1995年の阪神・淡路大震災では、亡くなった犠牲者の6割が「女性」でした。「年齢・性別」ごとにみると最多は「70代女性」、次いで「60代女性」「80代女性」「50代女性」と続きます(出典:兵庫県「阪神・淡路大震災の死者にかかる調査について」など)。

これは単なる偶然ではありません。上記調査によれば死者のうち72.57%が、家屋が倒壊しその下敷きになったことによる「圧死」です。被災地に一人暮らしの高齢女性が多く、戦前・終戦直後に建てられた老朽家屋に住む人の割合が高かったと指摘されており、住環境のぜい弱さと、社会構造の問題があぶり出された結果と見ることができます。
そして今も、日本社会は根本的に変わっていません。厚生労働省「被保護者調査」によれば、生活保護を受けている世帯の約55%が65歳以上の高齢者世帯であり、その中でも特に単身女性の割合が高くなっています。
75歳を超えると、その傾向はさらに顕著になり、「老後にひとり取り残された女性たち」が次々と生活保護の窓口に訪れている現実があります。(行政書士・三木ひとみ)

家庭という名の「無報酬労働」が引き起こす貧困

「男は外で働き、女は家で家事・育児・介護。その果てにどちらも生活困窮。そんな人生の落とし穴に、誰が、どの瞬間に落ちてもおかしくないのです。
専業主婦として家族を支え、気づけば年金はほとんどもらえない。そんな女性たちをたくさん見てきました」
そう語るのは、阪神・淡路大震災以前から、神戸で女性支援を続けてきた田坂美代子さん。「DV」という言葉が知られていなかった頃から30年以上にわたり、困窮する女性たちと向き合ってきました。
「彼女たちは、働かずに年金を払ってこなかったのではありません。
『家庭』という名の『無報酬労働』に従事してきたのです」
わが国ではよく「自己責任」という言葉が口にされます。しかし、このような境遇を「自己責任」で片付けることはとうてい不可能です。

「無知」が老後の貧困を招く?

「年金の分割?そんな話、聞いたこともありませんでした」
65歳を過ぎ、満額に近い老齢基礎年金を受け取りながらも生活保護を併用するようになった、一人暮らしの女性・ミサさん(仮名)が、こう振り返ります。
一男一女を育て、義両親の介護と看取りもすべて引き受け、人生の大半を、「家庭という職場」に捧げてきました。育児と介護に明け暮れ、職歴はパート勤務程度。晩年、夫との関係が破綻し、離婚。ようやく訪れた「自分の人生」を待っていたのは、想像以上に苦しい現実でした。
老後の生活を案じて役所の窓口を訪ねたとき、ミサさんは初めて「年金分割制度」という言葉を耳にしたといいます。
「離婚するとき、元夫に『年金の手続きは俺がやっておくから』って言われたんですけど…たぶん、何もしていなかったんでしょうね」
冗談めかして笑ってみせたその口元には、やるせなさとあきらめがにじんでいました。専業主婦だった友人が多いミサさんのまわりでも、「離婚時の慰謝料や養育費の話はしても、年金の話なんて誰もしなかった」と言います。
「泣き寝入りというより、損をしていることにすら気づいていない人が圧倒的に多い感じです」
これは、もはや一個人の問題ではありません。

年金分割制度を知っているかどうかが老後を左右することも

年金分割という制度は、婚姻期間中に夫婦の一方が公務員や会社員として厚生年金等に加入していた場合、他方がその一部を離婚時に自分の将来の年金として受け取れる制度です。
本来、専業主婦など家庭内で無償労働を担ってきた側に公平な年金を保障するために導入された制度です。育児や介護、家事に人生を費やした人々が、老後に経済的自立を保てるようにと設計された画期的な救済の仕組みでした。

日本では、2007年(平成19年)に合意分割制度が導入されました。これにより、婚姻期間中に片方が納めた厚生年金(報酬比例部分)を他方に分割できるようになりました。
翌年には、本人の同意がなくても他方に自動的に2分の1を分割できる「3号分割制度」も導入され、より使いやすくなったはずでした。
ところが、この制度の利用には時効があり、原則として離婚成立から2年以内に分割請求を行う必要があります。制度そのものを知らなかった、あるいは制度の存在を後から知っても、時効を過ぎていればどうにもなりません。
その結果、老後に公的年金だけでは生活できず、生活保護を申請せざるを得なくなる人も、珍しくないのです。
いま、生活保護の現場では、こうした「年金のもらい損ね」を理由に受給を余儀なくされる高齢女性が増え続けています。上述したとおり、厚労省の調査でも、65歳以上の生活保護単身受給者の多くが女性であることが明らかになっています。
決して女性の自業自得でも、無計画によるものでもありません。年金分割の制度とその時効について知っていたかどうかの差が、そのまま老後の貧富に直結する現実があります。
その背景にあるのは、「男は外で働き、女は家を守る」という、戦後長く続いた家族モデルです。女性たちは、家事や育児、介護といった「見えない労働」を無報酬で担い続けた結果、年金加入期間が短くなり、年金額もわずかで、老後の生活が成立しなくなってしまった。

社会構造のゆがみが生んだ必然とも言えます。

妻からのDV・モラハラを受けた挙げ句、「年金分割」で年金大幅減の男性

老後の貧困は女性だけに限った話ではありません。
「離婚してから何年も経って、ようやくもらえると思っていた年金が、想像よりずっと少なかったんです。正直、目の前が真っ暗になりました」
そう語るのは、元営業職のタツヤさん(仮名・60代男性)。タツヤさんは元妻からのDVやモラハラに悩まされた果てに、離婚したといいます。長年のDV等に起因する精神疾患に苦しみ、長年勤めた会社をやむなく早期退職し、年金とわずかな貯金を頼りにつつましく暮らすことにしました。
ところが届いた年金通知を見た瞬間、タツヤさんは言葉を失います。老齢基礎年金が月約6万6000円、老齢厚生年金は2万3000円弱。自営業だった期間や失業していた時期もあるとはいえ、長年会社員として厚生年金にも加入していた感覚からは、思っていたよりも「明らかに少ない」と感じたのです。
不審に思って調べると、元妻との離婚時に交わした合意書に、「按分(あんぶん)割合50%で年金分割を行う」と明記されていたことが判明しました。詳しい制度の説明は一切なく、「とにかく早く終わらせたい」と、言われるままに署名していたといいます。
さらに追い打ちをかけたのは、分割の対象となった期間でした。タツヤさんが病気を発症する前、標準報酬月額がもっとも高かった時期の記録が、すっぽりと婚姻期間に含まれていました。

つまり、もっとも多く納めていた時期の厚生年金が、年金分割の対象として元妻に按分されてしまっていたのです。
「妻は気分屋で、結婚当初から当たり散らされることが多かったです。仕事から帰っても『寝るまでマッサージしろ』と命じられ、疲れて寝落ちすると、大声で怒鳴られ叩き起こされて。
給与口座も管理され、小遣いすら与えられず、安月給だと罵倒されて。ついには仕事に行けなくなりました」
こうして、タツヤさんの年金は、制度上合法的に、しかし彼自身にとっては予想もしなかったほど圧縮されていたのです。
働くこともままならない体で、貯金は底をつき、医療費すら捻出できなくなった末に、結局、最後に頼ったのは生活保護でした。
「悔しいというより、ただただ、自分が情けない。制度って、本当に、知らない人に冷たいんだなと痛感しました」
タツヤさんのおかれていた過酷な状況を思えば、「自己責任」「リサーチ不足」などという粗雑で心ない言葉で片付けることはできないでしょう。

年金はもはや「情報戦サバイバル」…“改良”を重ね複雑さを増した制度

どういう法律や制度ができても、適切に運用、活用されなくては意味をなしません。年金事務所に行けばいろいろと教えてくれますが、予約をして、平日に仕事を休んで行く必要があります。そもそも電話さえつながりにくい年金事務所も多いのです。
ミサさんやタツヤさんのように、年金分割制度の内容や時効に気づかないまま老後を迎え、想定よりもはるかに少ない年金での生活を強いられたケースは珍しくありません。
他にも、日本の公的年金制度には、「繰り上げ受給」や「併給制限」など落とし穴が数多くあります。
ここではいちいち触れませんが、制度を知らなかったばかりに損をしたケースは枚挙にいとまがありません。
日本の制度は法改正を重ねてきたこともあり、複雑な仕組みになっているのです。専門家でさえ難しいと言います。窓口の職員が適切な説明を行っていなかったと疑われるケースも珍しくありません。ましてや、個人の「無知」「自己責任」で片付けることなど、とうてい不可能です。
公的機関における説明不足、そして追い詰められた生活状況による誤った判断の連鎖によって、悲劇が生まれるのです。

公的年金だけで生活できず、生活保護にたどり着いても…

制度の背後にある「情報の非対称性」は、個人の判断力だけでは埋めようのない深い格差を生み出しています。
こうした人々の多くは、「制度の知識があれば違っていたかもしれない」と悔やみながら、年金だけでは立ち行かなくなった生活を補う手段として、生活保護という選択肢にたどり着きます。
生活保護は、年金制度だけでは支えきれない老後の暮らしを保障するためにも利用できる大切な社会保障です。
将来何が起こるかわからないこの時代において、すべての人に開かれています。病気や障害、事故、家族の事情、そして制度の狭間に落ちた人々を含め、尊厳をもって生きるために用意されたセーフティーネットです。
それなのに、憲法で保障された最低生活を営めないほどの困窮状態にありながらも生活保護の申請にたどり着けずにいる人のほうが、日本では圧倒的に多いと言われています。
生活保護申請の場で、70代なのに「まだ若いから働けるでしょ?」と軽く言われた、仕事を続けるための車の保有について「車を持っているから受給は無理」と門前払いされた、といった話も、残念ながらよく耳にします。

これらは、生活保護の現場における誤解や不適切な対応によって、本来受けられるはずの支援から人を遠ざけてしまっている悪しき例です。
制度があるのに、必要な人が使っていない。それこそが、本当の日本の社会的損失です。言うまでもありませんが、保護費は受給者の消費にあてられ、結局は経済を回す原動力になります。また、生活保護を受けることにより貧困を脱出すれば、その人は経済の担い手になります。

有益な制度を「絵に描いた餅」にしないため、行政・政治に求められていること

近年、SNSでこんな投稿が話題になりました。
「59歳になったら、毎日年金事務所に通って制度を教えてもらうわ」
冗談のようでいて、切実な本音です。それほどまでに、私たちの社会保障制度は「知っていないと損をする」構造になっているのです。
生活保護に限らず、年金、医療、介護、子育て支援などの社会保障制度は、「誰かのため」ではなく、「すべての人の安心のため」に存在しています。にもかかわらず、制度の複雑さや情報格差のせいで、本来なら救われるはずの人が、支援の網からすり抜けてしまう現実があるのです。
年金制度は、すべての人の老後を支える柱であるはずです。けれど、その仕組みの複雑さから、「知っていたか、知らなかったか」が人生を左右してしまう現実があります。
また、制度を知ろうとしても、そこには新たな壁が立ちはだかります。それが、デジタル格差です。スマホが使えない、マイナンバーカードの暗証番号がわからない、「ねんきんネット」のアクセスキーが期限切れ…。
高齢になるほど、情報にたどり着くのが難しくなり、せっかく届いた「ねんきん定期便」のハガキも「何をどう確認したらいいかわからない」と困惑する人は少なくありません。
他方で、一部の自治体では「困ったときは役所へ」という取り組みが進みつつあります。
たとえば、大阪市では、郵便局に「何でも相談してや」というポスターを掲出し、Wi-Fi付個室、無料食事付きの住居提供をセットにした生活保護対応も始まりました。
また、死亡届の提出時に「おくやみコーナー」で手続き一括案内をする自治体も増えてきています。
この流れを、「離婚」や「年金」にも広げることができるはずです。たとえば離婚届を交付する際に「検討すべきことリスト」として、財産分与や年金分割や養育費のこと、相談できる窓口を案内すれば、多くの「知らずに損した人」「お金がなく専門家に頼めず泣き寝入りする人」、ひいては生活保護費の減少につながることにもなります。
法律、制度というものは、ただ「作る」だけでは不十分です。どう伝え、どう使ってもらうかまで含めて初めて、社会保障としての機能を果たします。それは、行政の責任であり、政治家の仕事です。そして、その政治家を選ぶのは国民だということを忘れてはなりません。


■三木ひとみ
行政書士(行政書士法人ひとみ綜合法務事務所)。官公庁に提出した書類に係る許認可等に関する不服申立ての手続について代理権を持つ「特定行政書士」として、これまでに全国で1万件を超える生活保護申請サポートを行う。著書に「わたし生活保護を受けられますか(2024年改訂版)」(ペンコム)がある。


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