ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、“川が蓋をされている”状態の「暗渠」について、道マニア歴15年の髙山英男さん(60)が調査します。
向かった先は、愛知県豊橋市。大きな川がなく、昔から水不足に見舞われたこの東三河地域は、農地を潤すため明治20年に「牟呂用水(むろようすい)」という人工の水路を開拓しました。
豊川の上流から約23キロにわたって人の手で掘られた牟呂用水は、今でもこの地域の生活を支える大切な水路ですが、まずはこの川に合流している支川を散策することに。

川沿いを歩いて行くと…川の上に店舗や住宅が。ここで中華料理店を営む方にお話を聞くと「昔は洗濯ができたり、泳いでいる子もいた」と話します。
さらに、豊橋駅の線路を越えた先に見えてきたのは、“水上ビル”。約800mにわたって、川に蓋をするような形でビルが建ち並んでいたのです。


いったいなぜこの場所にビルが建つことになったのか。この商店街で理事長を務める黒野さんにお話を伺いました。
“横のデパート”で愛された水上ビル
(黒野さん)
「元々は戦後のいわゆる“闇市”。豊橋は空襲で全部焼けちゃったので、何もなくなってしまった時に闇市が駅前付近にできるんですが、僕らはみんなで毎日いくら貯めようと決めて貯金をして土地を買って、当時バラックみたいな商店街を建てた」

「ただそれも戦災復興がされていく過程で『美観的にもよくないね』とか『防災的にもよくないね』ということで、じゃあ解きましょうという話になった時に『川が流れているね、川の上があるじゃん』と」
黒野さんによると、水上ビルの誕生は空襲で被害を受けた後にできた闇市がきっかけとのこと。戦後間もない頃に駅前の一等地で開かれた闇市ですが、街の復興とともに立ち退きを命じられることに。そこで“牟呂用水の上”に目をつけたのです。

豊橋市の河川に関する条例(昭和44年)が施行される前の昭和39年、川の上にビルが建設され、1階が店舗、2階以上が住居という長屋形式で当時はビルを一周すればなんでもそろう“横のデパート”として愛されてきたといいます。

続いて訪れたのは、近くに「境川」が流れる愛知県東郷町。この境川の支流「春木川」に、とっても珍しい“暗渠道”があるとのことでへ向かってみます。
役場で蓋をされた川?
川に沿って歩いていくと…そこには川が「役場」で蓋をされ、一部が暗渠になっているという不思議な光景が。


いったいなぜ川の上に役場が建つことになったのか。
地元住民によると、昔役場を拡張しようとした際に印刷工場が横にあったため、新しく建てることができず、橋を渡して南側にあった田んぼの土地を利用。その後、役場が新しく建てられ、今のように川をまたぐ形になったのだそう。

“暗渠”になった背景を読み解くことで、その時々の歴史・状況が見えてきました。
2024年8月13日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より