「銭湯ブーム」の裏側で“年間100軒減”…「新規参入」には“法律の壁” 「営業の自由の侵害」かつて2度争われたが、最高裁が認めなかったワケ
きょう10月10日は「銭湯の日」。近年では若年層を中心に「銭湯ブーム」が起きており、連日、行列ができる銭湯も見受けられる。
特に都市部では古い銭湯をリニューアルしてオープンする事業者を含め、新規参入の動きもある。
しかし、銭湯の新規参入には法令の「壁」があることはあまり知られていない。銭湯の配置については都道府県等ごとに「距離制限」が設けられており、もし、開業希望場所から一定の距離内に既存の銭湯がある場合には、許可を受けられない。
この「距離制限」については、過去に憲法違反を理由として訴訟で争われた2つのケースがある。いずれも最高裁まで争われ、判決の結論は「合憲」だった。しかし、2つの判決の間には34年の時間差があり、それぞれの理由づけは大きく異なるものだった。比較すると、日本社会の移り変わりが見えてくる。

公衆浴場法の「距離制限」とは

銭湯こと「公衆浴場」の「距離制限」とはどのようなものか。
公衆浴場を開業するには、都道府県知事の営業許可を受けなければならず(公衆浴場法1条)、都道府県知事は「公衆浴場の設置の場所が配置の適正を欠くと認めるとき」は許可を与えないことができる(法2条2項)。
これを受け、都道府県等は条例で配置基準を定めることとされている(法2条3項)。
たとえば、東京23区では「200m以上」の距離制限がおかれている(【画像】参照)。
「銭湯ブーム」の裏側で“年間100軒減”…「新規参入」には“...の画像はこちら >>

【画像】東京23区の公衆浴場の距離制限のイメージ

もし、許可を受けずに営業した場合には「6か月以下の拘禁刑または2万円以下の罰金」に処せられる(法8条1項)。
前述のように、この距離制限規定については、憲法違反が争点となり最高裁まで争われた重要な訴訟が2つある。

最高裁昭和30年(1955年)1月26日判決
最高裁平成元年(1989年)1月20日判決
いずれも、無許可営業を行い刑事訴追された被告人が、公衆浴場ないし条例の距離制限は憲法が保障する「営業の自由」(憲法22条1項)を侵害すると主張したものである。

昭和30年(1955年)判決|国民保健および環境衛生のため

まず、①最高裁昭和30年(1955年)1月26日判決の事例を紹介しよう。
被告人Aは福岡県内で県知事の許可を得ないまま公衆浴場を営業し、公衆浴場法違反の罪で起訴された。公判においてAは、自身の無罪の理由として、公衆浴場法の距離制限規定が営業の自由を侵害すると主張した。
最高裁は、被告人の主張を退けた。判決の理由付けを、順を追って紹介すると以下の通りである。
1. 公衆浴場の設置を業者の自由に任せると、「偏在」「乱立」のおそれがある
2. 「偏在」すると、多数の国民に不便をきたすおそれがある
3. 「濫立」すると、浴場経営に無用の競争を生じ、経営が成り立たなくなり、浴場の衛生設備の低下等、好ましくない影響をきたすおそれがある
4. このようなことは、国民保健および環境衛生の上から、できる限り防止することが望ましい
つまり、「競争が激化し、経営が成り立たなくなり、衛生設備が低下する」ことを防ぐための規制だとした。ここでは「国民保健および環境衛生」が重視されている。
このような理由付けがなされた背景として、自身も銭湯が好きだという荒川香遥弁護士は、当時は多くの国民が銭湯を利用しており、銭湯が公共性の高いインフラだったことを挙げる。
荒川弁護士:「この判決が言い渡されたのは昭和30年(1955年)ですが、事件が起きたのは昭和28年(1953年)。まだ戦後間もなく、多くの家には風呂がありませんでした。
しかも、人口が急激に増加していた時代であり、銭湯の利用者はきわめて多かったのです。そのような状況下では、銭湯の衛生環境が悪いと疫病が蔓延するなどの危険性があり、『国民保健および環境衛生』の確保が切迫した課題だったと言えます。

とはいえ、判決の『銭湯の濫立』⇒『過当競争により経営不安をもたらす』⇒『衛生環境が低下する』という論理が、『風が吹けば桶屋が儲かる』的な大雑把なものであることは否定できません。
実際、その事業者を新規参入させてよいかどうかと、開業後の衛生状態の維持とは、本来別の問題だという指摘もされています」

平成元年(1989年)判決|弱小事業者を倒産から保護するため

その後、時代は移り変わり、多くの家に風呂が設置されるようになった。銭湯の利用者は減少していき、それにつれて、銭湯の数は昭和43年(1万7999軒)をピークに減り続けている(【図表】参照)。
「銭湯ブーム」の裏側で“年間100軒減”…「新規参入」には“法律の壁” 「営業の自由の侵害」かつて2度争われたが、最高裁が認めなかったワケ

【図表】全浴連加盟組合の加入銭湯数の推移(全浴連調べ

そんな中、昭和30年判決から30年以上を経て、再び、公衆浴場の距離制限規定の合憲性が最高裁まで争われた。
被告人Bは、大阪市内での公衆浴場の営業許可申請を行い、不許可だったにもかかわらず、市内で公衆浴場を営業し、公衆浴場法違反の罪で起訴された。Bは自身の無罪の理由として、距離制限規定が営業の自由を侵害し憲法違反だと主張した。
最高裁はこの事件でも距離制限を「合憲」とした。これが②最高裁平成元年(1989年)1月20日判決である。しかし、その理由付けは、昭和30年判決と異なるものだった。以下、順を追って紹介する。
1. (家に風呂がなく)公衆浴場に依存している住民の需要に応えるため、公衆浴場の維持・確保を図る必要がある
2. 公衆浴場の経営が困難になっている今日では、一層その重要性が増している
3. 公衆浴場業者が経営の困難から廃業や転業をするのを防ぎ、健全で安定した経営を行えるようにすることは公共の福祉に適合する
4. そのための手段として、距離制限には十分な必要性と合理性がある
荒川弁護士:「風呂のない家に住む人の多くは、いわゆる経済的弱者に属しています。風呂なし物件の多くは老朽化しており、家賃相場もかなり安いからです。そういう人にとって、健康的かつ衛生的に生活するうえで、銭湯は必要不可欠です。

また、銭湯業者の多くは、家族で細々と経営しています。経営基盤は決して強いとはいえません。
したがって、最高裁は、経済的弱者保護の見地から、銭湯業者どうしの『共倒れ』を避け、経営を安定させるため、なお距離制限規定が必要だと判断したと考えられます」

判例の論理は“令和”にも通用する?

とはいえ、前述したように、銭湯の数は1968年以来、減少の一途をたどっている。平成元年判決が出された1989年(1万689軒)と比べると、今年の時点で1562軒と約7分の1にまで減っている。
注目すべきは、ここ3年だけでも、2023年:1755軒⇒2024年:1653軒⇒2025年:1562軒と、年間100軒ペースで減少し続けていることである。銭湯の数が最も多い東京都でも2023年:462軒⇒2024年:444軒⇒2025年:430軒と減少傾向に変わりはない。
「空前の銭湯ブーム」といわれる昨今でさえ、「過当競争」どころか、「消滅」を恐れなければならない事態になっているといっても過言ではない。平成元年最高裁判決からさらに36年が経過した令和の現在、同判例の論理には、どこまで正当性・合理性が認められるのか。
荒川弁護士:「今でも、風呂なし物件が存在し、そこに住む人の多くが経済的弱者であり、銭湯を日常生活に不可欠なインフラとしている人がいるという現実があります。
しかし他方で、昨今の銭湯ブームにみられるように、家に風呂があっても、銭湯を娯楽として楽しむ人も増えています。私も、銭湯には家の風呂とは違う魅力があると感じています。
銭湯の社会的な位置づけ自体が、大きく変わってきています。
新しい文化が生まれているといってもいいでしょう。
最高裁が距離制限規定について違憲判決を行うことは考えにくいかもしれません。しかし、銭湯人気が復活しているにもかかわらず、銭湯が減少し続けている現実を考慮すると、国会や政府などで、距離制限も含め、規制のあり方自体が全体として妥当なのか、議論が行われる可能性は考えられると思います」
わが国の銭湯文化の起源は江戸時代にあるといわれる。当時の銭湯は、生活の場でもあると同時に、さまざまな催し物が行われる場であり、また、人々の交流の場・出会いの場でもあったという。そしてまた今日、銭湯が「娯楽」として脚光を浴びるようになってきている。
今日は「銭湯の日」。銭湯の湯船につかりながら、風呂に入るという営み、銭湯の楽しみ方について、思いを巡らせるのも悪くないだろう。


編集部おすすめ