
アンガールズ・田中が、学生時代にヤンキーにいじめられていた話や、港区女子にキモがられた話などを赤裸々に綴ったエッセイ、『ちょっと不運なほうが生活は楽しい』。まさにちょっとした不運が起き、足繁く通う「なか卵」で、結果的に店員さんと奇跡的に心が通じ合ったエピソードを一部抜粋・再構成してお届けする。
勝手に心を許していたおじさん
一人でご飯を食べることが多い。何年か前までは友達と食事をする機会も多かったが、みんな結婚して減ってしまった。ただただ一人でご飯を食べる日が、年間300日くらいあると思う。
食事をするお店も決まっているけれど、毎日同じところにばかり行っていたら、この人は毎日来ているな! と店員さんに思われそうで恥ずかしいので、数少ない行きつけのお店をローテーションして、連続で行くことを回避するようにしている。
店員さん側は何とも思っていないかもしれないし、もしそうだったら誰に強がっているのかもよくわからないけれど、念のためそうしている。
それでも20年以上一人で暮らしていると、お店を変えることにも疲れてしまい、週に5日、チェーン店のなか卯に行くこともある。
親子丼、和風牛丼、はいからうどん、季節限定の担々うどん、すだちおろしうどん。このあたりのメニューを日替わりで食べていれば、連続して行っても飽きることはない。
仕事を終えて深夜になった時はいつも、50代後半くらいのアルバイトのおじさんが一人でお店の全てを切り盛りしている。
しかもほとんど毎回同じおじさん。
たまに深夜なのに若者が5人くらい入ってきて一気に注文を出されると、おじさんはまさに馬車馬のように働き、全ての注文を一人で処理していく。
そのおじさんにも、おそらく僕は、めちゃくちゃなか卯に来る奴だな! と思われているのだろうと考えながら、この人にだけは毎日来ていると思われてもいい、と勝手に心を許していた。昔、レンタルビデオ店で、レジにいる店員さんが女性ではなくおじさんの時に、アダルトDVDを借りていた感覚に近い。
スリスリスリ
ある日の深夜2時ごろ、小腹が空いたのでなか卯に行くと、客は僕一人で、例のおじさん店員も一人、店内で二人きりになった。和風牛丼の食券を買って席に着き、おじさんがそれを回収して、軽快な手さばきで作って持って来てくれた。
テーブルの紅生姜入れを開け、二つまみくらいの紅生姜を肉の上に乗っけて、ガッと牛肉とご飯をかきこむと、幸せな味が口に広がった。
ところが二口くらい食べたところで、突然店内が真っ暗になった。……停電だ。目の前の牛丼が見えなくなり、手探りで丼を掴む。
おじさんの姿も見えなくなり、かなりテンパっていると、暗闇から声がした。
「申し訳ありません、今電気をつけますので、少々お待ちください」
おじさんがスリスリと壁を触りながら移動する音が聞こえて来た。
停電なのに電気つくのかなぁ?と思って外を見ると、道の反対側にある街灯はついていた。おそらくブレーカーが落ちただけだとわかり、少しホッとする。
だんだん目が慣れて来たのか、自分の牛丼が暗闇にうっすら滲み出て来た。暗闇で食べようと思ったけれど、どうせなら明るくなってからと、しばらく待つ。
1分……2分………3分くらい経っただろうか?暗闇からおじさんの焦りが伝わってくる。
あれ?……スリスリスリ……あ~…………はぁ………どこだ?……スリスリスリスリ…………ああ、何でこんな…………スリスリ………
ここで長く働いているはずのおじさんだが、こんな事件は初めてなのだということがわかった。
それからまた5分が過ぎた。頑張っているおじさんを前にしてこんなことを気にするのは申し訳ないのだが、僕の牛丼はどんどん冷めていっている。
目が慣れ過ぎて、もうかなりはっきり牛丼が見えるようになったからとうとう食べようと決めたとき、スリスリスリという音が近づいて来て、おじさんが僕に言い放った。

「すみません! ブレーカー、どこにあるか知りませんか?」
「え??」
「いや、ちょっとわからなくて困ってるんです」
おじさんは僕に助けを求めて来たのだ。でも正直、おじさんにわからないことが僕にわかるはずもない。
確かに、僕はなか卯に誰よりも通っている自信はある。けれど、バックヤードのことは全く知らない。
でも、店員さんが客に助けを求めてくるなんて、本当によっぽどのことだし、おじさんも相当な覚悟で僕を頼って来たのだと思った。
この人ならわかるかもしれない! と、とても小さな可能性に賭けるしかないほど追い詰められている。
僕が一方的にレンタルビデオの店員並みに信頼を置いていたおじさんが、僕に対して、とても信頼を置いていたことに、この瞬間気づいた。
「わかりました」
このまま牛丼を食べて帰ることもできたが、もしこれで僕が帰ってしまったら、おじさんは真っ暗闇の中、一人でブレーカーを探さなければならない。
深夜のなか卯で
「とりあえず、そっち入っていいですか?」
「どうぞ」
僕も壁やテーブルをスリスリと手探りしながら細心の注意を払って、初めて、なか卯のカウンターの向こう側に入った。嬉しいような、申し訳ないような、何とも言い表せない変な気持ちになる。
いつも客として来ている店のカウンターに入ってしまうというのは、越えてはいけない一線を越えるような、ちょっと不思議な感覚だった。
ただそんな気持ちに浸っている場合ではない。
おじさんは何も知らない子供のような顔をして、僕の後ろについて来ている。
厨房に行って、上から下まで目を凝らして見たが、ブレーカーらしきものがない。
僕もあちこちでアルバイトをしてきたが、経験上、ブレーカーは鉄の扉みたいなものの中にあるのがほとんどだ。
「なんか鉄の扉みたいなもの、見たことないですか?」
「う~~ん、ないね~」
手がかりが全くないまま、トイレの中や、ホールにもう一度戻って探してみたけれど見つからない。
「こっちは何ですか?」
「更衣室」
いつの間にか二人の距離が近づきすぎて、おじさんが僕にタメ口になっていることに気づいたが、構わず更衣室に入る。
入口のすぐ左側に大きな鉄の扉があった。グレーの壁にグレーの鉄の扉だから確かに見つけにくいけれど、これはどう見ても鉄の扉だ。
なんでこれに気づかないんだよ! と突っ込みたくなったが、もう扉が見つかったことが嬉しすぎてその気持ちも吹き飛んだ。
扉を開けると、スイッチがずらりと並んでいた。
「ありましたよ!」
「本当だ!ありがとうね!」
「ブレーカー上げていいですか?」
「はいはい」
ガチャ!
20分ぶりに、店内に明るさが戻った。
「いや~、ありがとうね!」
「いえいえ!」
僕とおじさんは、深夜のなか卯で笑顔になっていた。

それから僕はカウンターを出た。
おじさんと僕は、再び客と店員の関係に戻った。
牛丼はもうすっかり冷えていたけど、そんなことに文句を言う気も起きないくらい、達成感に満ち溢れていた。
さっきまであんなに二人で喋っていたのに、今は会話はない。
一杯の牛丼を食べ終わって、僕は店を出た。
あれから、3年も経つ。今でも頻繁に深夜のなか卯で二人きりになるけれど、あの停電の話どころか、世間話すらおじさんとすることはない。
「いらっしゃいませ」
「お待たせしました」
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
交わす言葉はただそれだけだ。
あの夜を二人で乗り切ったとは思えないくらい、よそよそしいというか、全くの他人。
停電が起きたときだけ二人の回路に電気が通じ合ったなんて、カッコいいと思う反面、どこか恥ずかしい。
文/田中卓志
写真/shutterstock
ちょっと不運なほうが生活は楽しい
田中卓志

8月31日発売
1595円
224ページ
978-4103552819
「どこかの優しい誰がか読んでくれたら……」。アンガールズ田中の初エッセイ集!
真面目すぎる性格なのにふざける仕事を志し、第一印象が「キモい」だった山根とコンビを組み、港区女子合コンの悔しさをバネにめでたく結婚。人気芸人の悲喜こもごも(悲、強め)の日常は、クスリと笑えて妙に共感。「ベスト・エッセイ2022」にも選出され280万人が涙した、母のお弁当の思い出を綴ったあの一編も収録!