これは、生活保護受給者や、これから生活保護を申請しようとする人が、他の市区町村にある介護保険施設や有料老人ホーム等に転居する場合に関するものです。
たとえば、生活保護受給者が介護施設等への入所をきっかけに他の市町村へ移り住んだ場合、従来であれば、移住先の施設がある市町村が、その人の生活保護に関する事務を担当することになっていました。「今、目の前で困っている人を、その場所の自治体が助ける」という「現在地主義」の原則(生活保護法19条参照)に基づくものでした。
ところが、ルール変更により、「転居前の住所地」の自治体が保護費を負担し、かつ保護の実施のあり方について決定権を握ることとなったのです。このルール変更は、生活保護の実施責任のあり方を介護保険制度のルールに一元化したものです。
しかし、本来、個々の困窮状態に即応することを旨とする生活保護法の精神を、事務的な線引きを優先する介護保険の枠組みに無理やり当てはめた歪みは、施行から約1年が経過した今、現場の機能不全として表れています。(行政書士・三木ひとみ)
「自治体間の財政負担の公平」をはかるためのルール改定だったが…
ルール改定に際して国が掲げた理由は、域内に多くの施設を抱える自治体の財政負担を抑えるという「公平性」の観点でした。しかし、この事務的な変更は、事実上、生活保護を必要とする人とその家族に対し、高い精神的ハードルを突き付けるものです。
以下は、無年金状態で認知症が進み、施設入所を検討している80代男性の家族の方からの言葉です。
「住み慣れた地元の役所には、同級生や知り合いが働いています。都会と違って、知り合いばかりです。近所の目がそこら中にあります。家族が生活保護を受けることを知られたら、私たちはもう、地元で普通に暮らせなくなります」
以前であれば、地元のしがらみを離れ、新しい生活を始める場所の窓口で、プライバシーを守りながら申請することができました。しかし今は、どれほど遠く離れた施設に身を寄せようとも、「知られたくない過去や関係性」が残る地元の役所と向き合い続けなければなりません。
この精神的な苦痛が、本来生活保護を受けるべき人に受給をためらわせ、さらなる孤立へと追い込んでいくことになります。行政の数字には表れない、現場で起きているこの深刻な問題は、知られにくく、報道もされにくいのです。
現場を疲弊させる事務作業の負担
さらに、現場のケースワーカーたちを苦しめているのが、膨大な事務負担です。施設に入るまで、その人が実際にどこで寝泊まりしていたのか。病院の入退院を繰り返した末に施設入所に至る方も少なくなく、住民票の履歴と実態を一つひとつ洗い直さなければなりません。
1人の申請者の前住所を特定する作業の間、目の前の業務はストップします。
本来、ケースワーカーの役割は自立に向けた「寄り添い」であるはずです。しかし、住所地特例があるばかりに、遠方の役所と電話や郵送で事務作業を黙々と進め、自治体の財政負担を回避するための仕事をする日々。
要保護者と一度も顔を合わせることなく、事務作業のみを積み上げる現状は、福祉の本来あるべき姿を没却しているといわざるを得ません。
事務負担の増大は、支援の質にも直結します。神奈川県のある若いケースワーカーは、私とのメールやり取りの中で本音を吐露していました。
「1人で100世帯以上を担当し、日々の事務処理と苦情対応に追われ、余裕などありません。1人を特別扱いすれば、全員に同じ扱いをしなければならなくなります。
生活保護法27条は、実施期間による被保護者への「指導・指示」や「助言」を規定しています。しかし、遠隔地の自治体のケースワーカーが、被保護者の生活実態を把握し、適切な助言を行うことは、物理的に困難です。
「整然とした運用とは程遠い」――これは、某県の職員が漏らした言葉です。現場は日々の業務に忙殺され、「自立支援」という本来の目的は置き去りのようです。
煩雑な事務作業に追われ、目の前の困窮者と向き合う時間が奪われていくケースワーカーたちの苦悩。その歪みが、本来救われるべき人々にしわ寄せをもたらしています。
「統一的なルールもなく、現場に任せている」
筆者は、2025年4月前半、制度が始まったばかりのときに、まさにこの実態を目の当たりにしました。当時、関西地方のX県のとある福祉事務所の担当職員らは私に「現場でもこの制度改正を3月半ば以降に知らされ、どうしたらいいのかわからず困惑している」と漏らしていました。
制度開始から約1年。現場はどうなっているのか。同じ福祉事務所へ取材を試みました。相談が通常多い月曜と金曜は避け、2月3日火曜日午後。何度電話をかけても、市役所の代表電話から内線へ繋ごうとしても、一向に繋がりません。
やむなく先にX県庁に電話をしたところ、男性職員が対応し、制度を調べるといわれ、しばらく保留された後で、こう告げられました。
「県内に住んでいた高齢者が遠方の施設に入って生活保護の申請をした場合に、どう審査をして、保護の決定後にどうやって家庭訪問をするのか、県は把握しておらず、統一的なルールもなく、現場に任せている」
男性職員は、このことはX県に限ったことではないと強調していました。つまり、国がルールを投げっぱなしにし、自治体間での対応はバラバラ。事実上の「無責任な放置状態」が続いているようです。
福祉事務所への取材で見えた実態
詳しくは、福祉事務所に聞いてほしいとのことでしたから、あらためて福祉事務所に電話をかけると、ようやく繋がりました。若手職員は、真摯ながらも驚くべき実態を明かしてくれました。「どんなに遠方でも、電話や郵送を利用して、当福祉事務所が申請後の審査も保護決定後の対応もしています」
行政書士が「関西に住んでいた人が、関東の施設に入所したら、保護決定後の施設訪問などの対応は、さすがに最寄りの福祉事務所が対応すると思っていたので驚きました」と伝えたところ、困ったような反応でした。
関西の自治体が、関東の施設に入所した人の状況確認を電話一本で済ませる。これは現場の怠慢ではなく、現在の制度設計そのものです。生活保護法27条が求める「直接の指導・助言」を物理的に不可能にしているのです。
顔を合わせ、その人の生活の息遣いを感じることもない遠隔保護の下では、対人支援が形骸化し、被保護者が孤立を深めていくことになりかねません。1人で何十世帯も抱えるケースワーカーが、遠方の施設まで頻繁に足を運べるわけがありません。
法の誤った解釈・運用を助長
誤解してはならないのは、今回の「住所地特例」の拡大によって、生活保護の審査基準そのものが厳しくなったわけではないということです。施設に入った後、親族からの十分な助けが得られず、本人の年金や資産が最低生活費を下回っているのであれば、当然、保護は受けられる「はず」なのです。
ところが、ルール改定後、「別居している親族に頼れるだろう」といった理由での不当な却下のケースが増えています。
生活保護の申請先が「施設に入る直前の自治体」となった結果、移転先の役所側には「つい先日まで家族と同居していたのだから、家族が助けられるはずだ」というバイアスが生じやすくなっているとみられます。
実際、私の行政書士事務所には悲痛な相談が寄せられています。
親族の家へ、複数名の役所の職員が事前の連絡もなく突然押し寄せ、「〇〇さんが生活保護申請をしたから、話を聞かせて」と迫る。
「家族なんだから、少しは出せるでしょう」
「今まで支援してきたんだから、年金で足りない施設代くらい、息子さんが出してあげられないのか」
「施設のお母さんに聞いたら、家族が助けてくれるから大丈夫だと言っていましたよ」
そんな言葉が、長年かけて築いてきた家族の絆に、修復しがたい亀裂を生じさせています。
法令上、親族による扶養は保護の「要件」ではありません。あくまで「保護に優先して行われるもの」(生活保護法4条2項)に過ぎないのです。親族が調査に協力的でないからといって、それだけで申請を退けることは、明らかな法解釈の誤りです。
自治体同士の責任の押しつけ合いも
さらに目を覆いたくなるのは、自治体同士が互いに「責任の押しつけ合い」をし、生活に困窮する高齢者が置き去りにされる事態が生じていることです。「この人の申請管轄は、A市です」
「いえ、B市が受けるべきです」
そんな不毛な議論が続く間、低年金の高齢者の施設代は滞納され続け、滞納額と共に不安が積みあがっていきました。
国の指針(生活保護問答集)には、自治体間で意見が分かれた場合でも、「保護に空白を生じさせてはならない」と明記されています。解決しないなら、速やかに上級機関(都道府県や厚生労働省)に判断を仰ぐべきなのです。
あるケースでは、介護施設に入所した低年金の親の保護申請が、自治体間の責任の押しつけ合いにより却下され続け、膨れ上がる滞納額と板挟みになった息子さんが、あまりのストレスに耐え兼ねて入院にまで追い込まれました。
行政の無責任と制度の形骸化に終止符を
生活保護制度における2025年4月の「住所地特例」の適用から約1年が経ちました。現場の混乱と機能不全を目の当たりにし、ルール改正が生んだ綻びを憂慮せずにはいられません。冒頭に述べた「現在地主義」の原則(生活保護法19条参照)の重みを、あらためて振り返る必要があります。画一的なルールで弱者を切り捨てるのではなく、個々の世帯の実情に寄り添う生活保護法9条の「必要即応の原則」に基づき、ケースワーカーが柔軟に動ける体制を整えるべきです。
また、家族関係を壊し、申請を躊躇させる要因となっている「扶養照会」は原則廃止し、本人の申請権を最優先に守る運用へと舵を切らなければなりません。さらに、自治体間での「責任のなすりつけ合い」に終止符を打つには、地方自治体の財政負担の軽減、国庫負担の引き上げ、あるいは全国一律の運用徹底が不可欠です。
「目の前の命を救う」という生活保護法本来の姿に立ち返るべきではないでしょうか。
■三木ひとみ
行政書士(行政書士法人ひとみ綜合法務事務所)、社会保険労務士(ひとみ社労士事務所)。官公庁に提出した書類に係る許認可等に関する不服申立ての手続について代理権を持つ「特定行政書士」として、これまでに全国で1万件を超える生活保護申請サポートを行う。著書に『わたし生活保護を受けられますか(2024年改訂版)』(ペンコム)がある。

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