NHKの井上樹彦(たつひこ)新会長は1月28日、就任後初の記者会見に臨んだ。18年ぶりとなる内部出身の会長就任となった井上氏は、現在NHKが直面している最大の経営課題として「受信料収入の下げ止まり」と「事業構造の変革」を挙げ、「グループの総力で取り組む。
不退転の決意だ」と語った。
テレビ離れが加速し、昨年10月の改正放送法施行によってネット配信が「必須業務」へと位置づけられた今、NHKの徴収体制は大きな転換点を迎えている。新体制が掲げる「攻めの姿勢」と、それによって利用者が直面する法的な疑問点とは――。

民事手続き申し立て「3か月で前年度の3倍」の衝撃

会見でもっとも注目を集めたのは、受信料を支払っていない「未収世帯」に対する強硬な姿勢だ。NHKは昨年10月、未収世帯への督促を強化するための新組織を立ち上げたが、その実績が早くも数字に表れている。
公表された資料によれば、昨年10月から12月までのわずか3か月間で、支払いを求める民事手続き(支払督促)の申し立ては398件に達した。これは2024年度(1年間)に実施された総件数の約3倍という驚異的なペースだ。
また同資料では、現在は東京や大阪など大都市圏が中心だが、2026年度にはすべての都道府県にこの動きを広げ、「年間2000件超」という過去最多の規模にまで申立件数を拡大する方針が示されている。
背景には、受信契約をしながら支払いが滞っている世帯の急増がある。井上氏は「このまま放っておくことは、公共メディアであるNHKの責任を果たせないことになる」と理解を求めた。

ネットニュース閲覧時の「同意」と法的効力の境界線

この「徴収強化」の動きは、テレビを持たないネット利用者にも無縁ではない。
昨年10月の「NHK ONE」スタートに伴い、従来のニュースサイト「NHK NEWS WEB」の仕様も変更された。記事を閲覧しようとすると、「すでに受信契約を締結されている場合は追加負担は不要」といった説明とともに、「内容について理解しました」というチェックボックスへの同意を求められるようになった。
「これをクリックしたら契約したことになるのか」――SNS上などで不安の声が上がるこの運用への法的な見解について、ビジネスと法規制の問題に詳しい江﨑裕久弁護士に聞いた。

1. チェックボックスへの同意だけで「契約成立」となるか

まず、「内容について理解しました」に同意しただけで契約の効果が発生するのかについて、江﨑弁護士は、「一般的な契約解釈からすれば、この段階で発生するとは考えづらい」と述べる。
「このような形で契約が成立するには、本来、料金や支払い方法、利用規約の根幹に関する具体的な合意が必要です。この画面では住所や氏名の入力も行われておらず、契約を成立させるのに十分な内容が含まれていません」(江﨑弁護士)
なお、NHKも公式サイトの利用案内において、ニュース記事の閲覧を含む「NHK ONE」は受信契約が必要なサービスであるとした上で、利用開始時の確認画面は、「受信契約が必要なこと」をユーザーに伝え、確認してもらうためのステップであると説明している。

2. 「アカウント登録」が持つ法的な意味合い

しかし、チェックを入れた後にアカウント登録等を進めた場合、事態が変わる可能性があると江﨑弁護士は指摘する。
「受信契約そのものは、アカウント登録に加えて、受信契約情報の登録まで完了した段階で成立すると解釈すべきです。
ただし、アカウント登録をして利用を開始している実態があれば、たとえ正式な契約手続きを完了させていなくても、放送法(64条5項4号ロ)上の『正当な理由がなく(中略)期限までに受信契約の申込みをしなかった場合』に該当する可能性があります。
その場合、督促や未契約期間分の課徴金を徴収されるといった動きにつながることも考えられるため、注意が必要です」
このように、手続きの進め方次第で「未契約者」として督促等の対象になり得る一方で、江﨑弁護士は、その入り口となるNHKのサイト設計そのものに潜む「不透明さ」を危惧する。
「特に気になるのは、テレビを持っていないネット専用利用者への対応です。
本来、そうした人は配信専用の契約(2階部分)のみで済むはずですが、サイトの建付けによっては、不要なはずの地上波・衛星放送(1階部分)の契約までセットで結ばされるような誘導になっていないか。利用者が誤解に基づいて契約してしまった場合、NHKには真摯な対応が求められます」

ネットで完結するサービスだが「特商法」は適用外?

さらに、NHK ONEはネット上で取引が完結するサービスであることから、法的には「特定商取引法(特商法)」が適用されるかどうかも大きな注目点となる。
通常、ネット通販やサブスクリプション契約においては、消費者が不意の不利益を被らないよう、特商法に基づき「契約から8日間は取り消しが可能」といったルール(返品特約)が定められている。
そのため、一般的なEC事業者は「特定商取引法に基づく表記」をサイト上に掲示しているが、現在のところ「NHK ONE」のサービス内において同様の表示は確認できない。
弁護士JPニュース編集部が、ネット専用契約と特商法上の「通信販売」との関係についてNHKに取材したところ、以下の回答を得た。
〈特定商取引法は、「営利の意思をもって、反復継続して取引を行う」販売業者又は役務提供事業者を対象としているものと承知しています。NHKは、放送法第20条第4項で「営利を目的としてはならない」と規定されているため、特定商取引法の適用対象外であると考えています。

このNHKの見解に対し、江﨑弁護士は法解釈の観点から次のように指摘する。
「そもそも特商法の条文上、サービス提供者に『営利目的』は要件として明記されておらず、通達等(※)によって事業者側に営利目的があることが解釈上の要件とされているところですが、この通達によっても『営利の意思の有無については客観的に判断される』とだけ記載され、法人の性質に関わらず内容から判断されるものと読み取れます。
そうした背景を考えると、NHKのような巨大な役務提供組織が、放送法の規定を盾に一律に『適用対象外』と言い切れるのかについては疑問が残ります。もし将来的にこの点が裁判などで検討されることになれば、非常に興味深い判例となるはずです」
※特定商取引に関する法律等の施行について(令和6年11月19日)
各経済産業局長及び内閣府沖縄総合事務局長宛て/消費者庁次長
経済産業省大臣官房商務・サービス審議官

「スクランブル化」なぜ実現しない?

NHKは、ネット空間への進出を加速させる一方で、国民から根強く上がる「スクランブル化」には否定的な姿勢を崩していない。先日の会見でも、井上会長は現行の受信料制度を「公共放送の財源としては最上の制度」と称賛した。
しかし、江﨑弁護士は、スクランブル化を巡る現在の法的なステータスについて、制度上の矛盾を次のように指摘する。
「まず、放送法15条の『公共性』を読み解いても、料金を払わない人に視聴させないことを禁じる規定は文理上見当たりません。つまり、法文がスクランブル化を明確に否定しているわけではなく、実態としてはNHK自身の『意思』として、スクランブル化をしない選択をしているのが現状です。
NHKは『公共放送ゆえに全方位に視聴可能であるべき』とし、その公平性のために『全員から徴収する』という二段階の説明をしていますが、これには『テレビを持てば受信を制御できない』という物理的な前提が隠されています」
これまでNHKは、「テレビがある以上、受信の可否を選別できない」という物理的性質を背景に、契約義務を認めない視聴者と裁判で争うことで、その徴収の正当性を担保してきた側面がある。そのため、NHKが自らスクランブル化を導入し「見ない自由」という選択肢を認めることは、自ら積み上げてきた司法判断や徴収の論理を根底から覆すことになりかねない。
さらに言えば、今、こうした放送法制度の枠組みそのものが、ネット社会において前提から揺らぎ始めている。
「情報の取得先が無数にあるネット空間において、コンテンツを充実させたとしても、NHKを自ら選ぶ人は確実に減っていくでしょう。
そうなれば、『NHKを見られる状態だから受益者だ』という理屈を通すのは、限られたチャンネル数の放送時代よりもさらに無理が出てきます。
今後、NHKを存続させるという前提に立つのであれば、実際にアクセスするかに関わらず、災害放送などの公共インフラとしての価値そのものに対価を支払う『賦課金制度』の方が、理屈としては合理的という議論になるのではないでしょうか。ただ、それを良しとするかどうかはまた国民の選択だと思います。
これは法律家の枠を若干飛び越えた私個人の思考実験ですが、いっそNHKを国営放送とすることも検討に値すると考えています。財務面で政府の一機関として国民の目が届きやすくなるだけでなく、国際情勢において外国からの誤報に対し、政府が直ちに訂正情報を発信する手段を持つことが必要だと思うようになってきたからです。
戦後80年を経て、放送を普及させるために当初設計された仕組みそのものが、現在の社会情勢に合致しなくなっていることは確かですし、『制度疲労』を起こしているのではないかと感じています。一旦国民全体で議論すべき時期に来ているのではないでしょうか」


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