一方で1906年の「明治のひのえうま」では、出生数に大きな影響は引き起こされなかった。
本記事では、計量社会学者・吉川徹教授(大阪大学)の著書『ひのえうま 江戸から令和の迷信と日本社会』(2025年、光文社新書)から、新聞という近代メディアがいかにして迷信を増幅させ、明治の女性たちの人生に深刻な影響を及ぼし、さらには昭和の出生数減を招く遠因ともなったのかを分析した箇所を抜粋して紹介する。(本文:吉川徹)
モダンガールを翻弄した新聞の大衆煽動
明治のひのえうま女性たちが、10代後半から20代前半の婚期を迎えたのは、大正デモクラシーを経た大正末から昭和初年ごろです。中学校の歴史教科書には、この時期の日本の進歩的、前衛的な若者文化として、「モボ・モガ(モダンボーイ・モダンガール)」が登場します。じつは明治のひのえうま女性たちは、ちょうどモガの世代にあたるのです。昭和初期のモガ(『ひのえうま 江戸から令和の迷信と日本社会』から転載)
そもそも、明治のひのえうまのインパクトを出生減でみると、弘化のひのえうま(1846年)よりも小規模になっていたわけですから、大正期の社会の近代化に伴って価値観が一段と合理化していけば、迷信の社会的影響力は希薄化してもおかしくはありません。
ところが、実際はそうならなかったのです。
彼女たちについては、デモクラシーはどこ吹く風で、ひのえうまが理由で縁付かない実例や、世をはかなんで自ら命を絶つ事件が、新聞でさかんに取り上げられています。
きっかけは、1924(大正13)年2月10日の朝日新聞に、ひとつの特集記事が掲載されたことでした。その見出しには「ことし十九歳の迷信に悩む娘たち 縁が遠いと『丙午』をかつぐ 愚かなる迷ひ心」とあります。
記事では、明治のひのえうま女性が婚期に至って困難に直面し始めていることが紹介されています。その末尾では「丙午の婦人で幸福な実例があるならば投書を歓迎いたします。迷信を打破し、下らぬことの為に悩んでゐる、若い女性の胸に安心と光明とを与える為に掲載したいと思ひます」という呼びかけがなされました。
同紙では同月中3度にわたり、送られてきた投書や取材事例が紹介され、連載特集のようになっています。そこでは「今年の卒業生に上の学校に行くものの多いわけ」という見出しで、縁付かないがゆえに、不本意ながら高等教育に進学せざるをえない女性たちが多いという、思いがけない余波なども報じられています。
それにしても、ここまで大きく報道してしまうと、かえって寝た子を起こすことになったのではないか、と心配になります。案の定、翌月からその先数年にわたり、新聞紙面では、全国各地における、多様な社会階層のひのえうま女性たちの悲劇や事件の報道が続きます。
【1924(大正13)年。明治のひのえうま女性18歳】
3月9日
「丙午の女の自殺 気の毒な処女のもだえ」(朝日新聞)
東京の19歳の女性が、服毒自殺。翌日には家の雇人や友人から丙午はお侠(きやん)だ、嫁にいけない、などといわれたことを苦にしたものと続報されています。
3月20日
「丙午を悩んでまた自殺した娘 本郷菊富士ホテルの淑徳女学校を卒業した娘」(朝日新聞)
3月24日
「藪の中から死体 死後廿日(はつか)位の若い女 丙午の迷信から自殺か」(朝日新聞)
3月29日
「主人夫婦を焼き殺さんとす 丙午同士が恋の争い」(読売新聞)
9月5日
「丙午の女 二人とも自殺」(読売新聞)
【1925(大正14)年。明治のひのえうま女性19歳】
9月8日
「稲村ケ崎の同性心中 丙午と病気に」(読売新聞)
9月24日
「ひのえ午娘失恋自殺」(読売新聞)
毎日新聞の記者であった今野圓輔(こんのえんすけ)によれば、この年の8月20日には、秋田県の19歳の女性が、丙午で縁遠いことを悲観し、養蚕室で服毒自殺を図ったという事件があったとされます(『日本迷信集』、1965年、河出書房)。
【1926(大正15/昭和元)年。明治のひのえうま女性20歳】
1月30日
「丙午の女教員厭世して自殺 幾度あつた縁談も 迷信のため破談となつて」(朝日新聞)
7月3日
「丙午の姉に同情して心中す 小田原の旅館に泊つて 大阪から来た姉妹が」(朝日新聞)
8月2日
「恋の丙午女失業青年と心中図る 高尾山の宿屋で猫イラズ 一所に葬れと遺書」(読売新聞)
8月16日
「中学校長の娘が丙午ゆえ男に欺(あざむ)かる 親兄弟に疎(うと)まれ自殺を図る」(読売新聞)
8月22日
「釣人の頭へ降つて来た娘 自殺を図つた丙午の女助かる」(朝日新聞)
【1927(昭和2)年。明治のひのえうま女性21歳】
5月9日
「七度もあつた縁談破れて あはれな迷信の犠牲 身投げ女の身許(みもと)しらべ」(朝日新聞)
9月19日
「燃ゆる緋の帯に縛り合つた姉妹心中 姉の不縁に同情し今朝鉄道へ飛び込む」(読売新聞)
【1928(昭和3)年。
1月4日
「高島田の女、抱合い心中 どちらも丙午生れの悩みを書置」(朝日新聞)
8月17日
「丙午娘の切腹 迷信絶えず悲劇続出」(朝日新聞)
【1930(昭和5)年。明治のひのえうま女性24歳】
10月3日
「降る縁談が皆纏(まと)まらず 丙午生まれの美人自殺」(読売新聞)
【1931(昭和6)年。明治のひのえうま女性25歳】
3月2日
「丙午娘の自殺」(読売新聞)
やや時代が下りますが、1936(昭和11)年に起きた阿部定(あべさだ)事件は、やはり新聞で大きく報道され、後に小説や映画の題材にもなりました。このとき、情のもつれから男性を殺したというこの烈女も、明治のひのえうま生まれではないかといわれました(これは事実誤認ですが)。
ラジオの普及以前のこの当時、新聞は最も影響力のある情報媒体でした。翌朝には全国に伝わるという伝播の範囲の広さとスピードは、江戸期の川柳や戯曲、瓦版などとは比べものになりません。そこにおいて、これだけ数多く報道されれば、ひのえうま女性が被る厄難が、リアルタイムで広く大衆の知るところとなったことは明らかです。
「ひのえうま迷信打破」の論説もマッチポンプに?
一般に、女性の生まれ年が云々されるのは、そのプロフィールを見極める機会であるお見合いの際です。釣書(つりがき、縁談の相手に向けた履歴書)を交わすということをするのですが、実質上は、これがひのえうま厄難が作動する局面です。この時代、7割以上が見合い結婚であり、加えて親戚や知人の紹介もありましたので、「明治39年の生まれは、新聞で騒がれているあのひのえうまだ」ということは、昭和初年における若い女性たちが縁付くにあたって、避けがたい話題となっていたことが想像されます。
この間、識者によるひのえうま迷信打破の論説が新聞紙上にしきりに取り上げられ、幸せな人生を送っている著名な(弘化の)ひのえうま女性たちが紹介されたりもしています。
1924(大正13)年2月22日の朝日新聞の見出しには、「迷信を葬れ 呪はしき旧思想の丙午 一笑に附すべきものだ」とあります。
こうした反証は、丙午さとし書(江戸後期に配られた、ひのえうまは「いわれのない迷信」とさとした印刷物など)とよく似たものにみえますが、出生ではなく婚姻のタイミングで、迷信打消しの情報が出されたのは、後にも先にもこの明治のひのえうま女性たちのときだけのことです。
しかし、当初からマッチポンプ式の拡散報道となっていた嫌いもあって、かえって話題性が高まる結果となったようです。
なお、明治のひのえうま女性の婚姻の実態については、後になって経済学者の赤林英夫が国勢調査などを用いて、24歳、29歳、34歳、44歳時点での有配偶率を前後の生年間で比較し、ごくわずかながら配偶者がいない人の比率が高かったことを確認しています(2007年、「丙午世代のその後 統計から分かること」、『日本労働研究雑誌』)。
中年期(38歳時)における就業率も、その前後の生年より3%ポイントほど高く、結婚機会の喪失が就業で補われたものと解釈されています。
彼女たちがその婚期において、さまざまな意味で不本意な条件の相手に、渋々縁付かざるを得なかったというのは、おそらく事実なのでしょう。ただし統計データでは、誇大な報道に見合うほどの、明らかな婚姻の不利益の痕跡を確認できるわけではありません。
後々まで語り継がれた大正末期、昭和初期のひのえうま女性の悲劇は、深刻な社会的影響を及ぼすものでした。もっともそれは、実態として明治のひのえうま女性の後の人生に禍根(かこん)を残したものというよりは、大衆煽動による一過性の世相の現象として「実在」していたのです。
戦後の1949(昭和24)年、文部省(当時)の肝いりで公的に活動していた迷信調査協議会の報告書籍において、医師であり迷信研究者でもあった東京大学教授日野壽一(じゅいち、日野九思と同人の筆名であると考えられる)は、昭和初年におけるひのえうま迷信が引き起こした一連の弊害を振り返り、次のような憂いの言葉で締めくくっています(1949年、「天文暦法に関する迷信の解明」、『迷信の実態』文部省迷信調査協議会編)。
丙午の説はどの方面から見ても全く妄誕無稽(もうたんむけい)な迷信である。かかる甚(はなはだ)しい迷信によって明治三十九年生れの百万の女性中、或は不運な生れ合せに涙を呑んで不相応な結婚に甘んじ、或は一生独り寝の寂しきに泣いた者は何十万人かはあったのであろう。大正から昭和にかけての日本社会の近代化は、ことひのえうま迷信にかんしては、合理的価値観の浸透による解消の方向へは進まず、全く反対に、広く普及した新聞の報道により、かつてないデマの大衆煽動を引き起こしていたのです。
甚しいのは自ら生命を断ってこの迷信を呪った者も何百人かはあった。更に徳川時代から堕胎・幼児密殺によって生命の若芽を摘みとられ、或は不幸な一生を送った女性の数は幾百萬なるかを知らない。迷信中その直接の惨害の甚しいのは丙午の右に出るものはあるまい
これにより、ひのえうまに生をうけた女性には、婚期において厄難が降りかかるものだという風聞は、江戸期以上にしっかりと社会に根付いていくことになりました。
■吉川徹(きっかわ とおる)
1966年⽣まれ。⼤阪⼤学⼤学院⼈間科学研究科博⼠課程修了。社会学を専攻。専門は現代日本社会論。現在、⼤阪⼤学⼤学院⼈間科学研究科教授。主な著書に『⽇本の分断~切り離される⾮⼤卒若者たち~』(光⽂新書)、『学歴分断社会』(ちくま新書)、『学歴と格差・不平等~成熟する日本型学歴社会』(東京⼤学出版会)、『学歴社会のローカル・トラック~地方からの大学進学~』(大阪大学出版会)。

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