
ケンカ、恐喝、拉致監禁、管理売春、シャブ屋(覚せい剤販売)……あらゆる悪事を重ね、日本で初めて国に「女性暴力団員」と認定された西村まこさん。後編では、ヤクザの定番ともいえる入れ墨や拳銃についてのエピソード、服役後に40代でヤクザに復帰して感じた「違和感」、今の生活について話を聞いた。
ワルは、墨を入れ拳銃を持たないと格好がつかない
――入れ墨は?
最初は自分で二の腕や腿に入れました。
――入れ墨を自分で入れるとは……。絵心があったんですか?
絵に自信は全然なかったんですが、やっぱ不良なもんで、入れ墨ぐらいないと格好が悪いじゃないですか。湯飲みの牡丹を手本にして、書道の墨や朱を使って彫りました。
それから、18歳のときに彫師に背中に入れてもらいました。ところがその先生が覚せい剤中毒で完成前にいなくなってしまい、色が入っていません。でも少年院に入ったときには役立ちました。背中に和彫りを背負っている女なんていませんから、誰も逆らってきません(笑)。
――40歳を過ぎてから、両脇腹に1丁ずつ拳銃の入れ墨を入れたと聞きしましたが……。
はい。私は男に生まれたかったので「銃弾(タマ)補充」って意味を込めてあります。

20歳、一家での旅行(海水浴)
――やはり現役時代、拳銃は持っていたんですか?
ヤクザをやっている限り、拳銃を持っているのがあたり前。父親に70万円ほどお願いして、そのお金でこっそりコルトを買ったこともありますね。
あと、射撃が好きな同業者に、夕方田舎に連れて行ってもらって、電車の音に紛れて、試し撃ちをしました。
――映画のワンシーンみたいなことを実際にやっているんですね。拳銃はどこに隠していたんですか?
事務所のシャッターが閉まる部屋に隠していましたね。
――家宅捜査があったら、すぐ見つかりそうな場所に……。20代後半でいったんヤクザをやめ、他団体のヤクザの親分さんと結婚して、2人の男の子をもうけたそうですが、どんなお子さんでしたか?
すごく真面目に育ちましたね。タトゥーも絶対入れたくないって言っているくらいです。幼い頃は、物が飛び交う夫婦ケンカをすると、110番に通報するような子どもでした。
参観日は「来ないでくれ!」って言われ、私の代わりに父親が行ったことがあるんですけど。どう考えても旦那のほうが、ヤクザ丸出しの顔なのに。
運動会のときに、旦那の組の人間がバーっと行ってテントを立ててたら、やたら目立ってしまい、みんなからガン見されたこともありましたね。
現代ヤクザは、義理人情関係なしの詐欺ばかり
――40歳の前半で古巣の組に戻りますが、これはなぜ?
実は子どものためにカタギになろうと、30代で専門学校に通い、介護2級と医療簿記の資格を取りました。しかし介護者の「入浴介助」で、八分袖の墨(肩から肘と手首の中間まで入った墨)がバレて、「入れ墨が入っている人は雇えない」とお払い箱になりました。
そんなこんなで紆余曲折あって、簡単にお金になるシャブ屋を再開していました。旦那は家にお金を入れないので、一家の稼ぎ頭は私でした。子どもも大きくなっていて、私がパケ分け作業(薬物の袋分け作業)をしていると、もの問いたげな顔をしていましたね。
来る日も来る日も、ポン中を相手にし、パケづくりをしていると、そんな生活に嫌気がさしてきました。性に合わなかったんですよね。それでふとヤクザに戻ろうかなと思い、組の幹部に電話しました。
――西村さんが住吉会系で、旦那さんが山口会系で、敵対する組織が同居するのは、ヤクザの歴史上初めてじゃないんですかね。漫画の設定というか、ロミオとジュリエットみたいな関係性……。
まわりからは「ありえない」って驚かれました。でも家で旦那は寡黙だし、私もそんなことに興味ないし、お互い干渉せずに暮らしていました。

西村さん近影
――ヤクザに復帰してみて、充足感はありましたか?
ないですね。
50代で最後の壮絶なケンカ
――ヤクザ業界から完全に足を洗って、最近、熱中していることはありますか?
元山口組系「義竜会」の会長だった竹垣悟さんのはじめた五仁會(暴力団員の更生と、地域社会から犯罪を防止する取り組みをするNPO法人)の活動に懸けています。
刑務所から出所した人たちの更生と再犯防止の手助けになればと、岐阜市中心部で清掃活動に取り組んでいます。元ヤクザが雑談できる、楽しい場所を作ることでクスリや犯罪に関わらず生きることを願っています。

五仁會での清掃活動の1コマ
――ところでふだんはテレビや映画って見ます?
サブスクになりますけど、最近だとネットフリックスの『日本統一 北海道編』(任侠もの)を見ましたね。YouTubeも見ていて、健康系のチャンネルに勧められ、嫌いだったトマトジュースを毎日飲むようになりました。
――ムチャやってきましたが、やはり健康が気になるようになりましたか?
手にしびれが走ったり、背中とか首、体のあちこちが痛かったりで。頭の骨も飛び出していますし。
――大変じゃないですか。どうしたんですか?
50代前半のときに、私の家で居候をしていた40代の元ボクサーとケンカになりました。
それから男は馬乗りになり、腹筋ローラーで頭や背中を殴打してきて、私は意識を失いました。気が付いたら病院。目は真っ赤で、顔が腫れ上がりあざだらけ。幽霊みたいな見た目になっていました。修羅場をくぐって来た私も「人生、終わった」と思いましたし、警察からは「死ぬと思っていた」と言われました。結果、男側の傷害となり、私は勾留満期の22日間で留置所を出ました。
――最後にお聞きしたいのですが、もし生まれ変わるとしたら次は何になりたいですか?
女だったら刑事。格好いいじゃないですか。組対(組織対策部。昔のマル暴)に行きたいですね。
――警察だったとしても、拳銃持ってバチバチはダメですよ(笑)!

調理前にカニと戯れる西村さん。年々、入れ墨が増えている
取材・文/集英社オンライン編集部
『「女ヤクザ」とよばれて ヤクザも恐れた「悪魔の子」の一代記』
西村まこ

2024年3月24日
¥1,870
240ページ
ISBN:978-4909979605
国が初めて「女性暴力団員」と認定した女の“最強伝説”
――そして恋愛、結婚、育児、更生への道
“突破者”と呼ばれたワシ以上の“じゃじゃ馬”が、
本物の“侠客”になった! -竹垣悟(元山口組系組長、現NPO法人「五仁會」代表)
私はあるとき、「女のヤクザっていないんだ」という事実を知ります。
刑務所内で「ヤクザの脱退届」を書いたときのことです。
「あんたが日本初だから、こんなに時間かかるんよ」と、いやみを言われました。
ケンカ、恐喝、拉致監禁、管理売春、シャブ屋(覚せい剤販売)などなど、
ありとあらゆる悪事を重ね、更生不可能と思っていた私も、
「五仁會」に出会うことで、更生し、人の役に立ちたいという思いにいたりました。
本書を読んでくださった方が、更生への道を進んでくださることを願っております。(「はじめに」より)