この記事をまとめると
■現在ではミッドシップのイメージが強いランボルギーニだが過去にはFRモデルも多かった■ランボルギーニ初の市販車である350GTから始まり複数のFRモデルが存在する
■希少であり知名度も低いFRランボルギーニは名車揃いだ
ミッドシップじゃないランボルギーニも名車揃い
クルマにおける12気筒エンジンほどほれぼれする造形はありません。目で見て愛でることができるという点ではダントツかと思われます。すると、例外こそあれ眺めるには車体の奥深く据えられてしまうミッドシップよりも、大きなボンネットフードをガバっと開けられるFR車に分があることは明らか。
いまでこそミッドシップスポーツカーが盛んなランボルギーニとて同様で、黎明期は古式ゆかしいV12のFRモデルばかり。ちょっとした目の保養にはもってこいなのです。
350GT
記念すべきランボルギーニ初の市販量産車が350GTです。その名のとおり、3.5リッターのV12をフロントに搭載し、およそ270馬力を発揮。これはフェラーリのモータースポーツ部門でエンジン設計をしていたジオット・ビッザリーニを引き抜いて作らせたもの。

スタイリングはプロトタイプだった350GTVから引き続きカロッツエリア・トゥーリングで、軽量を実現するスーパーレジェッラ製法で作られています。はじめてのクルマだったこともあるのか、エレガントではあるもののランボルギーニらしさとか、テイストは薄味などと評されます。

350GTはその後、エンジンの排気量が拡大され、ボディにいくらか手を加えた400GTへと進化。また、同じくスーパーレジェッラで作られてはいるものの、アルミニウムでなくスチールに置き換えられたとのこと。それでも、FRランボの出発点としては変わらない価値があるモデルに違いありません。
イスレロ

350/400GTの後継モデルとして1968年に登場したのがリトラクタブルライトを初めて採用したイスレロです。驚くべきは、スタイリングをフェルッチオ・ランボルギーニ自らが担ったというポイントですが、さすがにトゥーリングのデザイナーだったマリオ・マラッツィが水面下で手伝ったとされています。

また、フロントに搭載されたV12エンジンは400GTとほぼ同じ仕様で、発生出力も320馬力とまったく同じ。もっとも、後に加えられたイスレロS(1969年)ではいくらかチューンされており、350馬力と公表されています。

なお、このイスレロはミウラ(1966年)に次いで闘牛にまつわるネーミングとなっていますが、イスレロという牛を育てていた牧場の名がミウラだったとのこと。このあたりから、フェルッチオの情熱がグイグイ強まっていったことがよくわかるエピソードではあります。
個性的な見た目だけでなく走りが高く評価されたモデルもあった
エスパーダ

ガンディーニによる独特なスタイリングと4シーターのグランツーリスモということで、初期のランボルギーニのなかでもひときわ個性が光るモデル。有名なプロポーザルモデル、「マルツァル」と、ジャガーのために製作したコンセプトモデル「ピラナ」双方のエッセンスが混然となっているほか、シリーズIII(1972~1978年)ではパワステを標準装備するなど、ミウラに負けず劣らず意欲的なモデルといえるでしょう。

なお、1978年の生産中止までにわずか1217台しか作られなかったというのもエスパーダを伝説のモデルへと至らしめているかと。もっとも、この年にランボルギーニが倒産(イタリア政府の持ち物になりました)していなければ、もう少し伸びたはずですけどね。
ハラマ

ハラマは猛牛でなく、スペインのサーキットに由来する車名。ハッチバックスタイルからエスパーダの後継と思われがちですが、それまでの鋼管フレームからモノコックへと変更、また、全長/ホイールベースを詰めてよりスポーティな運動性を持たされた意欲作。

フロントに収まるV12エンジンは4リッター/350馬力(GT)と、圧縮比を高めて365馬力(GTS)を発生する2タイプが用意されました。
2+2GTのスタイリングはもちろんベルトーネに在籍していたガンディーニで、ボンネット上のNACAダクトや、特徴的なリトラクタブルライトなどハラマだけの意匠が凝らされています。

また、当時ランボルギーニのテストドライバーだったボブ・ウォレスがハラマの運動性能をとても気に入っていた、というのも有名な話。彼はハラマを軽量化(リトラクタブルライトを廃し、ボンネットをFRPするなど)した上に、エンジンをキャビン側に移動させてより重心位置を有利にさせた「ハラマRS」なるテスト車両まで作り上げています。

328台というきわめて少ない生産台数から失敗作、不人気車などといわれることもあるハラマですが、じつはFRランボのなかでは極めつけの名車だったこと間違いありません。