
2010年1月、日本経済に激震が走った。わが国のナショナルフラッグキャリアである日本航空<9201>が会社更生法の適用を申請し、事実上倒産したからだ。
日航はなぜ破綻したか
そもそも両社は国の航空行政により、国際線と国内幹線は日航、国内幹線の一部と地方線は全日空という役割分担があった。後にその境界は曖昧(あいまい)になるのだが、全日空に比べると搭乗者数が多い路線の比率は高いままだった。一見、日航には有利なようだが、思わぬ「落とし穴」があったのだ。
「落とし穴」は航空市場の変化だった。かつては新幹線の2倍はした国内航空運賃が、使用機体の大型化や省エネ化のおかげで新幹線並みに値下がりした。庶民にとっては「高嶺の花」だった航空機の利用客が増え、これを受けて地方空港の整備が進んだ。
1980年代までの地方空港は滑走路も短く、大型機が就航できないため、全日空や東亜国内航空(後の日本エアシステム)などが中・小型機を就航させていた。ところが1990年代に入ると移転やリニューアルにより、地方空港もジャンボジェット機(ボーイング747)が就航可能な2000m級の滑走路を持つようになる。
大型機が主力の日航も急増する需要を取り込むために地方路線に参入したが、これが命取りになった。地方路線では全日空や東亜国内航空のような中・小型機では高い搭乗率になったものの、日航の大型機では十分な乗客を確保するだけの需要がなかった。そのため同じ地方路線でも全日空や東亜国内航空は黒字、日航は赤字という状況になる。
一方、国際線では後発の全日空が需要の見込める優良路線にのみ就航したのに対し、ナショナルフラッグである日航は需要が見込めなくても国際路線を維持する役割が求められた。
業界再編の果てに
もちろん日航も、だた手をこまねいていたわけではない。生き残りのための模索は続けていた。その手段として活用したのがM&Aだ。2002年9月に株式移転で日本エアシステム(JAS)と経営統合し、「日本航空システム」として再出発する。2001年9月に発生した米同時多発テロに伴う航空需要の激減を受けた、国内航空の業界大再編だった。
しかし、地方路線での補完を期待されたJASは、全日空の持つ地方路線よりも搭乗者が少ない赤字地方路線を多く抱えており、むしろ日航の足を引っ張ることに。そして同社は経営破綻へと突き進むことになる。皮肉なことに、両社の経営統合はライバルの全日空に有利に働いた。競争緩和で競合路線の平均運賃が値上がりしたのだ。これが全日空がリーマン・ショックを生き延びた要因の一つでもある。
日航の経営再建で会長兼グループ最高経営責任者(CEO)として陣頭指揮に当たったのが京セラ創業者で、2022年に亡くなった稲盛和夫氏だ。
併せて「買い手」がつく優良子会社を売却。2007年1月に空港店舗や免税店などを運営する上場子会社の商社JALUXの株式30%を双日<2768>に売却すると発表。同4月には旗艦ホテルの「ホテル日航東京」を運営する東京ヒューマニアエンタプライズの保有株式48.55%を、お台場都市開発へ売却すると発表した。
2007年11月に実施したクレジットカード子会社のジャルカードの一次入札には、三菱UFJフィナンシャルグループ(MUFG)や三菱商事、クレディセゾン、米投資会社のブラックストーンなどが応札。2008年7月にMUFG傘下の三菱東京UFJ銀行(現・三菱UFJ銀行)が約420億円でジャルカード株の49%を取得した。
業界大再編で破綻した経営を立て直すために優良子会社を切り売りせざるを得なかった日航だが、反撃の狼煙(のろし)もまたM&Aで上がった。
日航再生とM&A
2011年3月、日航はわずか1年2カ月で会社更生手続きを完了。2012年9月には再上場を果たした。負債総額2兆3000億円を超える、金融機関を除く事業会社としては戦後最大の超大型倒産。一時は前原誠司国土交通相(当時)が「日本に航空会社が2社必要なのか注視する必要がある」と、全日空による救済合併も囁(ささや)かれた。が、3年もかからずに再上場したスピード再建で日航の独立は守られる。
経営が再び軌道に乗ると、日航は積極的なM&Aに打って出る。2014年10月にボーイング737で地方路線を運航していたジャルエクスプレスを略式合併した。
同月には北海道エアシステムも子会社化している。同社は1998年に函館空港と道内遠隔地を結ぶコミューター航空会社として、前身会社の一つだったJASと北海道が第三セクター方式で設立した。日航は2009年9月に北海道エアシステムからの経営撤退を表明し、最終的には北海道エアの持ち株比率を14.5%に引き下げて連結対象子会社から外した経緯がある。
日航が北海道や道内企業から北海道エア株を再取得して持ち株比率を51.2%へ引き上げ、再び子会社化した。いずれもライバルの全日空に差をつけられていた国内線の強化が狙いだった。
2021年6月に日航が中国系格安航空会社(LCC)の春秋航空日本(現スプリング・ジャパン)に追加出資し、持ち株比率を約5%から66.7%に引き上げて子会社化した。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の収束をにらみ、中国からの観光需要を取り込むのが狙いだった。
2022年3月に日航と双日が、コロナ禍により2期連続で当期赤字に陥ったJALUXに対して約156億円でTOB(株式公開買い付け)を実施、株式を非公開化した。TOB成立後に日航は持ち株比率を50.5%に引き上げ、JALUXを再び子会社化している。
どうなる?「攻めのM&A」
しかし、日航の「攻めのM&A」が成功するかどうかは不透明だ。
スプリング・ジャパンは長期化するコロナ禍の影響で、2021年3月期(15カ月間の変則決算)に75億円の最終赤字を計上し、利益剰余金も同年期末でマイナス348億円に。これを受けて同社は、2022年3月に資本金を従来の209億円から1億円に、資本準備金を149億円から1億円にそれぞれ減額した。
2022年10月には入国制限が事実上撤廃され、国際線の利用者増が期待される。国内線も同様だ。日航の「攻めのM&A」は成功するのか、それとも裏目に出るのか。結論が出るのは、これからだ。
関連年表 1951年8月 日本航空(旧会社)設立。翌年10月から自主運航による国内線定期航空輸送事業を開始。 1953年10月 「日本航空株式会社法」に基づき、資本金20億円で日本航空が設立。国内幹線の運営にあたるとともに、わが国唯一の国際線定期航空運送事業の免許会社となる。この記事は企業の有価証券報告書などの公開資料、また各種報道などをもとにまとめています。
文:M&A Online編集部