「旧法勝寺鉄道」鉄路は続く伯耆大山の裾野を|産業遺産のM&A

鳥取県南部町法勝寺、「キナルなんぶ」という社会教育施設の「法勝寺電車ひろば」に、旧法勝寺鉄道(以下、法勝寺鉄道)の「デハ201形203号電動客車」、通称・「法勝寺電車デハ203号」が保存・展示されている。2022年には製造から100年周年を迎えた歴史ある車両だ。

大正期に製造された国内でも数少ない車両で、南部町、米子市、また鳥取県にとっても貴重な文化財である。

ボギー式車両が米子に

「デハ203号」は1922(大正11)年に製造された国産の4輪ボギー式木製電動客車である。ボギー式とは、車輪の軸を直接、車体に固定するのではなく、車体から独立したボギー台車と呼ばれる台車を取りつけた軸の上に車体を載せる。各台車が回転することで、レールのカーブにさしかかっても走行しやすいため、基本構造としては新幹線から路面電車、大型貨車にいたるまで幅広く採用されてきた。

「デハ203号」はもともと駿遠電気(現静岡鉄道静岡清水線)の24号として製造された。それが池上電気鉄道(現東急電鉄池上線)を経て、1931年に伯陽電鉄の前身である法勝寺鉄道に譲渡された。

法勝寺鉄道から伯陽電鉄に

法勝寺鉄道の車両の歴史は、1887(明治20)年にさかのぼる。当時、英国バーミンガムで4輪木製三等客車「フ50号」が製造された。この「フ50号」が日本に輸入され、現在は米子市元町に保存展示されている。国内に現存する最古の4輪木製三等客車である。

「フ50号」に続いて1922年、「デハ203号」が国内で製造された。現在は超電導リニアも手がける鉄道車両のトップメーカー、日本車輌製造が製造した車両だ。

法勝寺鉄道は1924年7月、米子町(現米子市)-大袋(同市)間5.6kmを開業し、さらに8月には大袋-法勝寺間6.8kmを開業、全線12.4㎞を開業した。伯耆大山の西の裾野、米子のまちから現在の南部町の中心地域である法勝寺に、法勝寺鉄道が全線開業した。

その直後の1925年、法勝寺鉄道は伯陽電鉄に社名変更する。「伯陽」の名称は鳥取県西武、伯耆地方の「伯」と山陽の「陽」が組みあわせた名称とされているが、異説もある。伯耆と山陽を結ぶ意図が込められているとすれば、鉄道が交通手段の中心になりつつある大正期の意気込みを感じさせる社名だ。伯陽電鉄は「フ50号」や「電車デハ203号」を主力車両に、地域に欠かせない足、交通機関となっていった。

その伯陽電鉄は1930年に阿賀(鳥取県南部町)-母里(島根県安来市)間の支線を開通する。地方路線としてはめずらしく、県境を跨いだ支線だった。

ところが第二次大戦のさなかの1944年1月、戦時下の不要不急路線として阿賀-母里間の支線は休止となり、線路を撤去した。同年10月、伯陽電鉄は安来市を走る広瀬鉄道と合併し、山陰中央鉄道となった。

法勝寺鉄道は山陰中央鉄道法勝寺線となり、広瀬鉄道の部分は山陰中央鉄道広瀬線となった。そして1948年、山陰中央鉄道は広瀬線をのちに一畑電気鉄道となる島根鉄道として分離した。

一畑電気鉄道は現在、会社としては島根県東部を中心に鉄道・バス・観光・自動車教習所などの事業を展開する一畑グループ各社を統括する事業持株会社となった。鉄道としては「ばたでん」の愛称で、宍道湖北岸、松江(松江しんじ湖温泉)-出雲大社前間に、湖に映える夕陽のようなオレンジの電車を走らせている。

「旧法勝寺鉄道」鉄路は続く伯耆大山の裾野を|産業遺産のM&A
一畑電気鉄道「出雲大社前」駅に停まる「デハニ50形」(photo by taso583)

地元バス会社「日ノ丸自動車」が台頭

鳥取県西部と島根県東部、両県が接する米子・安来・松江の地域では、大正期から第二次大戦前にかけて、鉄路のM&Aが盛んに繰り広げられていた。

戦後、その“戦場”に参入してきたのが自動車輸送業界だった。1953年、山陰中央鉄道を日ノ丸自動車が吸収合併し、山陰中央鉄道は日ノ丸自動車鉄道部(電車部)という一部門になった。

日ノ丸自動車は本社を鳥取市に置く地元大手のバス会社。もともとは明治後期に米子町でハイヤー事業を始め、そのハイヤー事業の成長とともに、鳥取市に山陰自動車(のちの鳥取自動車)という会社を設立し、バス事業を始めた。

その鳥取自動車を中心として1930年に県東部のバス会社8社が合併し、誕生したのが日ノ丸自動車である。1950年前後に、日ノ丸自動車は米子交通など周辺バス会社との合併や売却を進め、そのM&Aの一つとして、山陰中央鉄道の吸収合併が行われたことになる。

日ノ丸自動車の法勝寺鉄道は、1960年代には通勤通学の足として年間100万人を超える利用者があったという。ところが同時期に、自動車によるモータリゼーションの波が押し寄せてきた。この荒波を乗り越えることができず、1967年5月、法勝寺鉄道は米子市-法勝寺間の全線を廃止することとなった。

復元を進め、町民が集う広場に

廃線後、「デハ203号」は日ノ丸自動車や終点だった法勝寺駅近くの西伯小学校に保存されていたが、2011年に「旧日ノ丸自動車法勝寺鉄道車両附関連資料一括」として鳥取県保護文化財の指定を受けた。その指定にともない、米子市に本社を置く後藤工業の後藤総合車両所によって2012年度から2013年度にかけて復元作業が進められた。そして2015年から、南部町の「法勝寺電車ひろば」で保存・展示を再開することとなった。

復元作業を行った後藤工業は、JR西日本テクノスを筆頭株主とする地元の有力企業だ。JR西日本の「やくも号」や「サンライズ出雲号」などの鉄道車両を中心に、第三セクターの智頭急行、岡山県と広島県を結ぶ井原鉄道、前述した「ばたでん」一畑電気鉄道の気動車や電車の検査など、車両の検査・修繕、客室内のリニューアルなどの改良工事を行っている。後藤総合車両所は米子市に所在する西日本旅客鉄道(JR西日本)の車両基地および車両工場として“鉄分の多い人”にはつとに知られた存在だ。

「地産地消」という言葉がある。それは農作物だけでなく、鉄道車両も似た面があるのかもしれない。米子には中国地方に6つしかない鉄道管理局が開設され、山陰における鉄道の主要都市として発展してきた「鉄道のまち」。その米子の周辺地域で、地域鉄道のM&Aは進み、その車両の利活用も進んできた。

文・菱田秀則(ライター)

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