【箕面温泉】動物園が発祥!? 大阪北摂の“巨大温泉施設”|産業遺産のM&A

大阪府北部、阪急箕面線のターミナル箕面駅に降り立つと、北の箕面連山を圧するように巨大ホテル・温泉施設が建つ。箕面温泉スパーガーデン・箕面観光ホテル。

施設に向かう人の多くは、箕面駅から紅葉の名所箕面滝へ、名産品『もみじの天ぷら』の販売店の軒先を抜け、箕面温泉展望エレベータ(上写真)に乗る。エレベータ上部からは、大阪平野の眺めがひと際みごとだ。

この箕面温泉スパーガーデン・箕面観光ホテルは2025年3月末から当分の間、施設メンテナンス工事のため休館。その歴史を見ると、阪急創始者小林一三の経営への意気込みと、いくつものM&Aが繰り広げられてきたことがわかる。

始まりは、民間初の動物園!?

箕面温泉スパーガーデン・箕面観光ホテルの建つ地には1910年代、箕面動物園という名称の大規模な動物園があった。日本初の民間の手による動物園。当時の規模は京都市動物園や上野動物園に次ぐ広さだったという。

動物園の発案者は、阪急グループ<9042>の創始者である小林一三。“関西の鉄道王”といわれた小林は、「ターミナルには巨大娯楽施設を!」と考え、1913(大正2)年に阪急宝塚線(当時は箕面有馬電気鉄道)の宝塚駅に宝塚唱歌隊(現宝塚歌劇団)を置く前に、まず、箕面側のターミナルには動物園を置こうと考えた。開園は1911年。世界中からライオン、ゾウなどを集め、大観覧車や水族館もつくったという。

この動物園事業に参画した人物として、“東洋の化粧品王”といわれる中山太一がいた。中山の名は一般にあまり知られていない感もあるが、「クラブ洗粉」「クラブ化粧品」をつくった中山太陽堂を1903年、神戸(兵庫県)に創業し、近畿化粧品工業会名誉会長を務めた人物だ。

なお中山太陽堂は、現在のクラブコスメチックス。2人の女性が並ぶ「双美人意匠」のフレベール化粧品のほうが、通りがいいかもしれない。

小林が事業を推進し、中山が広報宣伝を務める一大動物園。当時はアドバルーンを使った宣伝も行ったという。そのアドバルーンは日本初の移動体広告とされている。

だが、箕面動物園の経営はわずか6年で傾き、1916年に閉園となった。理由は諸説あるが、その“ド派手”な打ち出し方からすると、維持費の増大が大きかったのではないかと推察される。

動物園の跡地に温泉が湧いた

動物たちは宝塚動物園など他の施設に引き取られ、動物園はなくなった。だが、沿線の開発は続いた。箕面有馬電気鉄道は、箕面動物園の開園と同時期に箕面・宝塚間が開通した路線で、動物園はなくなったものの西のターミナルの宝塚駅には宝塚温泉施設をつくり、宝塚唱歌隊を誕生させた。

積極的に沿線開発を進めていた1951年頃、箕面動物園の面影が残る跡地に温泉が湧くことがわかった。箕面温泉の誕生だ。この温泉に目をつけたのが、1951年に設立され、主に温泉リゾート事業と宿泊施設マネジメント事業を行った大阪観光という会社だった。

大阪観光は積極的に事業を拡張し、1965年には箕面スパーガーデンをオープン、1968年にはホテル事業(箕面観光ホテル)に進出した。その後も歌謡ショーや大衆演劇、ゲームセンターやボウリングなどを設置し、箕面温泉は一大温泉レジャー施設へと成長した。

だが、1980年代半ばになると、各種の温浴施設を擁する「スーパー銭湯」の時代がやってきた。規模の大きな総合温泉レジャー施設を求める根強いファンは存在しても、箕面観光ホテルをはじめ箕面温泉の客足は遠のき、経営的には厳しい状態になった。大阪観光としても大規模リニューアル工事を行い2008年にはリニューアルオープンしたが、客足は戻らなかった。

その後、2011年には温泉施設を除いて閉鎖。翌2012年に、大阪観光は民事再生法の適用を申請した。

大阪観光が残した産業遺産

展望エレベータのすぐ近く、足湯施設の傍らに、廃施設となったケーブルカー跡がある。大阪観光が1965年に開業した箕面鋼索鉄道である。箕面駅から続く道にある麓の山下駅と箕面観光ホテルや箕面温泉スパーガーデンがある山上駅を結んだケーブルカー。長さはわずか100mほどで、無料で乗ることができたという。

【箕面温泉】動物園が発祥!? 大阪北摂の“巨大温泉施設”|産業遺産のM&A
廃施設となったままの箕面鋼索鉄道の山下駅
廃施設となったままの箕面鋼索鉄道の山下駅

繁忙期には随時運行する不定期運行も行われたようだが、年間80万人ほどの旅客を運ぶ、地方鉄道法によるれっきとした鉄道だった。

その箕面鋼索鉄道は老朽化により1993年に廃止。

前述の展望エレベータに取って代わった。ただ、軌道は現在も残る。また、山下駅のホームも樹木や藪に覆われているものの、その姿を見ることができる。さらに、一般には見ることができないが、ケーブルカー脇などには箕面動物園時代の動物の檻なども残っているという。

大江戸温泉物語とM&Aの渦

大阪観光が民事再生法の適用を申請した翌年、2013年のことだ。ホテル(箕面観光ホテル)と温泉施設(スパーガーデン)など一式の譲渡先・スポンサーが現れた。2003年に東京お台場に大規模温浴施設を誕生させ、全国展開を図る大江戸温泉物語(大江戸温泉物語ホテルズ&リゾーツ)である。

大江戸温泉物語は2013年中に大江戸温泉物語箕面観光ホテル、同スパーガーデンとしてリニューアルオープンした。その後、2023年には再生の途上にあった大阪観光を吸収合併した。

なお、大江戸温泉物語ホテルズ&リゾーツはこの1~2年、湯快リゾート(京都市)とのブランドの統合を果たして設立した新会社GENSEN HOLDINGSによる持株会社化、投資会社ベインキャピタルによるM&A、設立した不動産投資会社大江戸温泉リート投資法人(現日本ホテル&レジデンシャル投資法人<3472>)のアパグループによるM&Aなど、まさに、外資も含めたM&Aの大きな渦に飲み込まれることになった。

ただ、もとの大阪観光に立ち返れば、一つのビジネスモデルを産んだ。それが「健康ランド」といった通称で呼ばれる業態だ。

全国に温泉・温浴施設と大衆演舞場・宴会場、飲食店、ゲームセンターなどを兼ね備えた施設があり、地元客などを迎えている。大阪観光の事業展開は、まさに、このビジネスモデルのルーツであったということができる。

文・菱田 秀則(ライター)

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