
昨年、“ミスFLASH2025”グランプリに輝いた、グラビアアイドルの丸山りさ。その魅力は艶やかな体躯に留まらない。
そんな才色兼備ともいえる彼女には、かつて神童と言われたにも関わらず、奇病によって夢をあきらめた過去があった。
神童の道を歩むはずが、10万人にひとりの奇病に
――「偏差値72の進学校出身」という経歴が目を引きますが、昔から神童だったそうですね。
丸山りさ(以下同) そう言っていただくことが多いですね。3~4歳くらいのとき、幼児教育で有名な七田チャイルドアカデミーに数カ月間通っていました。
その間だけで500冊もの英語のペーパーバックや平家物語を中心とした古典文学作品数十冊を暗唱しました。これがきっかけで、全国の七田チャイルドアカデミーの校舎で成績トップになり、和田アキ子さんが出演するテレビ番組の“天才キッズ”を特集するコーナーでも取り上げられることがあったんです。当時はテレビや雑誌にも結構出ていましたね。
また当時、身につけた速読技術によって、今も年間3000冊の書籍を読みます。もっとも、小説などの速読は難しいので、もっぱらビジネス書などの実用書ですが。
――教育熱心な家庭に育ったんでしょうか。
両親は「元気でいてくれればいい」という態度で私に向き合ってくれていたと思います。
ただ祖父は、私が3歳くらいのときに縦に3つ、横に3つ並んだお弁当の中身を指さして「これが3×3だね」と言ったのをみて、「この子は賢い」と周りに言っていたようです。
ほかにも、家では地理の半島名などを歌詞にした曲のCDが流れていましたから、幼少期から学習環境は整っていたでしょうね。
――そうなると、勉強では苦労知らずですね。
知らないことを知るのは楽しいと思えるタイプなので、勉強で苦労をしたことはないですね。
地元・岐阜県の公立中学3年生が受験する「岐阜新聞テスト」(受験者数1万人)ではほぼ満点近いスコアを出していました。
また、小学生のときに計ったIQは157と高い数値が出ました。小学4年生のときは、県立岐阜高校の学生といっしょに机を並べて、英検2級を受験して合格したんです。
正直、勉強で天下を獲れる位置にいるという実感が当時はありました。
――なぜ過去形なのでしょうか。
病気をしてしまったんです。脳動静脈奇形(AVM)といって、10万人にひとりの非常に珍しい病です。脳の中にある動脈と静脈が直接つながってしまって、その異常な血管が塊となる病気なのですが。
岐阜県を離れて愛知県の進学校へ進学したばかりでしたから、最初は「通学時間が長いから寝不足かな?」と思っていました。
しかし頭重感がひどくなり、日増しに集中力も落ちていきました。学習にもまったく身が入らなくなり、かつての神童ぶりはなりを潜めてしまいました。
「こんなに学習のために費用を出しているのに……」と両親に落胆されてしまってのが本当に辛かったです。
英語だけは幼いときに学んだ“貯金”があったので学年でも上位でしたが、日本史や世界史は赤点を取ることもありました(笑)。
年間330日の撮影会をこなしている?
――脳動静脈奇形であることは、すぐにはわからなかったのでしょうか。
はい、原因がわからずに高校生活を終えました。もちろん手を尽くして調べたのですが、医師から「精神的なものだろう」と言われたり、なかなか正しい診断が下りなかったんです。
病名がわかったのは大学生になってからです。グラビアの個別撮影会で、スマホを何度も落としてしまって、脳梗塞ではないかと思ったんです。それでMRIを撮ったところ、脳梗塞ではなく脳動静脈奇形との確定診断に至りました。
カテーテルを使って治療を行いましたが、1000分の1の確率で事故が起きて亡くなることや、生命が助かっても後遺症が残るケースもあると医師から説明を受け、非常に不安でした。
結果として無事に手術は成功し、現在はこうして元気に活動ができていることに感謝しています。病魔に襲われたこの経験も、勉強以外の可能性に気づくきっかけになったと今では考えています。
――勉強からのシフト先がグラビアアイドルというのも、意外な展開ですね。
学生時代の私はいわゆるガリ勉でしたから、自分から積極的に前に出るタイプではありませんでした。
ただ、高校時代の家庭教師が私に対して「岐阜にいたらもったいない!」と思ったらしく、私の知らないところでアイドルオーディションに応募していたんです(笑)。結構な狭き門をくぐり抜けて審査が進んでいって、少し自信になりました。
というのは、母のはとこ(再従姉妹)に女優の岡田奈々さんがいるんです。昔から「岡田奈々さんくらいきれいじゃないと芸能人にはなれない」と親戚は盛り上がっていたので、自分には無理だろうと諦めていたんですね。
でも家庭教師とアイドルオーディションのおかげで、少し芸能界が身近に感じました。
――丸山さんが思うグラビアとしての武器はなんですか?
昔はこの大きな胸がコンプレックスでしたが、撮影会をしてみればすぐに予約がいっぱいになって、コンプレックスも誰かにとっての魅力なのだと知りました。
撮影会や雑誌販売、グッズ販売など諸々を含めた売上は、4カ月間で3000万円を超えました。
──今後も大活躍されそうですね。
ずっと勉強をやってきたので、かわいさとか魅力とか数値化できない土俵で勝負をすることに正直戸惑っています(笑)。
これからもファンとのコミュニケーションを大切にしていきたいです。去年は私服や水着の撮影会を330日やったので、たぶん私が日本で一番撮影会をしたグラビアアイドルでしょう(笑)。その分、ファンとの距離も近しいものになれたと自負しています!
取材・文/黒島暁生 写真/本人提供