
『リンダリンダ』、『情熱の薔薇』など数多くの名曲を生み出し、様々なミュージシャンに影響を与えた伝説のバンド・THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)。1987年にメジャーデビューをした彼らだが、実はその約2年前の1985年に、公にしていた音源があった。
ロックンロールにおける日本代表、ザ・ブルーハーツ
1985年に、甲本ヒロトと真島昌利 の二人を中心に結成されたザ・ブルーハーツ。
同年12月24日。年の瀬も押し迫ったクリスマスイブの日に、彼らは東京・都立家政の『スーパーロフトKINDO』でライブを行った。
そして会場に集まった観客全員に、『1985』という曲を録音した自主制作のソノシートをプレゼントし、その曲を演奏した。

ソシノートとは、通常のレコード盤とは違い、薄くてやわらかいフィルムのようなシート型のレコードのこと
ザ・ブルーハーツの誕生と『1985』について、甲本ヒロトはのちのインタビューでこう語っている。
ブルーハーツ組んだ年なんですよ。その年に『1985』っていう曲を作ったんです。で、それはもうブルーハーツ元年。日本のロック元年だと、僕は、その時もまだ誇大妄想狂だから(笑)。
ロックンロールにおける日本代表・ブルーハーツだと思ってたわけですよ。ライブ・ハウスでやってるくせに(笑)。そう思ってたからね、そういう曲を作ったんですよ。
で、その曲をもう1985年過ぎたら演奏しないつもりだったんです。で、じゃあ残すんなら今しかないなと思って、録音してソノシートを作ったんです。
(※1992年5月号『Rockin`On Japan』の「20000字インタビュー ヒロトのすべて!!」より引用)
しかし『1985』は最初に公になったバンドの音源にも関わらず、1995年に解散した直後に出たベストアルバム『SUPER BEST』に収録されるまで、長らく幻の曲となった。

1995年発売『SUPER BEST』(meldac)のジャケ写。『リンダ・リンダ』や『トレイン-トレイン』などに加え、『ブルーハーツより愛をこめて』など超レア曲も収録されたベスト盤
『1985』の歌詞に織り込まれていた叫び
1985年という年は、「いじめの時代」の幕開けである。
全国の小・中学校で「いじめ」が横行しているというニュースが何度も取り上げられ、「いじめ自殺元年」とも言われた。
そして8月12日には世界最大の航空機墜落事故が起きている。日航ジャンボ機に乗っていた540人の命が奪われ、その中には日本でただ一人、全米チャート1位に輝いた『SUKIYAKI』を歌った坂本九が含まれていた。
日本という国が「帳簿上」だけの金持ちという奇妙な状況に放り込まれて、「経済至上主義の時代」が始まったのも1985年からだ。
ニューヨークのプラザホテルで行われた、日・米・英・仏・西独による先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議で、ドル高是正のため各国が為替相場に協調介入することで合意した。アメリカの貿易赤字と日本・西独の貿易黒字による国際収支の不均衡を、円高ドル安を容認することで是正しようとするのが目的だった。
その結果、物を消費することが日本政府によって奨励され、知性を欠落させた「大衆の時代」が始まっていく。

1980年12月1日発売のアルバム『SURF&SNOW』で、松任谷由実は『恋人がサンタクロース』を発表している。それは大ヒットした映画『私をスキーに連れてって』(1987年)の挿入歌に使われたこともあって広く浸透し、山下達郎の『クリスマス・イブ』と並ぶ国産クリスマスソングの定番曲になっていく。
それから5年後。ザ・ブルーハーツは「サンタクロースのおじいさんの命が危ない」と叫んだ。
『1985』の歌詞に織り込まれていたのは、目には見えてこない恐怖や危機に対する警鐘だった。そしてその叫びを、「1985年だけの曲」だとして自ら封印した。
『1985』の最後に甲本ヒロトは、ブルーハーツ元年が日本のロック元年だという宣誓を述べている。
『1985』は、それから32年の歳月を経た2017年12月に『THE BLUE HEARTS アナログEP17枚組BOX』として、当時と同じソノシートによって再現された。

2017年に発売された『THE BLUE HEARTS アナログEP17枚組BOX』(徳間ジャパン)。メルダック時代16曲、ワーナーミュージック時代22曲の音源がEP17枚組で(EP16枚+ソノシート1枚)のBOXでリリースされた
文/佐藤剛 編集/TAP the POP