「生きていても意味がない」祖母の呪言で7年間、自宅にひきこもり…「それが僕の最大の社会貢献だと思った」44歳男性の孤独な戦い
「生きていても意味がない」祖母の呪言で7年間、自宅にひきこもり…「それが僕の最大の社会貢献だと思った」44歳男性の孤独な戦い

瀧本裕喜(ひろき)さん(44)は18歳のときから7年間、家から一歩も出ずにひきこもった。祖母から「生きていても意味がない」と愚痴を毎日聞かされ続け、精神的にダメージを受けたのが原因だ。

自分との対話を続けながら、「忍者のように気配を消して」部屋にこもる瀧本さんだったが、両親からとある“空気”を感じとったという……。(前後編の前編)

〈後編〉

「何をやってもどうせ死ぬだけだから」

ひきこもり向けのイベントなどで「タッキー」と呼ばれる瀧本裕喜さん(44)は、いつも穏やかな笑顔を浮かべている。

気遣いも細やかで、やさしい瀧本さんを慕う人は多い。7年もの間、家から一歩も出ずにひきこもった経験があるとは思えない。

そう口にすると「よくそう言われます」と瀧本さんは照れくさそうに笑う。

瀧本さんがひきこもったのは18歳のとき。浪人して東京の大学を目指すため、生まれ育った愛知県瀬戸市から上京し、祖母と2人で暮らしたことがきっかけだ。

1日中予備校で勉強し疲れて家に戻ってくると、祖母にこんなことを言われた。

「どうせ生きていても意味がない」
「何をやってもどうせ死ぬだけだから」
「戦争のときは、一瞬ですべてなくなっちゃうんだよ」

祖母の愚痴は延々と続き、毎日2時間も聞かされることに――。

「子どものころは、プラレールを買ってくれたとか、交通博物館に連れて行ってくれたり、おばあちゃんにはプラスのイメージしかなかったので、どのように受け止めていいのかわからなくて……。

ひきこもりから立ち直って母から、亡くなったおじいちゃんが酒乱で暴力をふるって大変だったと聞いたけれども、当時は何も知らなかったし、どうして戦争時代のことを言うのか、全くわかりませんでした。

僕が『そんなこと言わないで』と強く言えたらよかったのかもしれないけれども、2時間やり過ごせば終わると考えて、貝のように固く口を閉ざして耐えていました」

誰にも助けを求められない原因となったイジメ

もともと繊細で感受性の強い瀧本さんは、次第に脳裏にお墓の映像が繰り返し浮かぶようになる。半年後には予備校にも行けなくなったという。

「将来、お墓に入るために生きていくのならば、大学に入っても意味がないとか、おばあちゃんの言うように努力が一瞬で消えるならば、一生懸命、夢に向かうことが虚しく思えてきて。

いや、そんなはずはない。人生にはきっと意味があるはずだ、これは試練だと言い聞かせていたんですけれども、先祖がいて自分がいるわけだから、おばあちゃんを否定することは、結局、自分の存在を否定することにつながるのかなとか、いろいろ考えてしまって」

祖母にとっては娘である、自分の母親には相談しなかったのかと聞くと、瀧本さんは少し考えて、こう答える。

「踏み込んだ話はなんか言えなかったですね。両親は優秀なのに、僕に何か問題があるから今の事態を招いているのかなと、考えてしまって。父には幼少期から『若いうちの苦労は買ってでもしろ。とにかく我慢しなさい』と言われ続けましたし。

それと、僕は幼いころからイジメられていて、誰かに頼ったり言い返したりすると、かえって大変になるという経験をしているので、おばあちゃんのことを誰かに話して助けを求めるという発想が、そもそもなかったです」

最初にイジメられたのは幼稚園のときだ。後ろの子につねられたりしていたが、それに気付いた先生が注意すると、もっと陰湿になったのだという。

小学生になるとピアノが弾けることで、イジメの対象になった。瀧本さんは3歳からピアノを習い、小4のときには先生に「本気で音大を目指してみない?」と勧められたほどだったという。

女子からは「男のくせに何で私より弾けるの?」と悪口を言われ、男子からは「ピアノなんて女々しい」とからかわれた。

そのときも、反論するとひどくなるので、じっと耐えていたそうだ。

「ピアノを弾けることを極力隠していました。地元から離れて名古屋の高校に進学して初めて、ピアノを弾けることを肯定的に受け止めてもらい、交友関係が急に広がったんです。

僕が東京に来て予備校に行けなくなったとき、名古屋の同級生も心配してくれたけれども、夢に向かって生きている人たちに祖母のことは言えなかったですね」

最大の社会貢献はひきこもること

センター試験の前日、祖母にこう言われた。

「あんたに殺されるかと思った」

体中が震え、立っていられなかった。結局、受験に失敗し、実家に戻ることになり、別れ際にもう一度言われた。

「あんたに殺されるかと思った」

当時の様子を瀧本さんは「自分でも解除できない時限爆弾を抱えている感じ」と表現する。

「最後のころは包丁を見るのが怖かったですね。だから、本当に凶悪犯罪者のようにヤバい表情だったんだと思います。そう言われてから、鏡で顔を見られなくなりました」

ところが、実家に戻ってからも、「生きていても意味がない」という祖母の声が聞こえてくる。

「いつもの声のボリュームでエンドレスに。ああ、洗脳ってこういうことを言うのかと。

たまたま僕は祖母を殺めなかったけど、もしかしたら、そっちの道に行っていたかもしれない。

ホント、精神状態が極限で、いつ暴発してもおかしくないと自分が怖くて。

何がトリガーになるかわかりません。

僕の最大の社会貢献は、周りに迷惑をかけないように部屋に閉じこもることだと考えたんです」

両親とは顔を合わせないように、「忍者のように気配を消して」暮らした。

両親が家にいる間は2階にある自室から一歩も出ず、仕事に出かけている間に1階に降りて、母親が作ってくれたご飯を食べて、お風呂に入った。

「家族に迷惑をかけているという罪悪感があったせいか、ひきこもっている間は味覚がありませんでした。食べても味がしなかったけど、せっかく作ってくれたから食べないと申し訳ないなと。

母は食べないとダメになると思ったみたいで、運動部の男子のように量が多かったです。あるときから下着も含めて、すべての洋服が入らなくなりました。

夏は裸でも問題ないけれども、冬は寒いので、バスタオルを巻いたり、大きめのコートを羽織ったりしていました。

強烈に覚えているのは、トイレに行きたいという欲求です。父の部屋が隣にあるので、夜は父が寝るまで安心してトイレに行けなくて。2時間ぐらい我慢したらだんだん気がおかしくなってきて。

もう静かに消えたいと思っているのに、トイレに行きたいということは、まだ生きたい気持ちがあるのかなと。

ペットボトルにする勇気はありませんでした。自分の生存領域を汚したくなかったからです」

いつも冷静な父に殴られて……

部屋にいる間、瀧本さんは自問自答を続けた。

幼少期のころから振り返り、自分のたどってきた人生を紙に書き出し、「なぜ自分は部屋にいるのか、他の選択肢はなかったのか」と考えたという。

考えることに疲れると、本を読んだり、ゲームをしたり。

当時、熱心に読んだのは芥川龍之介の『蜘蛛の糸』とナチスの強制収容所を生き延びたヴィクトール・フランクルの『夜と霧』。繰り返しプレイしたのは、主人公が苦難を乗り越えて成長していく「ファイナルファンタジーⅥ」というRPGだ。

「僕はおばあちゃんとは違う。絶望的な状態でも、どこかに光があると希望を信じたかったんだと思います」

瀧本さんの両親はともに早稲田大出身で、父は公務員、母は保険の外交員。1人息子の瀧本さんをあまり子ども扱いせず、「換骨奪胎」など難しい言葉をよく口にした。

音楽以外の成績にムラがあっても叱らず、「漢字の読み書きと四則計算ができれば、あとはなんとかなる」と自由に育ててくれた。

そんな理解ある両親でも、ひきこもってから5年ほどは、自分を部屋から出そうとする“空気”を感じたそうだ。

ひきこもった初期のころ、1度だけだが、いつも冷静な父親が部屋に入って来て、何度も拳で顔を殴られたことがある。

「父は我を忘れて殴っていて、このまま殴られまくったら死ねるよなと思いながら、でも、それだと父が殺人者になっちゃうなと思って。僕が防御態勢を取ったら、びっくりして戻って行きました。

そのころリビングに行くと、ひきこもりのことを犯罪者か何かのように書いている記事や本が置いてあって、折り目とか付いていたので、僕をどうにかしようと思ったんでしょうね」

ひきこもって5年が過ぎたころ、瀧本さんは家の“空気”が変わってきたことに気がついた。さらに、ある出来事に背中を押されて、ついに部屋から出る決心をする――。

〈後編へつづく『「ひきこもりは人間としてはエラーなのか」人を殺さないようにひきこもった男性が経験した社会復帰への苦悩』

取材・文/萩原絹代

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