この記事をまとめると
■ポルシェ914は水平対向エンジンをミッドシップ搭載し、デタッチャブルトップを備えていた■当時のポルシェのオールスター的なメンバーによって914は開発された
■フラット6搭載の914/6やフラット8搭載の914-8、限定モデルの916など多数の派生モデルが誕生した
ワーゲンとポルシェによって共同開発されたミッドシップスポーツ
ワーゲンポルシェという車名、クルマ好きなら耳にしたことがあるはず。もちろん、言わずと知れたポルシェ914のニックネームであり、またフォルクスワーゲンとポルシェの合同プロジェクト名でもあったのです。
コンパクトでミッドシップ、水平対向エンジンを搭載し、そのうえデタッチャブルトップまで備えていたなんて、いまとなっては夢のようなポルシェですが、「失敗作」とか「プアマンズポルシェ」など、ネガな噂がつきまとっているのもご存じのとおり。
ポルシェ914のプロジェクトが発足したのは1960年代半ば。当時、ポルシェは911をリリースして好調な売り上げをマークしていたものの、値段が高いことや生産工数がかかることで「爆発的ヒット」には至っていませんでした。一方、フォルクスワーゲンは満を持してリリースしたスポーツモデル「カルマン・ギア」の売り上げが思ったほど伸びずにいて、次のモデルを模索していたタイミングだったといわれています。
両社は第二次大戦後に取り交わしたビートルの生産にかかわる提携(ロイヤリティ)関係にあり、新たなスポーツカーを共同開発することがわりとスムースに決まった模様。
ポルシェのマニアならご存じのとおり、914の開発には伝説的メンバーがフルラインアップ! まずプロジェクトリーダーにはフォルクスワーゲン経営一族と血縁関係でもあったフェルディナント・ピエヒ博士が立ち、開発責任者にはポルシェの頭脳と呼ばれたヘルムート・ボット教授、エンジン開発にはポルシェエンジンの立役者たるハンス・メッツガー、そのうえスタイリストにはフェリー・ポルシェ博士の息子ブッツィが携わるというドリームチーム。

一方のフォルクスワーゲンは、既存エンジンやパーツの供給と、販売網「VW-PORSCHE」の構築といった大企業らしい役割を担ったのでした。
スチール製モノコックボディをミッドシップとするアイディアはもちろんボット教授によるもので、デタッチャブルトップがリヤトランク(エンジンの上)に収納可能という実用的なアイディアはブッツィ・ポルシェがひねくりだすなど、1968年にはプロトタイプが完成。搭載するエンジンはビートル用4気筒水平対向エンジン(1.7リッター80馬力)と、110馬力を発揮する911T用6気筒水平対向2リッターの2タイプが用意されました。

小さいほうが914と名付けられてフォルクスワーゲンブランドで、大きいほうは914/6としてポルシェブランドで販売する予定でしたが、1969年にフォルクスワーゲンの会長についたクルト・ロッツがこれを覆し、すべてフォルクスワーゲンブランドで販売することを主張。
どうやら、ロッツ一派はフォルクスワーゲンの血脈経営を快く思っていなかった模様で、ピエヒらと激しい対立があったとも噂されています。が、とにかく1969年のフランクフルトショーで914がデビューすると、市場ではおおむね歓迎ムード。
ル・マン24時間やモンテカルロラリーなど競技でも活躍
ところが、ブッツィのデザインワークに対し、デザイン専門誌が「心動かされない」といった批評を載せたことで事態は一変。一部の自動車専門誌もこれに迎合し、心無い大衆もまた「プアマンズポルシェ」などとせせら笑うようなことに。
ですが、914はさすがドリームチームの作品だけあって、デビューイヤーにエントリー(914/6)したル・マン24時間レースで総合6位、2リッタークラス優勝、ル・マンで価値のある性能指数賞では2位をゲット。また、ラリー大好きなポルシェですから、当然のようにモンテカルロ・ラリーにもワークス参戦。

その後は、ラリーポルシェの雄、アルメラスに任せられてミッドシップらしい活躍を見せています。985kgという軽量な車体に110馬力ですから、さほどパワフルというわけでもないのにレースで強いというのは、走りの資質が非常に高いということにほかなりません。
加えて、1973年にマイナーチェンジ的に登場した914 2.0に搭載されたフォルクスワーゲン製フラット4エンジンは、メッツガーが生涯で2番目に傑作だと自信を持つもの。独自のスープアップでポルシェ製2リッターフラット6に劣らないパワー(100馬力)を発揮しつつ、エンジン重量の軽減を実現しているのです。

その後も、914にはバリエーションが加わり、911Sや911RSのフラットシックスが搭載された916や、レーシングカーの908で用いた3リッターフラットエイトを積んだ914-8といった限定車ながらじつにポルシェらしい進化を遂げています。

とりわけ916は11台の限定車だったためか、オーバーフェンダーやファットなホイールを模したカスタムが流行り、相当な数の914が916ルックとなったようです。生みの親のひとり、ボット教授はそうしたアメリカの流行に目を細めて喜んでいたといわれています。

ともあれ、ポルシェがもくろんだエントリーモデルという役割を十分に果たした914は1976年まで生産され、911より一桁多い生産台数を記録(6年間で11万台余り)しています。

いまさらいっても詮無いことですが、フォルクスワーゲンがもうちょっと大人な対応をしていたら、914はもっと偉大な存在になっていたこと間違いありません。
もっとも、914の次に提携した924(フォルクスワーゲン製直列4気筒を搭載)も幸せに満ちた生涯とは言えなかったので、そもそもフォルクスワーゲンとポルシェの相性はよろしくないのかもしれません。いまでこそフォルクスワーゲングループに加わったポルシェですが、こうした歴史を振り返ると現在の蜜月も安泰とは言い切れないのかもしれません。