
同日、戸籍法の施行規則も改正され、外国人配偶者の「国籍」欄が「国籍・地域」欄に改められ、表記として「台湾」および「パレスチナ」が認められるようになる。
今回の改正について、台湾現地からは歓迎の声が上がっている。しかし、そもそもなぜこれまで「台湾」表記が認められていなかったのか。
台北に在住し、現地で俳優・タレントとして活動する葛西健二氏が、戸籍表記の背景にある歴史的な経緯を解説する。
「私は台湾人です」
日本の戸籍制度における、台湾人配偶者の国籍の表記に関する問題については、日本でもニュースなどで報じられたようです。しかし、大半の日本人は、この問題の存在自体を、ご存知でなかったのではないでしょうか。
日本人が外国人と結婚した場合、日本人の戸籍欄には配偶者の名前と国籍が記載されます。
私は日本人ですが、妻は台湾人です。入籍した時、私の戸籍内の「配偶者の国籍」欄に「中国」と記載されているのを見て、彼女は「しょうがないね」と諦めるようにつぶやきました。
そんな妻も、子供の出生届を提出した際、日本の区役所の担当者から「母の国籍」欄を「中国」とするよう求められた時には、真剣なまなざしで「私は台湾人です」と訴えました。
生まれてきた子の届出書類にさえも自身のアイデンティティである「台湾」と記せないこと、そのやるせなさと悲しさを痛烈に感じた私は、自分で決めたルールではないとはいえ、日本人として本当に申し訳ない気持ちを感じました。
同時に、「出自を堂々と示せないことは個人の尊厳に関わる重大な問題である」と痛感しました。
今回の戸籍法改正で、日本の法務省が国籍欄を「国籍・地域」欄に改め「台湾」表記を認めたことは、台湾人や台湾人を配偶者に持つ日本人にとって、まさに「福音」と言えます。
私自身も、長年喉に引っかかっていたものが取れたような爽快感を覚えました。
実際に「中国」表記がされた戸籍
「台湾」と「中国」どちらの表記も可能
今回の措置は、法務省令である戸籍法施行規則に「36条の2」を新設することで実現します。戸籍法施行規則36条の2:戸籍法又はこの省令の規定により届書又は戸籍に国籍を記載することとされている場合において、次に掲げる地域の法を本国法とする者が届出をするときは、当該地域を届書又は戸籍に記載するものとする。この規則は、5月26日に改正戸籍法と合わせて施行されます。
1台湾
2パレスチナ(ヨルダン川西岸地区及びガザ地区)
条文だけを見ると、台湾人は「国籍・地域」欄に「台湾」としか書けなくなるように読み取れますが、法務省民事局に問い合わせると「(中国と書くことを望んだ場合に)本人がどうしてもという時は、そこは個別で判断する場合もあるかもしれません。(中国という表記は)できるということにはなっています。必ず台湾と記載しなければならないという規定ではありません」とのことでした。
「中華民国」と「中華人民共和国」
ここで、なぜ日本が台湾人の国籍を「中国」としていたのか、説明しましょう。直接の原因は、1964年6月19日付で発出された「法務省民事局長通達」です。
「通達」とは、行政機関内部での法令の解釈基準を統一するためのルールです。「業務命令」のようなものといえます。
上記の通達は、中華人民共和国出身者が出生や死亡した時などに国籍欄に「中華人民共和国」と書くことを求める例が多発したことを受け、東京法務局長が法務省に照会したことに対する回答、という形式になっています。
当時は日中国交正常化(1972年9月)前であり、日本政府は中華人民共和国を国家として承認しておらず、承認していない国を国籍として書くわけにはいきませんでした。
当時の日本政府の公式見解は「中国とは『中華民国』、すなわち台湾を支配している政治実体である」というものです。
1912年に孫文によって建国された中華民国は、中国大陸および第二次大戦後に接収した台湾島を支配しました。
1964年の時点でも中華民国政府は「大陸反攻」を掲げており、「大陸を含めた領土が中華民国」という立場でした。しかし、実際には「『中華人民共和国』を名乗る日本政府未承認の政治実体」が大陸を支配しているという、何とも分かりにくい構図でした。
つまり、当時の世界には2つの「中国」があり、それぞれが「自分たちこそが本家本元」と、争いを繰り広げていたわけです。
「中国」表記が誕生した理由
こうした状況ですから、東京法務局長は「中華人民共和国」を国籍欄に書かせるわけにはいきません。そこで考えたのが、「中華民国政府は台湾も大陸も治めていると主張しているのだから、どちらも『中国』にすればいい」という、アクロバティックな解決法です。
「中華民国」にすると大陸の人は「自分たちは中華人民共和国だ」と納得しないでしょうが、「中国」なら中国人民共和国の略にもなるため、台湾と同じ表記でも文句はないはず、と考えたわけです。
それを法務省民事局に照会し、当時の平賀健太民事局長がゴーサインを出し、台湾についても中華人民共和国についても国籍欄では「中国」と表記するようになりました。
つまり、当時の通達は、主に中華民国政府に配慮したものだったのです。

2つの「中国」の間には複雑な歴史が存在する(barks / PIXTA)
「日中共同声明」により中台が逆転
ところが1972年に日本政府と中華人民共和国政府との間で「日中共同声明」が調印され、両国の国交が結ばれたことにより、中国と台湾の立場は逆転します。日本政府はそれまでとは一転して中華民国(台湾)政府と断交しました。そして、「中華人民共和国が中国における唯一の合法政府であり、台湾は中華人民共和国のものである」という中華人民共和国政府の立場を理解・尊重すると表明。
台湾人としては、国籍欄に「中国」と書かれると、台湾が中華人民共和国の一つの地域のように見えてしまうので耐え難い、という状況に陥ります。
私の妻は、まさにそのような歴史の流れのなかで、台湾人としてのアイデンティティを否定されたような気持ちになったというわけです。
こうした状況を何とか打開しようと、日本では親台派の国会議員らが中心になって「台湾」と表記できるように活動してきました。
住民票や在留カードの場合には「国籍・地域」を記載することになっており、「台湾」と表記することができたのですが、戸籍だけは「地域」がなく「国籍」のみ認められており、「台湾」と表記できない状況でした。
今回の省令改正の理由を前述の法務省民事局に聞くと「住民票であったり、在留カードであったり、他の手続きで既に国籍・地域として『台湾』と記載しているのに、戸籍の方は『中国』のままなので不都合があるというのは(日華議員懇談会などの)団体からも聞いておりましたし、揃える形にしたというのが法務省としての理由となります」とのことでした。
台湾政府は感謝を表明
中華民国(台湾)外交部は一連の報道を受け、日本在住の台湾出身者のアイデンティティ尊重に加え、身分上の判別をさらに明確にしたとのコメントを発表。また林佳龍(りん かりゅう)外交部長(外務大臣)は、日本各界の努力に感謝を表明しました。
台湾メディアも良好な反応を示しています。
例として、「台湾人はようやく自身の出自を『台湾』と胸を張って言うことができるようになった。日本の法務省による正名(台湾本土化運動の名称)への小さな一歩は、台日関係発展への大きな一歩であることをはっきりと示している」(「台視新聞)2025年2月18日:原文から筆者が訳出)と、日台関係の更なる発展と評する報道がありました。
SNSにも歓迎のコメントが多数
台湾の一般市民からも、好意的な声が多数寄せられています。台湾のSNS「Dcard」やYahoo!台湾、YouTubeやFacebookなどから声を拾ってみました(以下、筆者が訳出)。
「やっと台湾人としての誇りを取り戻せた、市役所で『私は台湾人』と突っぱねていたのを思い出すよ」という歓迎のコメント。
「台湾は国家ではない現状に配慮して『国籍、地域』としたのはとても親切だね)」と、日本の対応を評価する声。
「日本が台湾を国家として正式に認めたときの重要な既成事実となるだろう」と、未来へ期待する思い。
「製菓衛生士免許の本籍も中国から台湾に切り替えてもらえるかな?」など、国家資格免許等の「地域名」対応を求める声も複数挙がっていました。
台湾人の妻と喜びを噛みしめる
台湾国立政治大学選挙研究センターでは、1992年から中華民国籍保持者を対象に「自分は台湾人か、それとも中国人か」という調査を行っています(國立政治大學選舉研究中心重要政治態度分佈趨勢圖・臺灣民眾臺灣人/中國人認同趨勢分佈(1992年06月~2024年12月))。1992年の調査開始時には「自分は台湾人」と回答した人の割合は17.6%でしたが、以降、上昇し続けてきました。
2024年12月発表の最新調査結果では「自分は台湾人」と回答した人は63.4%であり、2020年以降ずっと60%を上回っています。
一方で、「自分は中国人」と回答した人の比率については、1992年には25.5%。当時は、対象者の4人に1人が自身を「中国人」と認識していたということです。
ところが、2002年には10%を割り、その後も減少を続け、2024年度には僅か2.4%。最も低い数値を記録しました。
この調査からも、台湾では「台湾人」としてのアイデンティティを持つ人が多数を占めていると言えるでしょう。
この現状に沿った日本の対応は、日本人を配偶者に持つ台湾の人々にようやく訪れた朗報、と言えるのではないでしょうか。
この知らせを知った妻は、「次回日本に行く時には『台湾』表記に変更する」と楽しみにしています。
日本では省令の改正に過ぎないのかもしれませんが「自身の出自が『中国』ではないことを堂々と示せる」と喜ぶ妻の笑顔に、台湾の人々には大きな自信となったのだ、と私も妻とともに喜びを噛みしめた次第です。
■葛西健二
京都産業大学外国語学部中国語学科、淡江大学(中華民国=台湾)日本語文学学科大学院修士課程卒業。1998年11月に台湾に渡り、タレント、俳優として活躍。映画「賽德克巴萊 セデック・バレ」(2011年)、テレビドラマ「聽海湧」(邦題「海の音色」、2024年)など多くの作品に出演。様々な角度から台湾をウオッチしている。