新型コロナウイルスの後遺症に苦しみながらも、プロの世界で戦うことを決めた天才双子姉妹の妹に密着しました。
今年3月にプロデビューを果たした、愛知県一宮市出身のテニスプレーヤー・虫賀心央(むしか・みお)選手 19歳。
実はCBCテレビでは双子の姉・愛央(まお)選手とともに地元出身の“天才双子姉妹”として何度も取材してきた選手なんです。
小学生の頃は何度も全国大会の決勝で戦い、常にトップの座を争ってきた虫賀姉妹。小学校を卒業後はアメリカのテニスアカデミーで切磋琢磨して、プロを目指していました。


しかし2021年の夏、心央選手のテニス人生を大きく変えてしまう出来事が。
(心央選手)
「新型コロナウイルス陽性になってしまって、その後から体調がすぐれなくて」
何度も救急搬送「ラケットはもう置いていた」
新型コロナウイルスに感染した後、後遺症からか大会中に体調不良に襲われ救急車で運ばれるということが続きました。去年アメリカの大学へ入学しましたが、日常生活でも再びコロナの後遺症で倒れ、帰国を余儀なくされました。


(心央選手)
「テニスをするのも怖くなって、寝たきりでしたね」
Q.ラケットを置こうと思った時もあった?
「もう置いていました」
体調不良に悩まされる中、一度はテニスをやめることも考えた心央選手。帰国後はプレーヤーとしての活動から距離を置き、キックボクシングに取り組んだり、ジュニア選手のレッスンなどをしていました。

そんな日々を送る中、再びテニスの道へと戻るきっかけの一つとなったのが、小さい頃から常に隣にいた姉の愛央選手でした。
「自分は何しているんだろうって」
(心央選手)
「愛央の試合を見ていたりほかの子を見ていたりすると、ちょっと焦るというか。自分は何しているんだろうって。(テニスを)やりたいなと思い始めたのが今年に入ってから」

小学生の頃は、お互いにライバル心むき出しだった双子の姉妹。そんな2人が、今では互いを支えあう仲に。
(心央選手)
「今は親友みたいな感じになってきて、感謝しています」

3月にプロ転向を決めてから一番力を入れたのは、もとの体力に戻すこと。
(心央選手)
「コロナの後遺症の後は100%の力でまだ一回もテニスをできていなくて。100%を出すと倒れるので、ずっと力をセーブしている」
プロ転向後に、7つの大会に出場した心央選手。100%の力を出せない状態では勝ち上がることは難しく、タイトルには届いていません。

母「またコートに立てるだけでも良かった」
そのことについて母・智子さんは…。
(母・智子さん)
「本当に起きられない時期を見てきたので、そういう意味ではまたコートに立てるだけでも良かったと思うけど…(勝ってほしい)欲が出ちゃいますよね」

新型コロナウイルス感染の後遺症から立ち上がり、プロとして戦い続けることを決めた心央選手。
(心央選手)
「(以前は)ずっとネガティブなことしか考えなくて、コロナの後遺症にならなかったらとか、今考えればその時期があったから今はいろんなことに感謝して、周りの人が支えてくれた」
Q.夢はグランドスラム出場?
「当たり前です。特に全仏オープンで」
