【展示レポート】『ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢』 ゴッホはいかにして国際的な評価を得るに至ったのか
パリ時代の作品の展示風景より、フィンセント・ファン・ゴッホ《画家としての自画像》1887年12月-1888年2月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

2025年から27年にかけて、いくつかのファン・ゴッホ展が各地で開催される。現在、東京都美術館で開催されているのは、ファン・ゴッホ家が守り伝え、現在はアムステルダムのファン・ゴッホ美術館に永久貸与されている作品を中心に紹介する展覧会。画家の弟テオ、その妻ヨー、そして二人の息子フィンセント・ウィレムが、ゴッホの評価の高まりに果たした役割にも焦点をあてている。



フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)が画家を志したのは、27歳のとき。その後、わずか10年の間に約2000点もの作品を生み出したが、生前に一般の評価を受けることがなかったのはよく知られるところだ。では、彼は、いかにして今のような国際的人気を得るに至ったのか? その問いに答えてくれるのが今回の展覧会だ。



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展示風景より

生前の画家を支えたのは、パリで画商をしていた弟のテオだった。だが、兄の没後、半年後にはテオも病没してしまう。あとに残された膨大な数の作品や資料を守り、亡き画家のプロモーションに努めることになったのは、当時1歳の赤子を抱えたテオの妻ヨー。展覧会に作品を貸し出し、没後最大の回顧展を成功させ、大量の手紙を整理して書簡集を出版し、世界的に重要な美術館やコレクターに作品を売却して、画家の評価を確立させた。あとを受け継いだ息子のフィンセント・ウィレムは作品の売却を控え、コレクションの保存と研究のために財団を設立するとともに、ファン・ゴッホ美術館設立のために尽力した。会場入口の壁面には、その主役たちの肖像写真とともに主な出来事を記した大きな年譜があって、家族の物語を教えてくれる。



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展示風景より、ヨーの自宅の居間(1922-25年)の写真パネル 壁面にずらりと並ぶファン・ゴッホ作品に、往年の家族のコレクションが偲ばれる

3フロアに分かれた会場の最初の階には、主にファン・ゴッホ以外の作品が並ぶ。子どもの頃から美術や文学に親しむ環境にあり、一時ロンドンの画廊に勤めていたこともある彼は、早くから版画や新聞・雑誌の挿絵版画を集め、浮世絵版画の収集でも知られる。パリに転居後も、テオとともに作品を買い求めると同時に、友人画家たちと作品を交換することも度々だった。そうしたコレクションからは画家の関心や交友関係が知れるとともに、挿絵版画や浮世絵と並ぶ画家自身の作品からは、彼が受けた影響や、さらなる展開も見てとることができる。



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ジョン・ピーター・ラッセル《フィンセント・ファン・ゴッホの肖像》1886年  ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
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ポール・ゴーガン《雪のパリ》1894年  ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
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フィンセント・ファン・ゴッホ《種まく人》1888年11月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団) 構図などに浮世絵の影響が強くうかがえる作品で、今回はファン・ゴッホが集めた浮世絵版画と並べて展示されている

次の階は、10年の間に作風を変遷させていったファン・ゴッホの歩みが一望できる見応えのあるフロアだ。暗い色調と木訥な筆づかいで描いたオランダ時代の古めかしい作品から、パリに出て、印象派の光あふれる明るい色彩に学んだのちの軽やかな筆致の作品群へ——その劇的な変化が印象深い。



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オランダ時代の作品の展示風景より、左から、フィンセント・ファン・ゴッホ《服喪のショールをまとう女性》1885年3-5月/同《女性の顔》1885年4月、ともにファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
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パリ時代の作品の展示風景より、左から、フィンセント・ファン・ゴッホ《グラジオラスとエゾギクを生けた花瓶》1886年8-9月/同《アブサンが置かれたカフェテーブル》1887年2-3月、ともにファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
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パリ時代の作品の展示風景より、フィンセント・ファン・ゴッホ《エティエンヌ=リュシアン・マルタンの肖像》1887年11月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
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パリ時代の作品の展示風景より、フィンセント・ファン・ゴッホ《画家としての自画像》1887年12月-1888年2月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

パリ時代の最後を飾る自画像は、同展でも特に象徴的な作品だ。南仏アルルに向かう直前に描かれたこの作品からは、青とオレンジ色のコントラストや大胆で自由な筆づかいなど絵画表現としての魅力が伝わってくるとともに、画布を前に胸を張る姿に画家の自信も感じとれる。わずか2年のパリ滞在で、時代の最先端をいく画家へと変貌をとげたことが明確に見てとれることに加え、ここには家族にまつわるエピソードもある。ヨーが義兄に初めて会ったのは、彼が南仏サン=レミの療養院を退院して、パリに立ち寄ったときのこと。病人を想像していたヨーは、義兄がテオよりも丈夫そうに見えることに驚くと同時に、その彼がこの自画像ととてもよく似ていると思ったという。それ以後、この絵は家族にとってとりわけ重要な家宝のひとつとなったのだった。



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アルル時代の作品の展示風景より、フィンセント・ファン・ゴッホ《浜辺の漁船、サント=マリー=ド=ラ=メールにて》1888年6月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

アルルで芸術家の共同体をつくることを夢見た画家は、太陽の光にあふれた南仏で、より鮮やかな色彩や強い輪郭線を用いた力強い作品を生み出していく。だが、ゴーガンとの共同生活が決裂して耳切り事件をおこすと、精神の安定を欠き、自らサン=レミの療養院に入院。体調の悪いときは、テオから送られたバルビゾン派のミレーの版画などをもとに室内で描いていたが、体調が良いときには庭や近隣のオリーブ園などの屋外制作をした。そして、パリの北にあるオーヴェール=シュル=オワーズに転地。麦畑の広がる田園地帯で、麦の穂や麦畑などの新たな画題で制作に励むも、拳銃自殺によって生涯を終えることになる。



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サン=レミ時代の作品の展示風景より、左から、フィンセント・ファン・ゴッホ《羊毛を刈る人(ミレーによる)》1889年9月/同《麦を束ねる農婦(ミレーによる)》1889年9月、 ともにファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

今回の展示では、ゆかりの地の現在の映像などもまじえ、滞在地ごとに作品を見ていく。主題の違いや、色彩の明るさや鮮やかさ、筆触のリズムや激しさ、厚塗りの加減など、時代ごとの変化を見比べやすいのも、同展の興味深いところだ。



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サン=レミ時代の作品の展示風景より、フィンセント・ファン・ゴッホ《オリーブ園》1889年9月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
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オーヴェール=シュル=オワーズ時代の作品の展示風景より、左から、フィンセント・ファン・ゴッホ《麦の穂》1890年6月/同《農家》1890年5-6月、ともにファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

最後のフロアの冒頭では、「ヨーが売却した絵画」という少し珍しいカテゴリーが見られる。夫の遺志を継いで、ファン・ゴッホを世に知らしめたいと願っていたヨーは、戦略的に作品を売却したという。例えば、大作《モンマルトルの菜園》は、1905年の大回顧展が成功を収めたのち、1914年にヨーがアムステルダム市立美術館で展示されることを望んで売却したもの。ヨーのこうした戦略のおかげで、今も日本を含め世界中の美術館でファン・ゴッホ作品を目にできるのだ。



【展示レポート】『ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢』 ゴッホはいかにして国際的な評価を得るに至ったのか

展示風景より、フィンセント・ファン・ゴッホ《モンマルトルの菜園》1887年 アムステルダム市立美術館
Collection Stedelijk Museum Amsterdam, gift of the Association for the Formation of a Public Collection of Contemporary Art in Amsterdam (VVHK), 1949

一方、ファミリー・コレクションにファン・ゴッホ美術館が後から追加したものもある。この最後のフロアでは、より広い文脈でファン・ゴッホの芸術を理解できるよう、美術館が新たに収集してきた他の画家たちの作品も並ぶ。そしてもうひとつ貴重な展示品は、画家の直筆の手紙4通。スケッチとともに細かい文字でびっしりと書かれた手紙は、制作への熱意を語る画家の息遣いをも感じさせてくれる。



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フィンセント・ファン・ゴッホ「傘を持つ老人の後ろ姿が描かれたアントン・ファン・ラッパルト宛ての手紙」1882年9月23日頃 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

自身が芸術と文学に癒されたファン・ゴッホは、そのお返しに自らの作品が人々に安らぎを与えることを願っていたという。家族のコレクションを通じてファン・ゴッホの歩みをたどる同展はまた、作品を守り伝えることで画家の願いをかなえた家族の思いや強い使命感も感じさせてくれる展覧会だ。なお、音声ガイドのナビゲーターは、俳優・アーティストの松下洸平さん。画家本人やテオの言葉をまじえ、ヨー役の中島亜梨沙さんとともに語る家族の数々のエピソードも味わい深い。



【展示レポート】『ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢』 ゴッホはいかにして国際的な評価を得るに至ったのか

会場最後の「イマーシブ・コーナー」では、没入型の映像紹介がある。高精細な画像で、絵具層を厚く盛り上げたファン・ゴッホに特徴的な筆触に焦点をあてた映像などもあって楽しめる。


取材・文:中山ゆかり




<開催概要>
『ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢』



2025年9月12日(金)~12月21日(日)、東京都美術館にて開催
※土日、祝日および12月16日(火)以降は日時指定予約制

公式サイト:
https://gogh2025-26.jp/

チケット情報:
https://t.pia.jp/pia/search_all.do?kw=%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%9B%E5%B1%95(https://t.pia.jp/pia/search_all.do?kw=%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%9B%E5%B1%95&afid=P66)




■『ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢』展示風景の動画はコチラ



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