【アシックス・ベンチャーズ】デジタルサービスの開発に外部の知見を活用│CVCのリアル

スポーツ用品メーカー大手のアシックス<7936>がCVC(企業が自己資金でファンドを組成し、スタートアップなどに出資する取り組み)であるアシックス・ベンチャーズ(神戸市)を設立して10年近くが経つ。

この間30社近くのスタートアップに投資を行い、その成果としてフェイスブック、インスタグラム、メタクエストなどを運営する米国IT大手のメタと共同で、新しいeスポーツを開発するなどの事例も生まれている。

アシックスはどのような戦略のもとに活動を展開しているのか。同社のCVCを担うアシックス・ベンチャーズ(神戸市)代表取締役社長の母里明陽氏に、これまでの経緯や今後の展開などについておうかがいした。

CVCでイノベーションを加速

―まずはCVC設立のきっかけをお教え下さい。

アシックス・ベンチャーズの設立は2016年です。当時のアシックスには革新的なシューズを生み出してきた強みはありましたが、世界中のライバル企業と伍して、さらにリードしていくために、イノベーション(革新的な価値を創造する取り組み)を加速させる必要性を感じていました。

ただアシックス内部の知見だけでは新規領域における加速度合に限界があるため、スタートアップのような外部の知見と組み合わせて新しいものを生み出していくことが必要だという機運が高まったことがアシックス・ベンチャーズ設立のきっかけです。

アシックス・ベンチャーズ設立の2016年に、ランニングなどの運動データを追跡し記録するアプリ「ランキーパー」を開発運用している米国のフィットネスキーパーを子会社化しました。

このアプリには、アシックスが短期間で取り込むことが難しい多数の顧客をすでに抱えていましたので、このような事例も、アシックスが外部の知見を取り込んでいく必要があるきっかけになったと感じています。

―そうしますと、アシックス・ベンチャーズ設立の目的はデジタル化への対応ということになるのでしょうか。

シューズ開発に貢献するのも目的の一つですが、やはり新しいデジタル技術は特にアシックスの内部に無い知見ですので、そういったものは外部のスタートアップと連携していこうという狙いです。

ランキーパーの後に、ランニングのレース大会に登録するサイト「レースロースター」を運営するカナダのファストノースコーポレーションから同事業を譲り受けたのもそうです。

―出資枠はいくらでしょうか

設立時点では30億円です。今はそれを超えるような金額をすでに投資しており、今後も拡大させていきたいと思います。


メタとバーチャルスポーツを共同開発

―母里さんはアシックスの事業開発部長も兼ねられています。どのような狙いがあるのでしょうか。

アシックス・ベンチャーズは、有望なスタートアップを見つけてきて投資するのがメインで、その先のスタートアップとの共同事業化に向けての事業計画の作成や、実際の事業の推進などは事業開発部が行っています。

例えば出資先のスタートアップと共同で新しいソフトウエアを開発し、それを販売していくとなると、とてもCVCのみでは対応できませんので、事業開発部や関連部門とやり取りをして役割分担しながら、事業開発を推進しています。

この時、投資する責任者と実際に事業を推進していく責任者が違うと、方針のずれなどが出てきますので、同じ人間が投資と事業開発の両方を行うことになりました。

今年の1月にこうした体制になったのですが、新しいeスポーツのメタとの共同開発をはじめ複数の成果が出始めています。

―メタとはどのような経緯で共同開発に進んだのでしょうか。

メタとはVR/MR(仮想現実/複合現実)の技術を使ったバーチャルスポーツのコンテンツである「DISC(ディスク)」を共同投資して開発しています。

メタが販売しているVR/MRのヘッドセット型のディスプレー を用いて、ディスクを投げたり、飛んでくるディスクをよけたりする身体を動かすスポーツのようなゲームで、2025年の販売を予定しています。

以前からメタのVR/MR技術にはアシックスの多くのメンバーが注目していましたが、アシックス・ベンチャーズが2023年6月に、バーチャル空間でのフィットネス体験を可能にする技術を持つ英国のスタートアップであるヴァルキリーインダストリーズに出資したことなどもきっかけに、メタとの共同開発が実現しました。

―VR企業への投資が成果に結び付いたわけですが、投資する際に、こうした展開をイメージされていたのでしょうか。

そうですね。シューズの開発、販売だけですと、アシックスのブランド価値をより多くの顧客に広げていくことに限界があるため、デジタルサービスを通じて顧客との接点を増やしてブランド価値を伝えていきたいと考えています。

こうした目標を見据えてスタートアップへの投資を行っており、今回のディスクの開発も、極端に言うとアシックスのシューズを履いていない方とも接点ができますので、そうした方がアシックス商品の顧客になっていただければと考えています。

さらにもう一点。根底にはアシックスの創業哲学である「健全な身体に健全な精神があれかし」があります。

体を動かして心身ともに健康になってもらうのがアシックスの創業哲学ですので、新しい方法でスポーツをしてもらい、体を動かしてもらう、それだけでもアシックスとしての目的は達成できていると思っています。

―これまで、どのようなステージの企業に出資されていますか。

ステージは特に決めていません。直近では新しいデジタルサービスを一緒に構築できるようなパートナーを中心に、アーリーステージでもレイターステージでも投資を行っています。

ただレイターステージになってから取り組んだのでは、サービスそのものの新規性が薄れるということになりかねないので、結果的にはアーリーステージのスタートアップが多いです

―英国のヴァルキリーインダストリーズのほかには、どのような企業に出資されましたか。

今年3月にアシックスがインドで主催したピッチイベントで優勝したSaleAssist社のほか、まだ公表していませんが、米国や日本のAI関連の企業などにも出資しています。この8年で出資先は30社近くに達しており、地域も世界の10カ国に渡っています。

AIや生成AIにも注目

―今後の投資先としてどのような分野に注目されていますか。

メタとの共同開発のディスクを起点に、VR/MRやeスポーツの領域は継続的に注目していきたいと考えています。

このほかにAI(人工知能)や生成AIの分野にも注目しており、投資先を増やしています。AIや生成AIの技術は、ランニングやスポーツをしている方の運動能力、運動習慣、趣味嗜好に合ったコーチングを提供できるなど多くの可能性があると考えていますし、今後はトップアスリートのパフォーマンス向上に寄与するような技術活用も積極的に考えていきたいと思っています。

―投資先となる企業のソーシング(対象先の選定や交渉)はどのようにされていますか。

大きく三つのソーシングのルートがあります。一つはアシックスの世界中にある販売会社や、デジタル関連の子会社などから入る情報です。二つ目は、アスリートの本田圭佑さんらが設立した米国ファンドなど、LP(無限責任組合員)出資しているファンドがありますので、そこからの情報です。

三つ目が、アシックス自身で開催しているピッチイベントです。これまで欧州で2回、日本で3回開催しており、6回目となる今年はインドで開催しました。初めて開催したインドでも100社ぐらいから問い合わせが来まして、その中から6社に絞ってピッチをやっていただきました。

―投資回収にはどのくらいの期間を見ておられますか。

事業シナジーの創出がメインですが、一般的にベンチャーキャピタルは回収期間を10年としていますので、同程度で見る必要はあると考えています。

―出資する際にはどの役職の方とどのような話し合いで進められますか。

投資の観点に加えて、デジタル事業全般を管掌する役員や研究所の所長などとともに、複数の観点で目指すべき共同事業の姿や投資先に関する協議を行っています。

M&Aの活用についてどのようにお考えですか。

M&Aについては、この8年ほどで5件の実績がありますが、CVCでマイナー出資をしてから段階を踏んでM&Aに至ったケースはまだありません。

ただ、事業開発部としては、新しいデジタルサービスという切り口でM&Aも選択肢の一つになりますので、ファイナンスの部門と連携しながら検討していくことになります。

文:M&A Online記者 松本亮一

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