今月8日、福岡市で発生した母子3人が自宅マンション内で亡くなっていた事件について、「福岡市が母子の生活保護申請を断った結果の無理心中事件だ」とする動画がSNSを中心に拡散された。
これに対し福岡市は13日にホームページなどを更新し、「投稿は事実ではない」と否定。
投稿者に対し、発信者情報の開示請求の手続きを進めていくことを表明した。
各社報道等によれば、警察は無理心中を図った可能性もあるとみて調べを進めているが、遺書などは見つかっていないという。
個人や民間企業が、インターネット上のデマ等により名誉毀損や誹謗中傷の被害を被った場合、発信者情報開示請求を行い、開示された情報をもとに損害賠償請求や刑事告訴を行うことができるのは周知の通りだ。
しかし、時として市民からの厳しい「批判」にさらされることもある行政機関。「批判」と名誉毀損・誹謗中傷をどう線引きするのか。そもそも、行政機関による発信者情報開示請求はどのような“根拠”を元に行われるのか。インターネット上のトラブルに多く対応する鷲塚建弥弁護士に話を聞いた。

行政機関も、権利侵害訴えられる?

発信者情報開示請求とは、インターネット上で名誉毀損や誹謗中傷を含む、権利侵害が発生した際に、問題の投稿の発信者情報(住所・氏名など)を特定できる法的制度だ。
法律では、この発信者の情報開示を請求できる人(主体)は、「自己の権利を侵害された者」とされている(情報流通プラットフォーム対処法5条)。
ではこの「自己の権利を侵害された者」に、福岡市のような行政機関・自治体も含まれるのだろうか。
鷲塚弁護士は「行政機関・自治体も発信者情報開示請求をすることができる」と説明する。
「地方公共団体も、その行政活動を通じて形成される社会的評価という観点から『名誉権』の主体となりうることは、判例上も認められています。
また、行政機関は『業務の平穏を遂行する権利』も有しており(大阪地判平成28(2016)年6月15日判例時報2324号84頁)、これらの権利が侵害された場合には、発信者情報開示請求を行うことが可能です」

生活保護行政の信頼性が損なわれること「深刻な権利侵害」

そのうえで、今回の福岡市のケースについて鷲塚弁護士は、名誉毀損と業務妨害での権利侵害を主張して開示請求を行うのではないかと推察する。
「まず、名誉毀損が主たる権利侵害の根拠だと主張すると思います。

生活保護行政は市民の生命・生活に直結する特に重要な業務であり、その信頼性が損なわれることは深刻な権利侵害にあたります。
『生活保護を断った結果の無理心中』という虚偽の事実を摘示され、福祉行政機関としての社会的評価が著しく低下したことを主張するのではないでしょうか。
次に副次的根拠として、業務妨害を主張することも考えられます。
虚偽情報の拡散により、市民からの問い合わせ対応、誤解を解くための広報活動、正確な情報発信など、本来不要な業務負担が発生したことも、業務の平穏な遂行に対する妨害として主張する可能性があるでしょう」

自治体の開示請求には“ハードル”も

一方で、「自治体が開示請求を行う場合、個人や民間企業と比較して、“特有のハードル”が存在する」として、鷲塚弁護士は名誉毀損・業務妨害それぞれのケースについて次のように説明する。
■名誉毀損の場合
「裁判例では、住民自治の観点から、地方公共団体に対する表現行為については『社会通念上、行政批判として許容される範囲を逸脱する場合に限り』名誉毀損が成立するとされています(高知地裁平成24(2012)年7月31日判決)。
これは、民主主義社会における行政への批判的言論の重要性を考慮したもので、個人や民間企業より権利侵害認定のハードルが高くなります」(鷲塚弁護士、以下同)
■業務妨害の場合
「『権利行使として相当と認められる限度を超え』かつ『業務に及ぼす支障の程度が著しく、事後的な損害賠償のみでは回復困難な重大な損害が発生する』という厳格な要件を満たす必要があります(前掲の大阪地判平成28(2016)年6月15日判例時報2324号84頁)。
住民による行政への意見表明は一定範囲で正当な権利行使とみなされるため、その限度を超えていることの立証が必要となります」

発信者“特定”されたら…?

これらのハードルを乗り越え発信者が特定された場合、福岡市は発信者に対して「民事上の措置および刑事上の措置」を取ることができる。
■民事上の措置
  • 損害賠償請求訴訟(慰謝料請求・調査費用・弁護士費用等の実費請求)
  • 名誉回復措置の請求(訂正記事の投稿や謝罪文の掲載)
  • 差止請求(今後の同様の投稿の禁止)
■刑事上の措置
  • 名誉毀損罪(刑法230条1項)での刑事告訴
  • 偽計業務妨害罪(刑法233条後段)での刑事告訴
名誉棄損罪、偽計業務妨害罪の法定刑は、いずれも3年以下の拘禁刑または50万円以下の罰金と決して軽くない。
しかし鷲塚弁護士は、「今回の福岡市の声明は、民事上・刑事上の責任を求めるよりも、誤情報拡散に対する抑止効果と、正確な情報に基づく市民の理解を求めることが主目的ではないか」と話す。
「福岡市が実際に法的措置をとるかどうかは、発信者の悪質性、拡散の規模、謝罪の有無などを総合的に考慮して判断されることになると思います」
行政への批判は市民の正当な権利だが、根拠のないデマであれば、当然、法的な責任を問われるリスクがある。また、こうしたデマや名誉毀損の投稿は、拡散者もまた“加害者”として法的リスクを負うことを忘れてはならない。
福岡市の高島宗一郎市長は21日の定例記者会見で、「行政が個人情報を言うことができないことにつけ込んでデマ動画が流れるのは大きな問題。厳しい形で臨む」と述べている。



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