この記事をまとめると
■ラリーといえばパリ・ダカールラリーが有名だ■1992年に「パリ-モスクワ-北京ラリー」というラリーが開催された
■1万6000キロもの距離を27日間かけて走り抜けた
とんでもないラリーが開催されていた!
クロスカントリーラリーあるいはラリーレイドといえば、多くの読者が「パリ-ダカール・ラリー」、通称“パリ・ダカ”を思い浮かべることだろう。
たしかに1979年にスタートした“パリ・ダカ”は、1981年にFIAの公認イベントに昇格。それ以降、三菱を筆頭にポルシェ、プジョー、シトロエン、日産など数多くの自動車メーカーが参入するようになり、クロスカントリーの代名詞となるイベントとして定着した。
1979年の初開催ではフランス・パリをスタートし、ヨーロッパを南下してアフリカ大陸へ上陸。セネガルの首都・ダカールでゴールを迎える過酷なルートで、その後はスタート地/ゴール地を変えながらも、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸を中心に開催。社会情勢の関係により、2009年からはアルゼンチンやチリ、パラグアイ、ペルーを中心とする南米大陸、経済状況の悪化で2020年からは中東のサウジアラビアを舞台に“ダカール・ラリー”として開催されるなど、エリアを変えながらも世界でもっとも過酷なラリーとして定着しているが、その“パリ・ダカ”を凌ぐほど、スケールの大きなクロスカントリーラリーが行われていたことをご存じだろうか?

そのラリーが1992年に開催された伝説のラリー「パリ-モスクワ-北京ラリー」だ。文字どおり、フランスのパリをスタートし、ロシアのモスクワを経て、中国の北京でゴールするラリーで、ユーラシア大陸を横断するルートで開催。パリ-ダカにおける最長ルートが1986年1月1~21日の21日間に渡って開催された第8回大会の1万5000km、通過国にして「パリ→アルジェリア→ニジェール→マリ→ブルキナファソ→セネガル」の6カ国だったが、1992年9月1~27日の27日間にかけて開催されたパリ-モスクワ-北京ラリーでは1万6000km、通過国にして「フランス→ベルギー→ドイツ→ポーランド→ベラルーシ→ロシア→カザフスタン→トルクメニスタン→ウズベキスタン→キルギスタン→中国」と11カ国を跨いで開催された。

まさに想像を絶するスケールのラリーだが、同ラリーの原型となったのは、1907年に開催された「北京-パリ モーターチャレンジ」だった。文字どおり、北京をスタートしてパリでゴールする過酷なラリーで、距離にして1万6000km、日数にして2カ月間に渡って開催。参加台数は5台で完走したのは3台というサバイバルラリーだったが、このアドベンチャーラリーが85年のときを経て復活したのである。
開催は2回だけ!
1992年に開催されたパリ-モスクワ-北京ラリーには、19カ国から161台がエントリー。うち出走したのは153台で、四輪部門には93台がユーラシア大陸の横断に挑んだ。
なかでも、四輪部門には当時のパリ・ダカ“と同様にZXラリーレイドを投入するシトロエンとパジェロを投入する三菱の2大ワークスが激しいトップ争いを展開。同ラリーには日本人ドライバーの篠塚建次郎も参戦していたが、上位争いを繰り広げながらもオルタネーターのトラブルにより、4位でフィニッシュすることとなった。

結局、サービスごとに主要パーツを交換する物量作戦を採用したシトロエンのピエール・ラルティーグが同大会を制覇。三菱のアーウィン・ウェーバーが2位、同チームのブルーノ・サビーが3位に入賞した。
この空前絶後のスケールを持つパリ-モスクワ-北京ラリーは、それから3年後の1995年8月5~26日に第2回大会として「パリ-モスクワ-ウランバートル-北京ラリー」が開催されたが、同大会を最後に“パリ-北京”が開催されることはなかった。

ユーラシア大陸を横断する同ラリーは、ドラマチックで、ロマンに溢れる大会だったが、現在、ロシアはウクライナへ侵攻中にあるなど、社会情勢が不安定であるだけに、もう2度とユーラシア大陸を横断するラリーが開催されることはないだろう。