この記事をまとめると
■ラスベガスでは11月に「SEMAショー」が開催され1月には「CES」が開催される■「SEMAショー」「CES」ともに初開催は1967年だった
■同会場で行われる異なるふたつのショーがこの先のクルマ姿に大きくかかわっている
ほんの2カ月の間をおいて開催される「SEMAショー」と「CES」
昨今のクルマは多様化を究め尽くしている。かたやICEこと内燃機関で排ガスを吐いて走る従来的なクルマがある。もう一方では、BEVとして電気で走るのは当たり前で、情報やセンシングを起点にインフォトロニック化されたSDV(ソフトウェア・デファインド・ヴィークル)がある。
だが、じつはICE車もヴィークル・ダイナミクスからADAS機能まで相当にインフォトロニック化されていて、車載/非車載での統合的演算処理は増える一方。そして、電動車はバッテリーに貯蔵できる電力だけでは乗員や荷物を載せた車体を走らせるだけの駆動を賄える範囲が限られ、しかもエネルギーを可搬化するための原材料すらままならず、にわかにハイブリッドが現実解として注目されているのが現状だ。
平たくいえば、アナログ過ぎても逆にデジタル過ぎても、クルマとして偏りすぎて用途的にも嗜好的にも狭いゾーンに陥りがち、というのが現代の感覚なのだろう。
事実、アメリカはネバダ州ラスベガスでは毎年11月と1月、ほんの2カ月という間をおいて「SEMA(スペシャリティ・エキップメント・マーケット・アソシエーション)ショー」と「CES(コンシューマー・エレクトロニクス・ショー)」が、同じコンベンションセンターにて、じつにいけしゃあしゃあと開催されている。

偶然か必然か、いずれのショーも初開催年は1967年。
当時のSEMAは「スピード・エキップメント・マニュファクチャラー・アソシエーション」の略で、早い話がサーキット・トラックでもストリートでもクルマをハイパフォーマンス化するチューナーたちの集まりが主催団体で、会場もラスベガスでなくカリフォルニア州、昨年に大谷翔平選手が50-50を決めたドジャー・スタジアムだった。
CESのほうも、いまは「CTA(コンシューマー・テクノロジー・アソシエーション)」という業界団体が主催しているが、その前身は1920年代に形成された「ラジオ・マニュファクチャラーズ・アソシエーション」で、やがてテレビやエレクトロニクス、通信やソフトウェア関連のメーカーが加わった経緯がある。

クルマも飲み込んだデジタルの見本市
実際、ニューヨークで行われた1967年のCES初回での展示物は、ポケットラジオやテレビ、その中身であるIC回路だったとか。1970年にはビデオカセットレコーダー、1980年代にはCDプレーヤーや家庭用ゲーム機、1990年代にはDVDやゲームソフト、2000年代にはコンピュータのOS、2010年代はプロセッサやエンベデッド(ソフトウェア・)システムなど、CESは時代ごとに脚光を浴びるアイテムを変えながら領域を拡大してきた。

自動車は、2008年にGMが独自のFCEVを、2011年にフォードがフォーカスのBEVを発表するなどしていたが、このころまではテレマティクス技術または車載タッチパネルの解像度が上がったといった話題に限られていた。
とくにBEVやSDVがCESの目玉になってきたのは2012年以降、メルセデス・ベンツがクラウド技術をベースに「コネクティッドカー」を押し出し、2015年に「F015 ラグジュアリー・イン・モーション」というコンセプトカーで自動運転をロードマップ化してからだ。

つまり、アマゾンやNVIDIAやグーグルと肩を並べる場で、クルマの運転はエンベデッド・ソリューションのひとつになり得るというような考えを、当の自動車メーカーが示したのだ。
その後、ソニーが2020年と2022年に「ヴィジョンS」と「ヴィジョン-S 02」というコンセプトをCESで発表し、同社がホンダと組んだアフィーラもセダンのコンセプトカーを2023年に見せたのは周知のとおり。ただ一方で、多数のプレーヤーがひとときは参入したロボタクシーから、GMとホンダは撤退している。

SEMAショーのようなカスタム&チューニングのクルマの側にも、変化が兆している。BEVの強大なトルク&パワーを1960~70年代の古式ゆかしいマッスルカーにインストールすべく、EVバッテリー&パワートレインが、ほぼボルトオンのDIYキットとして販売されている。GMやフォード、クライスラーといった往時のアメ車のラダーフレームがリビルドで手に入るので、新旧どちらかのICEを積むのも自由なら、あえてバッテリー&モーターを積んでみるのも自由という様子だ。
クォーターマイルを突っ走るか、峠でドリドリか、目指す走りの方向性は異なるとはいえ、昨年の東京オートサロンでトヨタGRがハチロクのEVカスタムを発表していたのと、洋の東西で奇妙にも軌を同じくする部分といえる。

ステアリングを握ってクルマを操っていることに価値を見い出すSEMAショー側の世界では、ハンズオフ機能やその先に続く自動運転への萌芽はいまのところ見られない。でも「移動を我がこととして思えるかどうか」、あるいは「移動を他人任せのものと考えないこと」に、この先のクルマもしくはクルマの未来がかかっていることが、様相は異なるが同じ会場で行われるふたつのショーを通して、わかる。
逆にいえば、歩きスマホや(自転車でもクルマでも)ながら運転は、テクノロジーやそれに対する意識を停滞させこそすれ、進化を促すことには程遠いのだ。