この記事をまとめると
■スイスに「モンテヴェルディ」という自動車メーカーがあった■1967年にはクライスラー製V8を搭載した「ハイスピード375」を発売
■1970年に流麗なボディに7リッターV8をミッドシップ搭載した「ハイ450SS」を発表
スイスにも自動車メーカーがあった
今回ここで紹介するのは、かつてスイスに存在した自動車メーカー、モンテヴェルディのモデルたちだ。はたしてスイスに自動車メーカーがあったのかどうかさえ疑問に思う読者のなかにも、次のようなブランドの名をあげれば自分の記憶の片隅に、その姿が思い浮かぶかもしれない。リンスピードやスバッロ、最近マイクロカーの生産で大きな話題を呼んだマイクロモビリティシステムなどがそれだ。
いくつか存在するスイスの自動車メーカーのなかでも、もっとも積極的にロードモデルを展開し、最終的にはF1への参戦記録まで持つのがモンテヴェルディだ。
1967年に故ペーター・モンテヴェルディが設立したこのメーカーがまず取り組んだのは、1967年から1976年まで生産が継続されたスポーツカーのハイスピード375シリーズで、複数の異なるボディをもつこのモデルには、クーペ、コンバーチブル、セダンのほかに、クーペ・ベルリネッタとカブリオレ・パームビーチの両仕様も用意されていた。

カロッツェリア・フィッソーレの手によってデザイン、そして製作されたボディに組み合わされるエンジンは、クライスラー製のV型8気筒OHVで、その最高出力が約375馬力であったことから(SAEグロス値)、この数字を添えた「ハイスピード375」というモデルが1967年に誕生。モンテヴェルディの歴史はここに始まった。

1967年の国際自動車見本市(IAA)のオート・ベッカー社ブースで発表されたハイスピード375は、そのエレガントなボディワークと確実で正確なハンドリング、そして豪華で完成度の高いインテリアでも高く評価された。

生産は1967年中にドライブトレインとサスペンションをシャシーに組み込むスイス・ビニンゲン工場でのモンテヴェルディ側の仕事と、イタリア・トリノにあるフルアの工場が担当するボディの架装とインテリアのフィニッシュに分担して行われ、その効率的な生産方法により、最初の半年で12台のハイスピード375が出荷されたという。
さらに、モンテヴェルディは、エンジンの最高出力を400馬力にまで高めたハイスピード400も企画するが、こちらは残念ながらプロダクション化されることはなかった。
450馬力のヘミV8をミッドシップしたスーパーカー
1968年になると、モンテヴェルディはさらにその生産規模を大幅に増大するプランを打ち出すが、それはカロッツェリア・フルアの生産能力をすでに大きく超えた数字だった。
結果、フルアはカロッツェリア・マッジョーラに、モンテヴェルディ車のボディ製作を依頼するが、すでに近代的な生産設備を持つマッジョーラとの間では生産コストに大きな差があり、モンテヴェルディはその案を断念。やはりイタリアの小規模なカロッツェリアに、ボディの製作を依頼することが残された唯一の方法だった。
そのような困難を乗り越えて、モンテヴェルディは1970年のジュネーブ・ショーで、「ハイ450SS」のプロトタイプを披露する。

クライスラー製の7リッター版V型8気筒OHVエンジンをミッドに搭載し、車名に掲げられるとおり450馬力の最高出力を発揮したこのプロトタイプは、当然のことながらショーでの大きなトピックスとなったが、ボディはフィッソーレのトレヴァー・フィオーレによるものか、あるいはピエトロ・フルアのデザインによるものか、現在においてもその最終的な答えは得られていない。

ちなみにネーミングの最初にあるハイとは、ドイツ語で「サメ」を意味するもの。事実、この450SSは、0-100km/h加速で6.9秒、最高速では280km/hというテストデータを記録している、まさにサメの如き運動性能をもつモデルだった。

モンテヴェルディは当初、車名を変更し49台のハイ450GTSを生産する計画だったが、実際に完成されたのは1台のみ。1990年代にはスペアパーツからさらに2台のレプリカが製作され、それらはスイスのルツェルンにあるスイス国立交通博物館に所蔵されている。
スーパーカーによってスピードを追い求める夢、それはスイスという小国にとっても、野心家が抱くごく自然な夢だったのである。