スタートアップやベンチャーに限らず起業初期段階においては社長の「カリスマ」と社員の「忠誠」が重要である。能力が高くとも、信頼して背中を預けることができなければ、乱世の荒波を乗り切ることはできない。
戦国時代のカリスマ武将たちの教育方法は実にユニークで、それぞれの家の風土や匂いを感じさせてくれる。
暗君なしと云われた島津のカリスマ
.column-layout { width: 100%; float: none; text-align: center; } .column-layout figure img { width: 100%; }@media screen and (min-width: 48em){ .column-layout { width: 40%; float: left; } .column-layout figure img { width: auto; }}島津義久(しまづ・よしひさ)といえば戦国時代の雄であり、豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)の九州征伐直前までは怒涛の進撃をみせていた。守護大名ではあるが最南端の小国島津は一族の優秀な人材により大きな飛躍を遂げていた。
その根源となった人物こそ、島津日新斎(しまづ・じっしんさい)である。
日新斎は隠居後、息子・貴久の子、義久(よしひさ)、義弘(よしひろ)、歳久(としひさ)、家久(いえひさ)の四兄弟を教育した。これが後に島津に暗君なしと云われるほどの名将となった。

イラスト/©墨絵師御歌頭
「義久は三州の総大将たるの材徳自ら備わり、義弘は雄武英略を以て他に傑出し、歳久は始終の利害を察するの智計並びなく、家久は軍法戦術に妙を得たり」
これは日新斎が孫たちをそれぞれ評価した言葉だと言われている。
日新斎は分家でありながら、その卓越した経営センスで実力を養い、やがて嫡男・貴久(たかひさ)を養子として守護家を継がせることに成功する。当時まだ珍しかった鉄砲を貿易により入手し独自に研究を行い、やがて島津氏は日本で初めて鉄砲を実戦投入している。

その後、島津のお家芸として有名な“釣り野伏”(つりのぶせ)や“捨て奸”(すてがまり)を編み出した。“釣り野伏”は敵前撤退によって巧みに敵を誘い込み、鉄砲射撃をきっかけに反撃、包囲殲滅する戦法であり、数を頼みとする強大な敵に対して、強烈な反撃を加え、敵軍の指揮系統を混乱させ敗走へと追い込むのだ。
対して“捨て奸”は、選りすぐりの銃者が殿(しんがり:撤退時の最後尾隊)として地面に鉄砲を固定し、追ってきた敵馬上の統率者を狙撃する。その名のとおり、銃者は死兵と化し、生き残ることはできないが、それによって本隊への追撃を諦めさせるという恐ろしく苛烈な戦法である。
これらは、鉄砲技術だけでなく、島津軍全体としての厳しい軍法や精神教育があって成功するものである。
日新斎は家中において、「日学」と呼ばれる教育法を実施している。これは禅、神道、仏教、儒教など全てを極めた日新斎が独自にまとめあげた学問である。さらに、教育レベルによらず誰にでもわかりやすくその心得を身に着けることができるように、「いろは歌」を考案している。これはのちに島津の郷中教育と呼ばれる教育法の基礎となり、幕末志士の礎となっている。時代を通じて、日新斎は島津氏のカリスマであったと言える。
いろは歌に込められた、人材教育のヒント

一説には五年の歳月をかけて完成させたという「日新斎のいろは歌」は47首ある。本当は全て学んでこその日学であるが、今回はその一部を抜粋して学んでみよう。
「い」いにしへの道を聞きても唱へても わが行に せずばかひなし古典の道(思想など)を学び諳んじたとしても、自らの行いとしない者は意味が無い。
ここでいう道とは、いわゆる書道や華道やラーメン道など日本人が好む道である。諸外国の法や術で無いところがいかにも日本的で、完成されたものではなく、常に未完の学びとして成長させていくという謙虚なものである。日新斎は、知識があっても実践行動できない者はダメだと初っ端にこの句を持ってきている。
「は」はかなくも明日の命を頼むかな 今日も今日と 学びをばせで
明日の生きていられるとは思うな、修学は今この時と思って延ばすべきではない。
戦国時代は日々が生きて帰れない時代である。もし仮に現代人が、明日は命が無いかもしれないという危機迫った状況に置かれたらどうだろう。日々最善を尽くすことは、美しい生き方であり、満足した人生を送るために、学びは今やるべきである。
「ぬ」盗人はよそより入ると思うかや 耳目の門に 戸ざしよくせよ
盗人は外から入ると思うだろうが、自らの耳と目にこそ戸締りをよくしなければならない。
リスク管理は、ついつい外からの防衛に目が行きがちである。しかし、今までの経験上、外敵による進入よりも、内部から流出することが多い。まずは自社、一人ひとりが心掛けるようにすべきである。
「わ」私を捨てて君にしむかはねば うらみも起こり 述懐もあり
私心を捨てて君主に仕えなければ、恨みもおこり、述懐(この場合不平不満の意)もでてくるものだ。
私的な感情や野望を捨てて会社や仕事に取り組まねば、何かあった際に心に恨みが起こるだろうし、不満も出てくるといったところか。
「る」流通すと貴人や君が物語り はじめて聞ける 顔もちぞよき
目上の人や説法を聞くときに、もしあなたが知っていたとしても、初めて聞いたという顔をしなさい。
これは現代社会でも良くあるシーンでは無いだろうか。上司や取引先の社長などの話で既に知っている事があったとしても、初めて聞きましたという対応をした方が人間関係はうまくいくものだ。
“一を聞いて十を知る”という利発な人は、その利発さが表に出ていて、知らずに話の腰を折っていないだろうか。経験豊かな人の話ほど、表面だけでは捉えきれないノウハウが含まれている可能性が高く。それは聞く側の姿勢によって幾らでも得ることができるのである。
「す」少しきを足れりとも知れ満ちぬれば 月もほどなく 十六夜の空
少し足りないという事を知り、それに満足しなさい。月の満ち欠けも同じもので、十六夜の空を楽しめる心を養いなさい。
これが最後の句である。現代人の欲望は際限がない。何かを手に入れたらさらにその上が欲しくなる。自らの足るを知るという心を持たねば、その欲望に飲み込まれてしまう。
ネット社会は情報が氾濫し、あなたと会社のお金をあらゆる手段で奪いにくる。
自社や自分にとって本当に必要なモノを知るという事は、富貴に関係なくマネー術として体得しておくべきである。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ(ビスマルク)」
日新斎のいろは歌にはまだまだ学びが多いので、いずれ別の機会でご紹介をしていきたい。
歴史は繰り返すという言葉のように、人の一生、その根源は一見変わることはない。ただ、少しづつ世の中は良くなっており、常に人は学んでいる。
故に、未来は明るいのだ。
【まとめ】-偉人に学ぶ-
島津日新斎の人材教育のポイントは以下のとおり
・子供でも歌で覚えやすく工夫することで、教育レベルのハードルを下げた。
・幕末まで続く郷中教育に組み込んだことで、自らの死後も社風として引き継がれ、強力な結束力を生み出すことに成功した。
・根底には、「正直者であるべきだ」という島津家に仕える者としての使命感に満ちた句が幾度も登場する。現代だと、ザ・リッツ・カールトンのクレドのようなもので、単純明快な理念や方向性を示していた。
(寄稿/戦国魂プロデューサー・鈴木智博、イラスト/©墨絵師御歌頭)