【山梨信用金庫】創業100周年に照準を合わせる|ご当地銀行のM&A

山梨県も第二地銀のない県の一つだ。ただし、創業100年レベルの老舗信用金庫が2社ある。

一つは2018年に創業100周年を迎えた「こうしん」、甲府信用金庫。もう一つが来年、2026年に創業100周年を迎える「やましん」、山梨信用金庫である。

同規模・同格の2金庫が割拠

両金庫の規模を比べると、甲府信用金庫は預金量が5342億1400万円、貸付金は2273億500万円、自己資本比率は18.06%、役職員数は304人、店舗数は21店舗(いずれも2024年3月31日時点、甲府信用金庫『2024Disclosure』による)。

一方の山梨信用金庫は預金量が4768億1400万円、貸付金は1874億5700万円、自己資本比率は12.61%、役職員数は351名、店舗数は33店舗(いずれも2024年3月31日時点、同社ホームページによる)。

県内に同規模、歴史的に同格といえる2金庫が割拠しているかに見える。ただし、大きな違いが一つある。それは、山梨信用金庫は県外(神奈川県)に計6店舗があることだ。より広域的な営業エリアを持っているのは山梨信用金庫のようだ。

信用組合から信用金庫に

山梨信用金庫は1926(大正11)年11月、有限責任共立信用組合として創立した。その後、1930年2月に有限責任信用組合共立金庫に名称を変更し、1932年3月には有限責任商工信用組合に名称を変えた。

その後、1951年6月に信用金庫法が制定される。新法に適応するように、有限責任商工信用組合は同年12月に甲府商工信用金庫に改組した。以後、信用金庫として地域に密着した営業を展開していく。

合併を機に、現商号に変更

大きなM&Aとしては、2001年10月に県内の大月信用金庫との合併を発表した。実際の合併は2002年7月だが、この合併には、合併を機に山梨信用金庫と商号を変更した以上に大きな意味がある。

古くは甲州街道の難所といわれた笹子峠で東西の交流が隔てられた山梨、特に甲府盆地を中心とする国中地域の県内金融にとって、県東部の郡内地域への営業網が拓けたのだ。県庁所在地の甲府市に本店を置いていた山梨信用金庫にとっては、東京・多摩地区、神奈川県相模原市は至近距離ということもでき、東京都心部も“遠い存在”ではない。実際に山梨県内の大月市や東の上野原市にとって国中は“縁遠い”存在でもあり、八王子・多摩地区・東京都心、また神奈川県などに通勤するビジネスマンも多い。この時期、山梨信用金庫の店舗数も58店舗を数えた。

信金再編の中で店舗の統合・集約を進める

山梨信用金庫は大月信用金庫の合併以降、信金再編が叫ばれる中、同信金内の店舗の統合・集約を進めてきた。2003年には54店舗、2004年には40店舗、2005年には39店舗、2011年には35店舗、2012年には33店舗になった。ただ、神奈川県内には現在、橋本支店・相模原中央支店・相模湖支店・津久井支店・城山支店・藤野支店(いずれも相模原市)を置いている。

2023年6月には100周年に向けた4年間の中期経営計画「Road To100~変革と挑戦~」を策定した。3年間の中期計画を策定する金融機関が多い中、区切りのよい100周年を視野に入れた計画である。

100周年を機に、預金残高5000億円、貸付金残高2000億円、純利益13億円、貸出先数14000先を目指している。

文・菱田秀則(ライター)

【M&A Online 無料会員登録のご案内】
M&A速報、コラムを日々配信!
X(旧Twitter)で情報を受け取るにはここをクリック

編集部おすすめ