被害者・容疑者ともに生活保護の受給中であり、最終的にはそれを支援していたはずの行政側の職員4名も処分されるという異様な結末を迎えました。
この事件は、ケースワーカーの労働環境の厳しさや、「モンスター受給者」ともよばれる問題のある受給者への対応の難しさといった、現在の福祉行政の現場が抱えている課題をあぶりだしています。報道資料や公表されている内容を基に、この事件について解説していきます。(行政書士・三木ひとみ)
事件の概要
2022年11月21日午前9時半ごろ、大阪府堺市中区のマンションの一室で、この部屋に住む無職・Aさん(当時63歳)が遺体となって発見されました。発見したのは、安否確認のために訪問した区役所のケースワーカーでした。玄関は無施錠で、室内に入るとAさんが床にあおむけで倒れており、その体には無数のあざが残されていました。司法解剖の結果、死因は肋骨が約30カ所も折れたことによる多発骨折と、折れた骨が肺に刺さったことによる両側緊張性気胸でした。身長160cmに対し、死亡時の体重はわずか39.5kg。栄養失調に近い痩せ細った体で、Aさんは絶命していました。
この事件で殺人容疑などで逮捕されたのは、同じマンションの隣室に住むB(当時32歳)。後に懲役12年の有罪判決を受けました。
検察側は後の裁判で、この状態を「ボクシングの練習生だった被告人からサンドバッグのように扱われ、凄まじい痛みと苦しみを感じながら亡くなった」と表現し、その暴力の凄惨さを強調しました。
異常な支配関係と見て見ぬふりした行政
二人の出会いは事件のわずか1か月前。B宅の玄関前でAさんが寝ているのを発見し、警察に通報したことがきっかけでした。奇妙なことに、二人はその後急速に親密になり、レンタカーで和歌山へ旅行に出かけるなど、傍目には親子のような関係に見えていました。しかし、その実態は一方的な暴力と支配に満ちたものであり、行政はその危険な兆候を何度も目にしていながら、最悪の結末を防ぐことができなかったのです。
BとAさんは共に単身で生活保護を受給し、同じケースワーカーが担当していました。しかし、その関係性は、対等な友人関係とは程遠いものでした。
BはAさんの生活保護費の大半を受け取って管理し、自身の遊興費などに充てていました。さらに、「スマホに傷をつけられた」などと因縁をつけては弁済を迫り、誓約書を書かせるなどして心理的にも支配していました。暴力は日常茶飯事でした。
警察の捜査では、区役所の相談室や自宅マンションの通路などで計11回の暴行が確認されています。そのうち実に5回は、区役所職員の目の前で行われていました。
防犯カメラには、明らかに暴行を加えている様子や、それを職員が目撃している姿が記録されていたにもかかわらず、職員らは警察への通報を行いませんでした。
なぜ、これほど明白な暴力が見過ごされたのでしょうか。
職員の目前で行われた暴行についても、行政側は「当事者間のいざこざの範囲」や「じゃれ合い」程度と捉え、組織的な問題として共有しませんでした。
Aさんの遺体が発見された当日、現場にはBの姿がありました。彼は駆けつけたケースワーカーに対し、「俺はこいつの金の管理をまかされているんや」といった趣旨の説明をし、Aさんの財布やキャッシュカード、通帳などを無造作に手渡して立ち去りました。被害者が亡くなった直後であってもなお、その所有権や管理権を主張するかのような行動は、彼がAさんを完全に支配下に置いていたことを現していると言えるでしょう。
支援する側が加害者に―職員4名の書類送検
この事件が社会に大きな衝撃を与えたのは、生活保護受給者を支援すべき行政職員たちが、あろうことか加害者側に加担するような行為に手を染め、書類送検される事態にまで発展した点にあります。事件直前の2022年11月、Aさんが自宅の鍵を紛失した際の対応で、担当ケースワーカーの上司にあたる課長補佐が、Aさんに暴行を加えていたことが発覚しました。
現場の防犯カメラや音声データには、課長補佐がAさんの肩を掴んで激しく揺さぶり、扉を蹴りつけ、「じじい!われ何しとんねん!」と怒鳴りつける様子が記録されていました。その場にはBや別の職員も同席しており、公的な支援の現場とは思えない殺伐とした空気が流れていたそうです。
警察の調べに対し、課長補佐は「長時間の対応を強いられてイライラし感情が高ぶった。蹴ったのは威嚇の意味だった」と供述しました。さらにメディアの取材に対しては、「暴行の定義が分からなくなっている。手が触れるとかはあっても危害を加えるというのはない」と述べ、そこから自身の行為の違法性に対する認識が著しく麻痺している様子が伺えます。
不正支給に職員が加担も
さらに不可思議だったのは、Bに対する組織的な不正支給です。2023年3月、課長補佐、担当ケースワーカー、係長、課長の職員4人が、背任の疑いで書類送検されました。2022年6月、Bは「就労のために必要」として運転免許取得費用の申請を行いました。しかし、提出された書類はほとんどが空欄で、就職予定の会社名すら記載されていませんでした。
テレビ局が情報開示請求をして入手したその書類を、行政書士である筆者自身も目にしました。一目で不備と分かる書類でしたが、職員らは約26万円の支給を即座に決定しました。
後の調査で、係長は「Bの対応に手を焼いていたので、私の手から離れて対応しなくてよい環境にしたかった。就労によって生活保護を廃止できれば関係を解消できると思った」と供述しています。つまり、厄介払いをするために、公金を不当に支出したのです。
一方、決裁を行った課長や課長補佐は「書類は整っていた」「背任とは思っていない」と容疑を否認しましたが、ほぼ空白の申請書を実際に確認した筆者からすれば、明らかに不自然な言い訳です。これは組織全体が「面倒な受給者の要求を呑むこと」を常態化させていた証拠とも言えます。
「1人ではつらかった」ケースワーカーの孤立
なぜ、本来法を守るべき行政職員が、これほどまでに不適切な対応を重ね、犯罪にまで手を染めてしまったのか。その背景を探ると、現場の職員が精神的に追い詰められ、組織の中で孤立している実態が見えてきます。不正支給に関与したある職員は、取材に対し、Bへの対応について次のように吐露しています。
「振り回されましたよ。自己中心的で人の話を聞かないですから。1人ではつらかったです、正直」
この言葉からは、威圧的で理不尽な要求を繰り返す対象者に対し、組織的なバックアップがない中で、たった一人で対峙し続けなければならなかった絶望感が滲み出ています。
ケースワーカーとして働いた経験を持つX氏(男性・40代)は、こうした状況について「従うしかなかったのではないか」と分析しています。
「最悪の状況が重なって、組織としても担当ケースワーカーの相談を聞いてくれないとか、体制が整ってないと自分で何とかするしかないと思って、暴力的な人の対応は自分が言うこと聞いたほうが楽というか、従ってしまうのはあったのではないか」
これはつまり一種の「逆らえない上下関係」になっていたということです。長い間、威圧的な態度で支配され続けると、人は「とにかく相手を怒らせないこと」を一番に考えるようになり、まともな判断ができなくなってしまいます。
暴力を振るう相手に従って、言うことを聞くことでその場をやり過ごそうとするのは、DV被害者やカルト集団の心理によく似ています。
他の事件との共通点
堺市の事件は、決して特異な例外ではありません。共通の背景をもつ事件として、2019年に発生した「京都府向日市死体遺棄事件」「滋賀県米原市殺人未遂事件」があります。これらの事件の詳細については本記事では触れませんが、いずれも、ケースワーカーが受給者からの個人的な要求に応じているうちに要求がエスカレートし、追い詰められた結果、発生した事件である点が共通しています。
また、ケースワーカーの人員が少ない小規模な福祉事務所や、組織的な危機管理体制が機能していない環境で発生しています。
ケースワーカーを取り巻く構造的問題
一連の事件の背景には、個人の資質だけでは説明がつかない、日本の福祉行政全体が抱える構造的な欠陥があります。社会福祉法では、ケースワーカーの標準配置数は「80世帯に1人」と定められていますが、この基準は形骸化しています。関西テレビの調査によると、大阪府内の自治体の8割以上がこの基準を守れておらず、6割の自治体では1人あたり100世帯以上を担当しています。
中には1人のケースワーカーが160世帯を担当するケースもあり、物理的に一人ひとりの受給者に向き合うことが不可能な状況です。この慢性的な人手不足により、職員は「担当ケースは自分一人で抱え込むしかない」という状態を強いられています。
ケースワーカーの業務は、単なる給付事務にとどまりません。DV、虐待、精神疾患、多重債務、社会的孤立など、受給者が抱える課題は年々複雑化・深刻化しています。さらに、制度の改正に伴い業務量は増大の一途をたどっています。
業務の手引きとなる厚生労働省の「生活保護手帳」の厚さは、この20年で約2倍に膨れ上がりました。窓口対応や訪問に追われ、事務作業は残業でこなす日々の中で、職員は疲弊しきっています。
現場では、受給者からの暴言や威嚇が日常的に発生していますが、職場内では「この仕事をしていればこれくらい当たり前」「慣れるしかない」といった空気が支配的です。被害を訴えても「弱音を吐くな」と捉えられる風潮があり、上司や同僚も多忙を極めているため、相談することすらためらわれます。
また、福祉の専門職としての倫理観(受容や共感)が、暴力的な相手に対して毅然とした態度を取ることを妨げる要因にもなっています。「支援しなければならない」という使命感が、皮肉にも職員を逃げ場のない状況へと追い込んでいるのです。
加えて、行政機関はクレームやトラブルが表面化することを極端に恐れる傾向があり、威圧的な相手に対して「警察を呼ぶ」「電話を切る」といった毅然とした対応(限界設定)ができず、相手が納得するまで話を聞き続ける対応を取りがちです。
結果として、受給者からの悪質な要求をエスカレートさせ、職員を「生贄(いけにえ)」のように差し出す構造を誘発しかねない状況が生まれています。
現場から見える制度の限界と改善への道筋
堺市の事件は、行政職員が精神的に追い詰められ、孤立無援の状態に置かれたとき、支援の現場がいとも簡単に崩壊することを示しました。職員が保身のために不正に手を染め、複数人が暴力を見て見ぬふりをした結果、守られるべき一人の人間の尊厳と命が奪われました。
同じような事件を繰り返さないためには、個人の責任を追及するだけでは不十分です。有識者は、暴力的な対象者や困難なケースを職員一人が背負い込む体制を根本から改め、警察や弁護士、精神保健福祉士など専門家の力を借りて組織的に対応することの重要性を強く訴えています。
また、人の尊厳を奪う暴力を看過しないという根本的な人権、倫理意識の向上に、社会全体が取り組んでいくべきではないでしょうか。
ケースワーカーを孤立させないためには、社会福祉法に基づく人員配置基準の遵守はもちろん、困難なケースに対する複数担当制の導入や、警察OBの配置といった具体的な安全対策が不可欠です。現場の職員が声を上げられる環境を作り、組織・社会全体でその声を受け止める体制を構築することこそが、同じような悲劇を防ぐ唯一の道筋と言えるのではないでしょうか。
■三木ひとみ
行政書士(行政書士法人ひとみ綜合法務事務所)、社会保険労務士(ひとみ社労士事務所)。官公庁に提出した書類に係る許認可等に関する不服申立ての手続について代理権を持つ「特定行政書士」として、これまでに全国で1万件を超える生活保護申請サポートを行う。著書に『わたし生活保護を受けられますか(2024年改訂版)』(ペンコム)がある。

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