2019年、2つの事件が、日本社会に衝撃を与えました。京都府向日(むこう)市で発生した女性遺体遺棄事件と、滋賀県米原(まいばら)市で発生した殺人未遂事件です。
いずれも容疑者は生活保護ケースワーカー(CW)でした。
ケースワーカー(CW)とは、主に自治体の福祉事務所に勤務する社会福祉の専門職(地方公務員)で、生活に困窮し生活保護を必要とする人の相談を受け、生活状況の調査・自立支援・各種福祉サービスとの連携などを担う職員です。
これらの事件は、表面上は個人の犯行に見えるかもしれませんが、そうとは言えない面があります。背景には、CWの過酷な労働環境に加え、CWと生活保護受給者との独特の関係性が抱えるリスクがあると考えられます。
本記事では、これら2つの事件を取り上げ、CWが直面する困難、現場での生活保護受給者との関係において構造的に生まれやすい「いびつな関係」の危険性、今後同種の悲劇を繰り返さないために何を学ぶべきか、考えます。(行政書士・三木ひとみ)

京都向日市女性遺体遺棄事件の概要

2019年6月11日、京都府向日市上植野町の集合住宅駐車場で成人女性の遺体が発見されました。翌日、この遺体を遺棄したとして、同集合住宅に住む生活保護受給者Aと、彼を担当していた地域福祉課のCWであるX(29歳)が逮捕されました。
捜査の結果、Aが女性を殺害し、AとXが共謀して被害者の遺体を遺棄したとして起訴されました。そして、Xは地裁にて懲役1年6月・執行猶予3年の刑を言い渡され、向日市はXを懲戒免職処分としました。
裁判における判決では、Xは「長期間にわたって理不尽な要求を受け続け、受給者Aから恫喝(どうかつ)されることも多々あり、また、周囲の協力を得られなかったことから孤立して疲弊していた」と認定されています。
受給者Aは元暴力団員で傷害致死の前科があったとされており、Xは受給者Aに対する恐怖心から、その要求に応じて犯行に加担するに至ったとされています。
事件の背景には、受給者AからXへほとんど毎日2時間にもおよぶ不当要求や脅迫の電話がかけられ、Xが精神的に支配されていた状況があったと指摘されています。
受給者Aは、Xから個人的な携帯電話番号を聞き出し、プライベートな時間にも呼び出すなどして、業務を離れた「主従関係」を形成していったとみられています。

滋賀県米原市職員による殺人未遂事件の概要

2019年12月24日、滋賀県米原市健康福祉部社会福祉課のCWであるY(28歳)が、担当する生活保護受給者Bの頭部と腹部を包丁で切りつけ、殺害しようとした殺人未遂の容疑で逮捕されました。Yは後に懲役3年・執行猶予5年の判決を受けました。
判決では、Yの犯行動機について「休職者が複数出るような過酷な職務環境の中、自らも体調を崩し、複数回にわたり精神科を受診したが、十分な環境調整が行われることがないままに、ケースワーカーとしての職務を続けた」と指摘されています。
事件の約2か月前の2019年10月からは、同僚CWの休職により、Yが1人で約140件ものケース(標準数の80件を大幅に超過)を担当することになったとされています。
その中には困難案件が約20件も含まれており、この過重な負担が自己の許容量を上回ると感じながらも仕事を続けた結果、精神的に追い詰められ、思考力や判断力が低下した中で犯行に及んだと認定されました。
Yは、受給者Bから解放されたいという思いが強まり、殺害することも選択肢の一つとして考えるようになったとされています。

2つの事件に共通する「密室化した関係」という構図

これら2つの事件に共通しているのは、CWが孤立し、支援関係が、受給者との個人的な支配・被支配関係へと変質していった構図です。
向日市では、CWが受給者Aからの個人的な要求に応じざるを得なくなり、個人の携帯電話番号を教え、自動車を貸すまでに至ったとされています。
米原市でも、Yが受給者Bの動画撮影に勤務時間外で協力させられ、そのことを上司に相談できないまま関係が深まっていったと報じられています。YがBにやめたいと言ったところ、「副業していることを上司にばらす」と脅されたとのことです。
どちらの事件も、CWが問題を一人で抱え込んだ結果、本来の支援関係がゆがんでいったことが、悲劇の引き金となったと考えられます。

CWの過酷な労働環境

CWの職務は、生活に困窮する人々の生活を支える重要な役割を担いますが、その現場は想像以上に過酷な労働環境にあります。
第一に、担当件数が膨大で、ケース記録の作成など本来の事務作業も滞りがちになっていることです。
生活保護制度を運営する福祉事務所では、社会福祉法で定められた標準数(市部でCW1人当たり80世帯、郡部で65世帯)を大幅に超える担当件数を抱えるケースワーカーが少なくありません。小規模な福祉事務所では特に顕著であると指摘されています。

向日市では、事件当時CW1人当たり95.4件、事件前には116件もの世帯を担当していた時期があったとされます。米原市でも、同僚の休職によりCW1人で約140件のケースを担当し、その中には多くの困難案件が含まれていました。
受給者からの不当要求や脅迫的な電話などの対応に多くの時間が割かれることもあります。
第二に、人員不足およびそれに起因する経験知の不足です。
向日市ではCW4名体制の時期があり、新人CWの割合が60%を占めるなど、人員不足と経験知の不足が指摘されています。米原市でもCWの病気休暇が相次ぎ、実働CWが1人になるという危機的な状況が発生していました。
このような環境下で、CWは大きな精神的ストレスを抱えています。

サポート体制も不十分

役所によるサポート体制も不十分でした。向日市の事件と米原市の事件のそれぞれの判決では、以下のことが指摘されています。
向日市の事件では、Xが受給者Aからの脅迫や不当要求を受けていることを上司(スーパーバイザー:SV)が知っていました。にもかかわらず、SVは「Xが至らないからだ」という姿勢がみられ、組織的な対応はされなかったと指摘されています。
また、Xは、人事当局に提出した自己申告書で、個人的関係の強要による不眠や体調不良、異動希望を記載してSOSを発していましたが、ヒアリングも行われず、異動希望も叶えられませんでした。
米原市の事件でも、Yは、自己申告書で悩みを申告し、かつ、医師から適応障害と診断され休職や環境調整を指示されていました。
にもかかわらず、長期間の休暇が得られず、診断書も人事担当部局に適切に提出されなかったとされています。
上司がYの訴えに対し「たいしたことはない」と判断し、特段の対応を取らなかったことも明らかになっています。

「悪質なクレーマー」がエスカレートしやすい職場環境

専門家からは、CWの職場環境が「悪質なクレーマーを育てる」ということも指摘されています。介護や福祉の職場に限らず、公的機関では、利用者からの暴言や暴力を「この仕事をしていれば当たり前」「慣れるべきもの」と見なし、根本的な対応策を設定しない傾向があると指摘されています。
公的機関もまた、「クレームがあった事実」を嫌う傾向があり、理不尽な要求に対しても毅然(きぜん)とした対応を取るのが苦手で、摩擦を避けて穏便に済ませようとすることが多いとされています。
このような環境は、悪質なクレーマーの行為を助長し、要求をエスカレートさせる要因となり得ます。
相手が理不尽に怒っていても「自分の対応が悪いからだ」と、相手の感情を自分の責任だと感じるようになってしまいます。さらに、支配者に対する極度の恐怖、不安、無力感から、相手の機嫌を損ねないことが最優先となり、自己主張が困難になります。
その結果、自分の考えに自信が持てなくなり、「自分のほうが間違っているのではないか」と自らを責める傾向が強まるのです。
特に、支配者が暴力的な言動の後に突然優しさを見せると、被害者は安堵(あんど)感から喜びを感じ、かえって相手との距離を縮めてしまうことがあります。これは、クレーマーなどがよく用いる典型的な支配の手口とされています。
長期的に支配やコントロールを受けると、人は精神的に追い詰められ、モラハラやDVの被害者と同様の心理状態に陥りやすくなります。

2つの事件で、支援者と受給者の関係がどのように破綻していったのか

これらの事件は、私たちの社会が抱える福祉行政の組織的な課題を浮き彫りにしました。

向日市の事件、米原市の事件のいずれも、CWが上記のような心理状態に陥り、受給者との関係が業務の枠を超えて個人的なものへと深まり、組織からの適切なサポートがない中で、受給者との個人的な関係に深く入り込み、その関係性が支配的なものに変質していったことが、事件につながったと推察されます。
CWが抱え込んだ問題は、個人で解決できるレベルを超えており、本来であれば組織的な対応がなされなければならなかったものです。CW個人に責任を負わせるのではなく、組織として対応する仕組みを作ることが不可欠です。
現に、それぞれの自治体の市長が「職員を守り切れなかった」と謝罪し、組織的な対応の不十分さを認めています。また、検証委員会が組織され、報告書の中では、福祉事務所の機能不全、組織的な無関心、支援体制の脆弱(ぜいじゃく)さが指摘され、再発防止策が提言されました。
CWは、生活保護行政において社会の最後のセーフティーネットを守る重要な役割を担っています。CWが安心して、そして専門性を発揮して仕事に取り組める環境を整備することは、個々の職員を守るだけでなく、真に支援を必要とする市民に適切な福祉サービスを届けるために不可欠です。
私たちがこれらの事件から学ぶべきことは、生活保護に限らず、「支援の現場は、常に個人に全てを押し付けるのではなく、組織全体で支え合うべきである」という教訓だと考えられます。
そして、生活保護制度に対する正しい理解を深め、社会全体で支え合う意識を持つことが、このような悲劇を二度と起こさないための第一歩となるでしょう。


■三木ひとみ
行政書士(行政書士法人ひとみ綜合法務事務所)。官公庁に提出した書類に係る許認可等に関する不服申立ての手続について代理権を持つ「特定行政書士」として、これまでに全国で1万件を超える生活保護申請サポートを行う。著書に『わたし生活保護を受けられますか(2024年改訂版)』(ペンコム)がある。



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