーニの熾烈な農園バトル
フォード・モデルAトラクターのフロントスタイリング



※写真は1928年式フォード・モデルAトラクター



当時、ガソリンの入手は簡単ではなかったものの、調整が難しく(失敗すると爆発しやすい)、運転できるまで時間のかかる蒸気ユニットとは比べ物にならないほど便利に映ったのでしょう。



フォードのトラクターは、その後エンジニアのハリー・ファーガソンとのコラボによって飛躍的な進歩を遂げ、農業機械のトップランナー「ジョン・ディアー」を脅かしかねない存在にまで成長しました。



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フォード8Nトラクターのフロントスタイリング



※写真は1952年式フォード8Nトラクター



が、ファーガソンとの訴訟問題(油圧ジョイントシステムに関する権利問題)などの不運が重なり、1999年にトラクター事業を売却。ちなみに、買ったのはFIATグループ(!)でした。



最初はトラクターのメーカーだったランボルギーニ

油圧システムを装備したフォードのトラクター「Nタイプ」がアメリカで売り出される少し前のこと。

ナチ党首のヒトラーがお気に入りエンジニアのひとり、フェルディナンド・ポルシェ博士にドイツの農業生産効率を高めるためのトラクター開発を命じました。1933年ごろと思われますが、ヒトラーはアメリカやイギリスで次々と生産されていたトラクターのニュースが耳に入っていたこと間違いありません。



で、1937年には博士が試作車を完成させ、ヒトラーによってフォルクス・シュレッパー(Volks Schlepper=人民のトラクター、フォルクス・ワーゲンと同じ命名方式w)がお披露目されたのです。



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ポルシェ・ディーゼル・シュレッパー・スタンダードのフロントスタイリング



※写真は1959年式ポルシェ・ディーゼル・シュレッパー・スタンダード



が、タイミング的に戦争に突入してしまったため、これは試作品だけであっけなく終了。ポルシェ博士は兵器の開発を余儀なくされてしまうのでした。どうやら、ポルシェ博士は戦後、このトラクター生産を目論んでいたようですが、戦犯となったことや試作のみで終わったことから自らの名前を冠したメーカーとなることはドイツの法律的にNGだったようです。



もちろん、それくらいで凹む博士ではありませんから、手始めにオーストリアの工業メーカーとライセンス契約し、続けてドイツ国内のアルガイアー社とも生産契約を結んだのでした。で、1949年には2気筒ディーゼルエンジンのAP17(AP=アルガイアー・ポルシェ)をリリース。この収益こそ、グミュントで356を作り始めていた博士の大きな原資となったこと、あまり知られていないかもしれません。



これぞリアルな農道のスーパーカー! フォード・ポルシェ・ランボルギーニの熾烈な農園バトル
1959年式ポルシェ・モデル108ジュニアトラクターのフロントスタイリング



※写真は1959年式ポルシェ・モデル108ジュニアトラクター



ちなみに、959の開発責任者を務めるなどポルシェの頭脳と呼ばれたヘルムート・ボット教授のご自宅に招かれた際、博士が真っ先に自慢してくれたのがポルシェ製トラクターでした。一発でエンジンを始動させたとき、博士のキラキラした笑顔はいまでも記憶しています。が、AP17だったかどうかは定かではありません。

なにしろ、アルガイアーは200万台にのぼるポルシェトラクターを生産していたのですから。



ポルシェ博士のトラクターが市場に出まわり始めたころ、イタリアではフェルッチオ・ランボルギーニが軍の放出トラックのディーラーを開業してそれなりの成功を収めていました。拠点となったサンタアガタは農業が盛んな土地柄だったことが理由とされていますが、ランボルギーニはほどなくしてトラクターの製造に手を出したのです。



1948年にはランボルギーニ・トラットリ(トラクター)として創業、販売を開始しており、現在に至るまで堅調なビジネスを展開している模様。当初、彼が作るトラクターはエンジンの始動時だけガソリンを使い、通常運転では軽油で作動するという経済的なマシンで、これまた飛ぶように売れたそうです。



これぞリアルな農道のスーパーカー! フォード・ポルシェ・ランボルギーニの熾烈な農園バトル
ランボルギーニDL25トラクターのフロントスタイリング



※写真は1956年式ランボルギーニDL25トラクター



これで巨万の富をえたフェルッチオが1963年、ついにトリノショーに自らの名を冠した350GTVをデビューさせたのはご承知の通り。



一見すると馴染のなさそうなクルマとトラクターですが、ここで紹介したブランドの時代背景や土地柄など詳しく調べていくと、まだまだ興味深いエピソードが隠されていそうです。また、現在のトラクターについてもクルマの遠縁かのように思えて、見る目が変わるのは決して筆者だけではないでしょう。

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