松本人志報道に寄せて「女性は自分たちの結束を高め、盛り上がるためのアイテムでしかないのか」“ホモソーシャル的ノリ”に心底湧き上がる嫌悪〈甘糟りり子〉

昨年末発売の「週刊文春」が報じたダウンタウン・松本人志(60)の性加害報道により、吉本興業は1月8日、裁判に注力するためという理由から、松本の芸能活動休止を発表。その後、松本は、こうした一連の性加害疑惑報道をめぐり、「週刊文春」の発行元である文藝春秋を名誉毀損による5億5000万円の損害賠償と謝罪広告の掲載などを求めて提訴した。

ネット上ではさまざまな議論が飛び交い、活動休止を惜しむ声も見られるなか、作家でエッセイストの甘糟りり子氏が一文を寄せた。

代償が当たり前に「性行為」だなんて、いくらなんでもありえない

松本人志が週刊文春を名誉毀損で提訴したが、週刊文春はついに元タレントの実名顔出しによる告発を掲載した。吉本興業は当初の「当該事実は一切ない」から一気にトーンダウンして、「真摯に対応すべき問題」「会社のコメントが世間の誤解、混乱を招いた」と声明を出した。ファンや共演者含む関係者は「密室のことで、まだ真実が明らかでないから何もいうべきではない」といったぬるい意見を述べていたが、吉本興業の声明には「当社所属タレントらが関わったとされる会合」とあり、もはや密室での飲み会は「揺るぎない事実」なのだろう。

この件についてはあらゆる意見や見方が発信された。いろいろな見方があるのは当然だが、納得できないのは、「のこのこついていった女が悪い」「ホテルにいって何もないわけがない」というやつ。いかにも頭の中が古そうな男性のみならず、女性でもこういうことをいう人がいるのだから、あきれてしまう。



痴漢にあうのはミニスカートをはいているからだ、ミニスカートをはいた女性が悪い、的な発想である。当たり前だが、悪いのはミニスカートではなく痴漢である。ある女性プロレスラーは「お前がそういうものを出しているんだよ。出してるからそいつが悪いんだよ」といったそうだ。なぜ女性側が責められなければならないのだろうか。

松本人志報道に寄せて「女性は自分たちの結束を高め、盛り上がるためのアイテムでしかないのか」“ホモソーシャル的ノリ”に心底湧き上がる嫌悪〈甘糟りり子〉

文藝春秋を提訴したダウンタウン・松本人志(写真/共同通信)

告発者はさらに増えそうで、それを一まとめにして語るわけにはいかないが、彼女たちの中には「芸能人と飲み会」といわれて、ミーハーな好奇心を抱いた人もいるだろう。

もしくは自分が浮上するきっかけにと野心を抱いたかもしれない。それが異常だとは思えないし、責められることでもない。

軽はずみではないとはいわないが、若い女性が「ちょっとおいしい思いができるかも」なんて考えるのは普通のことだ。「高価な食事」「普段は入れないスイートルーム」、そして「テレビで見る人との時間の共有」にふわふわした気持ちになったかもしれない。もしくは「有力な人脈」に期待をしたかもしれない。男性だって、フリーランスだとしても組織の一員だとしても、有力者の出入りする宴会や会食でそこに食い込もうとしたことがある人はいるはず。
松本人志の飲み会に参加した女性にだってそうした野心を抱く権利はある。その代償が当たり前に「性行為」だなんて、いくらなんでもありえない。

吉本興業に象徴されるホモソーシャル的ボーイズクラブの雰囲気

一番の問題は性行為に合意があったかどうかだ。

私は、女性側が「ぜひ! 喜んで」と意思表示した以外はすべて「NO」として扱うべきだと思う。一般論だが、男性は激しく拒絶されていなければグレーも含めて「YES」と受け取る、もしくは 「YES」ということにしてしまう。松本人志や彼に追従している男性側も「激しく拒絶してないんだから、同意でしょ」という理屈を導き出したのではないだろうか。

他人の意思を自分たちに都合よく解釈した結果が、この騒動である。
こちらも一般論だが、二十代の女性が還暦近い男性に対して「ぜひ!」となるのは、なかなかレアだ。相手の知名度や経済力と生理的&性的皮膚感覚はそう簡単に比例はしない。知名度や経済力のある男性はそこを勘違いしやすいようだけれど。
どうしてすぐに警察に行かなかったのかという批判もあるが、そういう声そのものが原因の一つだと思う。激しく拒絶をしていない場合、これを「被害」と申告して果たして受け入れられるのだろうかという不安になって、二の足も踏む。
それ以前に、「警察行け」派は、自分が望んだわけではない性行為(及びそれに近い行為)を見知らぬ人に話して公にするハードルの高さを想像したことがあるのだろうか。多分、ないでしょう。女性側の気持ちに興味はないだろうから。

芸能人に清廉潔白など求めないし(そもそも私は誰に対しても求めないですが)、密室での飲み会そのものは好きにしたらいいと思う。しかし、最低限の想像力を持っていない人は遊ぶべからず。他人に対しての想像力が働かず、相手も心を宿す一人の人間という事実に考えが及ばないのなら、飲み会も合コンも性行為もするべきではない。


吉本興業の一部に象徴される、ホモソーシャル的ボーイズクラブの雰囲気が心底苦手だ。上下関係きびしめな男性の集団の内輪ネタはいってみれば日本の社会の縮図だから、みんな感情移入しやすくて、共感も呼びやすいのだろうけれど。どこまでいっても男性目線でしか物事を見ず、女性はあくまでも添え物で、だからこそ女性に求められるのは美しさと鮮度ばかり。果物じゃないんですけど。

女性は自分たちの結束を高め、自分たちが盛り上がるためのアイテムでしかない。そして、ボーイズクラブの中にいる一部の「名誉男性的」女性は驚くほど男性目線が染みついている。そういう女性たちもまた「飲み会に参加しておいて、何を今更」というのだ。あのプロレスラーのように。

松本人志とその取り巻き連中たちは、混同されやすいけれど、女好き恋愛好きの遊び人とはまったく別物。松本人志的な男性は決して女好きなんかではない。むしろ女性には大した興味がないと思う。あるのは支配欲と性欲。

令和六年の今、ホモソーシャルを体現しているボーイズクラブのすべての解体を望みます。経営者の集まりの集合写真にありがちな、写っている女性はホステスさんか芸者さんだけ、みたいな構図、あれはもはや時代遅れの恥ずかしいものなのだ。

文/甘糟りり子