東京都内の会員制ハプニングバーの経営者が、「公然わいせつ幇助罪」で拘禁刑3か月、執行猶予3年の有罪判決を受けたことが報じられた。
これに対し、YouTuberとしても活躍する藤吉修崇(のぶたか)弁護士が X(旧 Twitter)で「理解できない」と投稿し、大きな議論を呼んだ。

「公然わいせつは『健全な性的道徳』を守るための罪。でも元々その道徳が存在しない場所に適用して、何を保護してるのかがわからない。被害者がいない」
「全員自分の意思で来てる場所で、合意のもとでやってることを、誰のために取り締まってるのか」(以上、いずれも藤吉弁護士のX投稿より)
これらの疑問は、刑法がどのような法的利益を守ろうとしているのか、という「保護法益」のとらえ方の問題と密接にかかわっている。刑法ないしは「わいせつの罪」に詳しい荒川香遥弁護士(弁護士法人ダーウィン法律事務所代表)に解説してもらった。

本件の有罪判決は「判例」を踏襲

公然わいせつ罪は、「公然とわいせつな行為をした」場合に成立する(刑法174条。6月以下の拘禁刑もしくは30万円以下の罰金または拘留もしくは科料)。
「わいせつ」の概念については争いがあるが、荒川弁護士は「少なくともハプニングバーの店内で行われることが想定される行為については、わいせつな行為にあたることに争いはないでしょう」としたうえで、問題となるのは「公然と」の解釈だと説明する。
判例・実務上はどのような解釈がとられているのか。
荒川弁護士:「判例は、『不特定または多数の人が認識できる状態』としています(最高裁昭和32年(1957年)5月22日決定)。これによれば、わいせつな行為をしているところを実際に見られる必要はないことになります。
また、密閉空間で数十名の客の面前でわいせつな行為を行った場合でも、不特定または多数の人を勧誘した結果であれば、公然わいせつ罪が成立するとした判例があります(最高裁昭和31年(1956年)3月6日決定)。
ハプニングバーの場合も、会員になった人は店に入ることができます。また、営利を求めるしくみ上、必然的に、不特定または多数の人を対象として、会員になる人を勧誘・募集していると考えられます。
その意味で、不特定または多数の人が出入りする可能性がある場所との評価が可能です。
したがって、本件のハプニングバー経営者を公然わいせつほう助罪とした判決は、賛否はさておき、客観的にみて判例の判断枠組みを踏襲したものと考えられます」

被害者がいないのに「犯罪」…法解釈の限界

ここで一つ、疑問が生じる。
たとえば、公道上でわいせつな行為が行われるのであれば、一般人の性的羞恥心が著しく侵害される。しかし、少なくとも、ハプニングバーに関する限り、そのような懸念は不要ではないか。そもそも多くの犯罪で必須の要素である「被害者」が存在しない。
ハプニングバーに会員登録してまで訪れる客は、店内でわいせつな行為が行われることを嫌悪するどころか、むしろ期待さえしていると考えられるといっても過言ではない。
そうであるにもかかわらず、公然わいせつ罪として罰せられるのはなぜか。荒川弁護士は、公然わいせつ罪がどのような法的利益を守ろうとしているかという「保護法益」のとらえ方にかかわるという。
荒川弁護士:「公然わいせつ罪の保護法益について、判例と学界の通説は、『性秩序と健全な性的風俗』であると解釈しています。
したがって、被害者がいなくても、性秩序と健全な性的風俗が害されれば、犯罪が成立します。公然わいせつ罪の要件である公然性も、この見地から、広く解釈されることになります。
もちろん、『性秩序と健全な性的風俗』という概念が不明確なのは否定できません。
また、運用によっては『表現の自由』(憲法21条)、『幸福追求権』(憲法13条)などに抵触する可能性もあります。
そこで、学者や実務家の間では、公然わいせつ罪の保護法益を『わいせつな行為を見たくない人の性的羞恥心』といった個人の法益に引き直して解釈すべきという考え方も有力です。
この立場からすれば、『公然と』を限定的に解して、ハプニングバーのような閉鎖空間で見たい人ばかり集まっている場合を処罰対象外とする解釈が可能となります」
価値観が多様化した今日では、この有力説のように、公然わいせつ罪の保護法益を「わいせつな行為を見たくない人の性的羞恥心」などと解するほうが合理的であるようにも思われる。なぜ、そのような解釈が裁判で採用されないのか。荒川弁護士は、その最大の要因が、条文の解釈上の制約にあると説明する。
荒川弁護士:「公然わいせつ罪を定めた刑法174条の文言に従う限り、『被害者がいる場合』と『被害者がいない場合』とを分けることが困難なのは否定できません。これは他の『わいせつ物陳列罪』『わいせつ物頒布罪』等にもいえることです。
わいせつの罪の規定のあり方自体が、保護法益が『性秩序と健全な性的風俗』であることを前提としています。
司法・裁判所の役割は、あくまでも、既存の法律を解釈することです。したがって、現行の規定のあり方から逸脱することは難しいのだと考えられます」
実際に、冒頭に紹介した藤吉修崇弁護士によるX上の「理解できない」という指摘も、条文の解釈というよりも、公然わいせつ罪自体のそもそものあり方に力点があると考えられる。
また、元最高裁判事でわが国の刑法学の権威である山口厚 東京大学名誉教授は、わいせつの罪の保護法益を性的秩序・風俗と解するほかないとしつつも、「わいせつな物等の現実社会における実態や、そうした実態を背景とする人々の意識の変遷を考慮することが必須」との指摘を行っている(山口厚「刑法各論 第3版」(有斐閣)P.518参照)。
このことは、わいせつの罪にとどまらず、法令の解釈にはおのずと限界があること、結局は国会による法律の改廃を待たなければ解決困難な問題があることを示しているといえよう。



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