こうした薬物犯罪を専門に捜査する機関の一つに厚労省の麻薬取締部(旧麻薬取締官事務所)が存在する。
高濱良次(たかはま・よしつぐ)氏は1972年から2008年までの36年間、麻薬取締官、通称「マトリ」として現場一筋で薬物犯罪の捜査に当たり、現在はコメンテーターとして活動。複数の書籍も刊行している。
本連載では高濱氏が実際に経験した「薬物犯罪」や「マトリ」の内情を紹介。第2回は「マトリ」の組織の概要や、その変遷について取り上げる。
※ この記事は高濱良次氏の書籍『マトリの独り言』(文芸社)より一部抜粋・構成。
覚せい剤の乱用、関西方面から次第に拡大
私が採用された時には、すでに覚せい剤の捜査が始まっておりました。その捜査ができるようになったのは、採用の3週間前でありました。1972年(昭和47年)当時、覚せい剤を取り巻く情勢は、犯罪の態様が広域化し、覚せい剤が日本各地で密売される等従来とは異なるようになり、しかもその乱用が、関西方面から次第に全国へと拡大していきました。それが、現在の乱用へと続いております。
犯罪組織から恐れられた「キンマ」
その取締りに新たな対応が求められるようになり、1972年(昭和47年)6月26日、麻薬取締官にも覚せい剤捜査ができるという権限を盛り込んだ「改正覚せい剤取締法」が公布され、即日施行されました。その状況下で、私は近畿地区麻薬取締官事務所に採用されたのであります。その当時の麻薬取締官事務所は、現在の「麻薬取締部」とは違い、厚生省薬務局麻薬課に所属する国家直属の捜査機関でありました。
なお現在の「麻薬取締部」という名称に変わったのは2001年(平成13年)で、中央省庁の再編に伴ったものであります。
この近畿地区だけは、各地区事務所で呼ばれている「麻取」(マトリ)とは絶対に呼ばれず、地元の犯罪組織などからは専ら「近麻」(キンマ)と呼ばれておりましたが、それが今も続いております。
この呼び名で捜索現場に行けば、相手方には一瞬で通じ、捜索活動もスムーズに運んできました。ある意味彼達から恐れられた組織でありました。
全国12の組織で構成
麻薬取締官事務所は地区により規模に違いがあるものの、全国を8つのエリアに分け、それぞれ担当しています。北海道地区(札幌市)、東北地区(仙台市)、関東信越地区(東京都)、東海北陸地区(名古屋市)、近畿地区(大阪市)、中国地区(広島市)、四国地区(高松市)、九州地区(福岡市)になり(カッコ内は事務所所在地)、これらの事務所の一部には、横浜分室、神戸分室、小倉分室、それに沖縄支所が併設され、合計12の組織で構成されております。
再編と同時に「地方厚生局麻薬取締部」という名称に変更されましたが、麻薬取締官事務所の数そのものには何ら変わりがなく、現状維持が続いております。
1956年(昭和31年)10月に横浜分室や神戸分室、1960年(昭和35年)4月に小倉分室がおのおの新設されましたが、いずれも昭和30年代のヘロイン乱用期の濃厚地域であるとともに、大港湾地域で当時の国際貿易の中心地でもあった関係から、常時薬物の密輸に利用されていた経緯があり、その前線基地として設置されたいわくつきの分室でありました。
沖縄支所は、沖縄が1972年(昭和47年)にアメリカ合衆国から日本に返還されたのを機に、12年ぶりに新設された取締官事務所であります。
二大花形事務所とは
麻薬取締官事務所の中でも、関東信越地区と近畿地区の二大地区が花形になるかと思います。関東信越地区は日本の中心である東京都にあるだけに、当時日本一の取締組織と自負しておりましたが、それに対して近畿地区は、薬物汚染が濃厚なあいりん地区を抱える西成区やその周辺エリアを実質的に捜査対象としていただけに、どちらも“日本一”と自画自賛しておりました。
当時の私は、捜査の重みでは近畿地区の方がその最先端を走っていると見ていました。
麻薬取締官事務所の中枢を担っているのは、もちろん「捜査部門」でありますが、どれ位の規模で、いくつ存在するのかなどその詳細については、これまで余り部外には知られていなかったのが実情であります。麻薬取締官事務所と聞くと、警察組織を思い浮かべる方もおられるかと思いますが、全く違います。
私が採用された近畿地区を例にとれば、捜査一課、捜査二課、情報官室、神戸分室の四課からなっていました。ここでいう「情報官室」というのは、組織規程から二つの捜査課が収集した情報を分析するのが主な任務になっていましたが、現実は他の課と同じように捜査する一部門で、捜査課と並列する組織でありました。
このような捜査態勢は、東京や大阪のような大地区だけに見られ、それら以外の中小地区の事務所については、捜査課や情報官室という二部門だけに限られていました。
麻薬取締官の定数大幅増に「うれしさと衝撃」
人員については、大地区は、40名前後で、名古屋市や福岡市のような中地区に至ってはさらに少なく30名弱、北海道や東北地区のような小地区では10名位しか配置されていませんでした。その当時の麻薬取締官の定数は政令で決められ、176名でありました。2019年(平成31年/令和元年)現在の定員は291人で、大幅に増員されましたが、組織自体がそれ程までに大きくなるとは想像もできなかっただけに、とてもうれしくもあり、その反面、その規模にしなければ取締れなくなったのかと衝撃を受けたのも事実であります。
その増員の始まりは、2001年(平成13年)4月から政権を握った小泉純一郎総理大臣の状況下で始まりました。
その理由は治安悪化でありました。その後時代の変遷と共に薬物犯罪も年々複雑多様化した中で、それに対応するために更なる増員が認められ、それが「291人という定員」になりました。